今回は大阪万博があった1970年8月の上野駅です。

 では、万博会場に近かった大阪駅の時刻表を掲載していますが、まだ新幹線が新大阪までだったこの時代、岡山、広島、九州方面、四国連絡の宇野方面への列車本数は、信じられないくらいの増発でした。

今回の上野駅でも 前回の  では、東北本線と常磐線をまとめても3ページに収まりましたが、高度成長期の1970年8月には、東北本線だけで3ページを要するほどに増発されています。

東北本線1

この時代は東北本線は全線電化が完成していますが、奥羽本線はまだ山形までしか電化されていません。
急行列車もキハ58系が数多く上野に乗り入れていました。

驚くのは 7時7分発の 八甲田1号/おが1号です。
編成表によると、この列車の上り列車は 複雑怪奇な編成でした。

八甲田1号は 1~3号車が盛行、4~12号車が欠車、13号車は盛岡から増結される久慈行、14~15号車が久慈行、16~19号車が青森行(17号車欠車)、20~21号車が青森~尻内のみ連結です。
これに上野~秋田間の4~9号車が併結されます。

秋田行、奥羽本線への特急つばさ1号は東京が始発駅で列車番号は1Dと看板列車の貫禄です。車種はこの年の2月から投入された新鋭キハ181系です。

全線走破する看板特急はつかりの1号の上野発は10時15分と少し遅めで列車番号は2021M。青森着は18時47分で、青函連絡船は19時35分と、あまり北海道連絡の速達性は考慮されていません。

東北本線2

東北本線の正真正銘の看板列車は 特急はつかり2号です。列車番号は1M。青森着は翌日の0時10分で、0時30分出航の青函連絡船夜行便の1便に接続、さらに函館からは4時40分発の釧路行1D 特急おおぞらに接続していました。列車番号(便名)がすべて1で揃った北海道連絡の最速達ルートです。

東北本線3

夜には夜行急行列車が次から次へと発車します。ここに掲載しているのは東北本線のみで常磐線、高崎線方面は掲載していないので、上野から発車する列車本数は信じられないくらいの本数です。

もちろん大阪万博のあった夏、お盆ということで、例年にはない数の臨時列車が運転されていたためですが、上野駅だけではさばききれないため、臨時列車を品川発として、上野では乗降できない列車が多く設定されており、この時刻表にも時刻は掲載されていても実際には乗れない品川始発の列車があります。

この当時の時刻表にも、上野で乗れないのに発車時刻が乗っていて、備考欄に「上野では乗車できません」と書かれています。よく読み込まないとわかりません。当時混乱しなかったのでしょうか・・・

上野で乗れると思って、上野駅に来たけど乗れなかった・・という人は少なくなかった気がします。