久しぶりに国鉄時代の鉄路からです。九州は北九州市から大分県の日田市を結ぶ日田彦山線(ひたひこさんせん)。ユニークな名称ですが、元は石灰石や石炭を運ぶために敷設された鉄路ゆえ険しい山々を縫うような鉄路も納得がいくような。

 

 平成29年7月の九州北部豪雨による添田以南が長らく普通になっていましたが、残念ながら復旧はかなわず廃線になるようで、バスによる代行はそのままバス化になるようです。非電化区間で単線ながら山間部をつなぐ路線が消えるのは寂しくもあります。そんな日田彦山線を国鉄時代の昭和59年とJRになった昭和63年に訪れた際の様子をお馴染みレイルサロンC60さん撮影分からです。

 

 レイルサロンC60さんより

 添田以南は1回のみの訪問で、山に入り乗客も少なかったような。添田駅には昭和59年11月25日に勝田線・矢部線・宮原線・妻線・添田線・宮田線・香月線を回った際も立ち寄りしました。で、添田駅名板は添田駅健在の頃で今とは異なっていました。大行司(だいぎょうじ)駅には後記のJR化後に立ち寄り列車交換時に撮影をしましたが、面白い駅名ですね。

 

 またまたユニークな駅名の夜明(よあけ)、久大本線との合流でもありますが、列車はそのまま大分県は日田まで走ります。こちらには昭和63年8月20日に田川線・上山田線・糸田線・宮田線を回った際のものです。国鉄時代からJR九州に移行したのは昭和62年4月でしたから、JR化前後に訪れていたようです。話を戻しまして、列車後方の久留米方向にはポイントは無くつまらない線路配置でもありました。

 

 拝見しますに、JR化前後でもあり、言われなければ違いは判らないような。白地に青いラインのキハはJR化後のようですね。最後の画像で現存するJR九州のキハの屋上はスッキリですが、ベンチレータが健在。特に2両目の中間車の屋上が極みのような。そのキハ系も今や貴重な存在かもしれません。そんな様子から。

 

   添田駅名板。映画に出てきそうな味のある駅名板ですね。「いばる」という駅名もユニークな。

   大行司駅では列車交換時に撮影。背景の山々もすぐそばまで迫るがごとくの山間にありました。

        夜明駅にて。久大本線との連絡駅。俯瞰で見れば単調な線路配置でした。