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の続きとなります。
めがね橋※碓氷第3橋梁では、橋下に旧国道18号を眺めましたが、この先は旧道とは離れ5つのトンネルを抜け、4本の橋梁を渡り、旧熊ノ平駅を目指します。
航空写真で表すとこんな感じになります。
※Google Map様引用
■碓氷第6隧道 10:40発
最長の546mです!
ここから先、めがね橋から熊ノ平までの遊歩道は、つい最近の平成24年(2012年)に整備されました。
入口のアーチ部は迫石(せりいし)です、赤煉瓦とのコントラスト、浮き出た感が最高です!!
温度計を発見、10度
峠の湯から30分しか経っていませんが、標高差もあり涼しかったです。
6号トンネルは、内部がS字にカーブ、そして10本のトンネルの中では最長の546mということもあり、入口、出口が全く見えません。
照明が道標となりますが、暗闇・夜道を歩いている感覚です。
※写真ではこんな感じ、実際はもっと暗いです
照明の色と設置間隔で、風景が変わります。
しばらく歩くと、やや明るくなります
天井に穴....ではなく、排煙口を発見!
真下には、アーチ型の飾り窓? 吹き抜け?....
横坑 ※よここう、水平に掘った坑道です。
6号トンネルは、長さもあり工事の工期を早めるため、中間2か所にこのような横坑を掘り、そこから入口側と出口側へ工事が進められました。
実際に入ってみましたが、その厚みに驚きました。
結果的には、緊急時の退避口、脱出口になったのではと勝手に想像します。
そして、柵には注意書きが....
アプトの道では、他にも蛇など野生動物に関する注意書きがあります。
前回は、峠の湯前の線路沿いでサルを発見しました...
※架線に上るサル....
10分かからないで、6号トンネルを抜けました。
すぐに、第4橋梁、第5橋梁、第7号トンネルが目前に現れます。
●第4橋梁 (10m)
第4橋梁を過ぎると、岩肌の切り通しがあります。トンネルを作らずに岩山を開削したものです。切り通しの先に第5橋梁、そして第7号トンネルと続きます。
100年以上前に、数十メートルとはいえ、恐らく手作業で人海戦術と想像しますが、岩山を削って道を切り開いたことに、驚きました。
●第5橋梁 (16m)
●第7号トンネル(75m)
7号トンネルを抜けると、すぐに8号トンネルが現れます。
煉瓦造りですが、アーチ状や門構えのような立派装飾はなく質素な造りのせいか、特に上部の変色感、草木との同一感が半端ないです!
トンネル内部まで侵入した緑色の光景に、自然の力と恐怖を感じます。
●第8号トンネル(92m)
8号トンネルを抜けると、第6橋梁が現れます。
めがね橋と同じように、橋の側部にも煉瓦が積まれていることに気が付きました。安全柵・ガードレールのように見えます。
●第6橋梁(52m)
●第9号トンネル(120m)
そして真下を見ると旧道が走っています、かなりの高さです!
恐らくは、列車の転落防止かと思われます。
ついに最後のトンネルとなります。こちらも煉瓦造りですが、周辺の地形のせいか、中央部分のみ横に原色をとどめていますが、それ以外の部分は、ほぼ変色しています。
●第10号トンネル (102m)
そして到着
1時間ぶりに線路と架線を見た瞬間、自分が歩いてきた遊歩道を振り返り、本当に鉄道が走っていたのだろうかと考え、不思議な感覚に襲われました。
左側の白い建物が、旧駅舎のようにも見えます。
3つのトンネルが???
案内のロープに従って線路部分まで進み、振り返ります。
●右側が、先程まで歩いてきた遊歩道、旧線(昭和38年※1963年、アプト式廃止)
●中央が、左側の草木の生え方から、特急あさまが走っていた新線と思われます。
●左側の明らかな複線トンネルは?
調べましたが、分かりませんでした....
熊ノ平駅、そして碓氷線の歴史を改めて振り返ります
明治26年 1893年 横川-軽井沢開通時に、列車行き違いのための停車場として開設
明治39年 1906年 駅に昇格
大正10年 1921年 碓氷線のすべての列車が電化
昭和12年 1937年 構内にあった小山を崩して、変電所建設
昭和25年 1950年 大規模土砂崩れにより50名が犠牲に、殉難碑が建てられる
昭和38年 1963年 碓氷新線完成、アプト式電車廃止
昭和41年 1966年 碓氷線複線化、熊ノ平駅廃止
昭和46年 1971年 新国道碓氷バイパス開通
平成9年 1997年 碓氷線廃止、熊ノ平変電所廃止、北陸新幹線開業
平成13年 2001年 アプトの道 横川-めがね橋 開業
平成24年 2012年 アプトの道 めがね橋-熊ノ平 延伸
令和xx年 20xx年 アプトの道 熊ノ平-軽井沢 再延伸 ※妄想.....
長くなりました......
碓氷峠が江戸時代から交通の要所かつ難所であることは、舗装された遊歩道をわずか1回、2時間だけですが、アプトの道を歩いて改めて実感しました。
しかし開通から廃止までの約100年の歴史を振り返り、数々の困難と苦難を乗り越え、多大な貢献を果てしてきた碓氷線が、鉄道技術の最高傑作というべき新幹線によって、廃止になったことは、鉄道の目的は人々の移動手段(要はより速く!!)、であることは事実ですが、やはり残念としか言いようがありません。
以前の旧信越本線(北陸新幹線延伸による在来線3セク化)の記事でも書きましたが、今後の新幹線が、大都市以外の地域や人々にも明るい未来をもたらす存在であってほしいと願うばかりです。
白い建物は変電所跡です。
平坦な土地と広大な構内、午前中という時間帯のせいでしょうが、碓氷線のシンボル、めがね橋と比べるとあまりにも閑散としていて、残念な風景です。
アプトの道が、軽井沢まで延伸される日はくるのでしょうか?
■旧熊ノ平駅 11:00着
最後までご覧いただきありがとうございます。
次回、5時間徒歩記 旧道・廃線跡①に続きます