関東大手私鉄個性派の終焉。(相鉄9000系トップナンバー、最後の方向幕車編) | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

さて、もうひとつの個性派といえば、

相模鉄道9000系

相模鉄道ではこれまでも類稀な個性を持つ車両を世に放ってきていて、それは元号が平成に変わって
しばらくしても続いていて、それとなく動向を気にしていたものだった。
それはこの9000系もそうで、時は相模鉄道が純通勤路線として急伸している情勢下、すでに日立製の
8000系の増備が進んでいる中でさらなる増強に迫られ、東急車輛に発注されたという新設計車。
このため、一時期は2系列が並行して新製投入されていたという珍しい経緯を有する。
そのデザインは、JR相模線に投入された205系500番台とも相通じた憎めない丸顔を創出した。

なかでもトップナンバーの9701Fは、新7000系亡き後の「相鉄最後の方向幕車」として注目を集めて
きていたのだが、その矢先、先月末で運用を離脱するとあっさり廃車となってしまった。
こちらもいよいよ記録に赴こうかと考え始めていたまさに矢先で、最初は驚きを隠せなかった。
しかし、製造以来約28年という活躍は、近年こそ大手私鉄でも全体的に車両の寿命が伸びてきている
ものの、日々の通勤輸送への酷使ぶりを鑑みればよく働いた方と考える方が無難かもしれない。

いかんせんうちの地元からの距離や立地条件があってなかなか足を運べないのは今に始まった事では
ないし、また足を運ぶとしたらそれなりに目的を持っての訪問になるから、相対的に目的外の撮影は
減ってしまい、記録を掘り出すのは困難になるのは、他のJRも私鉄も変わらぬ事象だ。

さて相鉄には、今年増備が進む20000系の甲種輸送による搬入や、先月引退した新7000系の記録等で
度々訪れており、自ずと記録も少しずつ増やしていた。
ことに9000系はYOKOHAMA NAVY BLUE化や方向幕のLED化などで編成毎の個性が増してきており
割と分け隔てなく撮影していたのが、今となっては効を奏した形になっているようだ。
未だ新7000系の記録と記憶を纏め切れていないが、先ずここ数年の記録データから9000系9701Fのみ
たまたま撮影できた記録を抽出し、振り返りと餞としてみようと考えた。

最初に撮影できたのは、どうやら2016年4月27日水曜日。
いち早くNAVYBLUE化された9703Fまだ旧塗装で残されていた9705F、さらにいずみ野線40周年で
記念ヘッドマークをつけて走り回っていた旧7000系の記録のために2日かけて乗り歩いていたのだが
その途上、相模大塚駅で入ってきた電車を何気なく捉えているカットが残っていて、それが9701F。
当時はリニューアル前で同形態の9702Fも残っていたため、注目度は皆無に等しかった。
(※↑色付き太字の部分をクリックすると、当時のブログ記事に飛びます)

…そんなわけでまぁ、当時の記録の少なさに我ながら呆れていたのだが。
そんな中で、出色だった記録はこれ。

西横浜駅に、留置されていた旧7000系を撮りに降りた際に何気なく残していた9000系の2色並び。
今思えばもう少し前に寄りたかったなとか思うのだが、9701Fが急行電車で西横浜駅通過だったから
咄嗟にシャッターを切っていたのかもしれないが、いずれにせよ貴重な並びを収められた。

それにしても9000系は何故か年代により改造が割にチグハグで、新塗装化後も幕が残されているかと
思いきや、旧塗装の9705Fは幕がLED化されていたり…
そんな個体差も、この形式の面白さだったのだろうが。
もうちょっとバラエティのあるうちに色々撮っておけば良かったかなというのが、今の後悔だ。

この日に9701Fを撮った最後は、二俣川で何気なく。
とにかくこのスタイルが極めて日常だったから、優先順位が下がりに下がっていた感は否めない。
それと、相鉄を利用する時は意外に様々な予定の合間ということも多く、イベントの参加の頻度こそ
この時以降増えはしたものの、日常記録の蓄積は相対的に減少していっている。

そして、まともに残っている記録の最後は飛びに飛んで今年7月31日金曜日
20000系の甲種輸送を撮り終えた後で、新7000系記録に赴いた合間に撮影していた。

少し停車時間がある合間に、さまざまな並びを撮っていた。
しかしこの時も、特段に意識していたわけではない。

復路もまた二俣川駅で。
この時に、新7000系との並びも撮れている。

そして…
11月に新7000系が去って、次の注目が9701Fと聞き、いつ行こうかと算段を立てていた。
実際は、新7000系と羽沢横浜国大駅開業1周年の記念入場券を買うために相鉄には11月だけで2回も
訪れてはいたのだが、どちらも時間の制約が強くあったため前者は単純に利用のみ、後者に至っては
JR線側のみの利用にとどまり、腰を据えて撮影に出向くことはできずにいた。
日常業務も忙しさが増している現状で、手をこまねいている間についに運用離脱。
結局、再履修は叶う事はなかった。
結果として、この令和2年は営業用車での抵抗制御と日立式電磁直通ブレーキ、方向幕の消滅という
相鉄としては大きな歴史上の区切りの年となった。
結果的に今回は悔しい思いをしたので、そのパワーを改めて違う場所に振り直していきたい。
そして、7000系グループの振り返りはまた時期と項を改めて。