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約2時間半の岩黒島の再訪で
 岩黒島連絡橋の橋脚土台に彫られたクマゼミ、移転前の学校跡を探訪し
 
運良く干潮で黒浜海岸から西岸までの海岸線も辿る事が出来ました
 
黒浜海岸での昼食中に体調を崩しましたが
 熱も無く、少し休んで回復したので何とか櫃石島も廻れそう
 
櫃石島では15時55分に路線バスを降りて
 17時40分の児島駅前行き最終便に乗らねばならないので
 
探訪時間は1時間45分しかありません
 
櫃石島での元日探訪の見残しポイントは
 時間切れでやむ無く直前で引き返した花見山をはじめ
 
下津井瀬戸大橋の南橋台にある櫃石島の当時の子供たちの手形レリーフ、堂の浦、西浦海岸、宝珠寺、櫃岩と広範囲に沢山あります
 
中でも一番のポイントはこの写真キラキラ
 
このカンカン帽を被った紳士が腰かけている岩を確認することです爆笑
 
この人物こそ東山魁夷画伯(1908-1999年)で
 横浜生まれですが、祖父が櫃石島で生まれ育ったそうな
 
1959(昭和34)年51歳の時に櫃石島で描いた『暮潮』を第2回新日展に出品
 このモノクロ写真はその時のものかも知れませんね
 
51歳にしては少し老けてるような気もするけど(;^_^A 
 
あ!唐突でした r(≧ω≦*)スマンスマン
 この写真には元日の探訪後に再チャレンジの為、花見山のルートを調べていて遭遇しましたw
 
坂出市観光協会が主催する
このツアーに2013年に参加された方のブログで紹介されており
 
花見山でこの写真の場所を訪れたそうです

香川県立東山魁夷せとうち美術館は東山魁夷画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身で、香川県とゆかりが深いことから、
 ご遺族より版画作品270点余の寄贈を受けてこれらの作品を広く鑑賞出来るように平成17年4月に沙弥島に開館しました
 
美術館の廊下にこの写真が飾られているそうな
 
氏は瀬戸大橋の塗装色を提案した事でも知られています
 

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さてさて
 
ご訪問頂きましてありがとうございます
 
前回の「岩黒島の黒浜海岸から海岸線を周回」から続きます
15時48分に岩黒島高架橋上のバス停を出発したバスは
 岩黒島の両側に連なる二連の斜張橋の北側の櫃石島橋を渡ります
 
櫃石島橋を渡ると直ぐに流出線へバスDASH!
 

15:50 ⑦

櫃石島インターチェンジには上下線にランプがあります

 

15:51 ⑧

上下線ともにそれぞれ流出入ゲートが設けられており、

 許可を得た車両が坂出方面から岩黒島へ向かう際には、ここで反対車線の下り線へUターンします

 

そのためのロータリーが設置されており

 与島PAと同様にゲートを2回通過してチェックを受ける事になります(はみ出し分の料金が発生します)

 

一般車両乗り入れ禁止の島内へは

 奥にある県道273号線と繋がるもう一つのゲートを潜らねばなりません

 

櫃石島には櫃石島、小学校前、櫃石の3ヶ所のバス停があり

 集落の中心にある櫃石バス停で折り返します

 

15:54 ⑨

櫃石島の島内道路と繋げるゲート

 一般車両はここを通過する事は出来ません

 

15:57 ⑨

ランプを下る時にゲートが渋滞してるのが見えたので

 おかしいなとは思ってましたが

 

島内から流出するゲートが故障してバーが上らないって!

 

バスの運転士に、「入ったら出られなくなるよ」

 って話しかけてるのが聞こえました滝汗

 

といっても路線を変更する訳にもいかず、

 携帯電話で状況を説明して会社の指示を仰ぎ、島内へ乗入れるみたいバスDASH!

 

櫃石バス停

 

16:03 ⑩

定刻より8分遅れで櫃石バス停へ到着バスDASH!

 ここで、私の他に1名の乗客が下車

 

この便には釣り客や路線廃止前に乗っておこうという風体のカメラを手にした人など10人程が乗ってました

 

無事にゲートを通過出来るのかなバイバイ

 

16:05 ⑪

櫃石バス停がある島の集落は北部に位置しており、下津井瀬戸大橋がバス停からも望めます

 

この橋の中央に香川と岡山の県境が通ってますが

 境は樽を流して決定したそうなニヤリ

 

櫃石島観光マップ(PDF)

 

先ずは下津井瀬戸大橋の橋台SB4Aアンカレイジに向かいますが

 それらしい手形のレリーフは見当たらず

 

もっと先かと進んでいるうちに堂の浦へ

 

16:21 ⑫

時間は無いけど

 此処まで来たのならと下津井瀬戸大橋直下の北端へ向かいます

 

16:24 ⑬

 

16:25 ⑭

下津井瀬戸を挟んだ対岸には下津井漁港

 蛸が有名ですねタコ

 

 

 

 

 

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ここで行き止まりで周回は出来ないみたい
 
櫃石島側には下津井瀬戸大橋のケーブルを支える大きなアンカレイジが設置されてるけど
 鷲羽山側は景観上の問題から鷲羽山トンネルの直前の地中にSB1Aトンネルアンカレイジが設置されており
 
本州側から鷲羽山トンネルに突入すると
 出た途端に下津井瀬戸大橋上になります
手形レリーフを探しながら県道まで戻ろう
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16:33 ⑮
折返しでSB4Aアンカレイジをよく見ると奥の方に蔦にまみれたレリーフを発見
 想像してたよりも小さくて見つけ辛かったけど、それにしてもこの荒れ様はどうしたのかな?
 
子供の手形64名分なのでそれほど大きくなるはずも無く
 アンカレイジが巨大なだけに余計小さく感じられました

 

このレリーフは4Aアンカレイジの打設が完了した1983(昭和58)年当時の櫃石島の子供たち全員の手形です

 

37年前には櫃石島にも幼稚園、小学校、中学校があり

 64人の子供たちが通っておりましたが

 

架橋後も人口減少は続き、すべて廃校になってしまいました

 

 

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16:36 ⑯
こちらは宝珠寺の手前にあったミニ石仏霊場
 
瀬戸大橋の架橋工事で集められた沢山のお地蔵様たち
 纏めてここに祀られる事になったそうな
 
宝珠寺も訪問する予定でしたが
 時間が無く、王子神社へ続く石段を駆け登ります
 

16:38 ⑰

王子神社隣の花見山へ続く小道を進みます

 花見山の小さな標識があります

 

16:39 ⑱

前方に見える白い主塔は下津井瀬戸大橋の南主塔

 

櫃石島高架橋の線路(本四備讃線)と車道(瀬戸中央自動車道)の間を渡る大浦通跨線橋で瀬戸大橋を越えます

 

跨線橋に足を踏み入れようとしたその時

 轟音と共に岡山方面からの列車が通過して往きました電車DASH!

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元日にはタイミング良く列車はやって来なかったけど

 今回はマリンライナーがやって来たぞ〜

 

3145Mマリンライナー45号でしたバイバイ

 

16:40 ⑱

大浦通跨線橋を渡ります走る人

 

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16:42 ⑲

ここから先の道は酷いものでした

 大きな葦の様な草が行く手を遮り、蜘蛛の巣も張り巡らされてるゲッソリ

 

跨線橋を渡ると標高が上り、瀬戸大橋よりも高くなるので

 櫃石島高架橋越しに四国が見えたのですが・・・

 

今回は草が繁茂しており見通すことが出来ません

 

元日にはここでバスの時間まで残り12分となってダッシュで駆け下りましたあせる

 

更に藪をかき分け進んでいくと

 島の共同アンテナの施設の隣に分岐がありました

 

ここに花見山の標識がありますが、小さいので草が繁茂してると見落とすかも

 

16:45 ⑳

ここから先は草木の繁茂する未踏の山道

 

バスの時間までもう1時間を切っておりますが・・・

 こんな荒れた山道に踏み込んで大丈夫なのかな

 

迷って17時40分の児島駅前行きに乗り遅れたら

 島で唯一の民宿池田さんに泊まるしかないな( ̄Д ̄;;

 

予約して無いので晩御飯は無しやなw

 などと考えながら草をかき分けて進んでいると・・・

 

あっ!

 こ、この場所は・・・ポーン

 

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16:46 A
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まさしく

 かずちゃんママさんのブログで紹介されてた場所に違いない!!

 

16:46 A

西浦海岸の左にはモノクロ写真の頃には無かった

 櫃石島橋・岩黒島橋の二連の斜張橋の主塔が4本連なってる

 

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べた凪の瀬戸内海と塩飽諸島

 

東山魁夷画伯もこんな風景を描きにやって来たのかなニコニコ

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画伯が腰かけたと思われる岩からの眺め

 

さらに進んでいくと

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16:48  B

本州の笠岡市や水島工業地帯も見えて来た

 

16:49  C

下津井瀬戸を跨ぐ下津井瀬戸大橋も現れたぞ~

 

16:49  C
対岸の倉敷市下津井には
 小与島のホテル アクア小与島と同じ系列で閉鎖されたホテル ラ・レインボーが見える
開業当時世界最大の回転昇降式展望台のタワーも建ってる
 何年か前に解体されたって聞いた様に思うけど現存してたんですね~
 
タワーが右に傾いているように見えるけど・・・
 目の錯覚かな?目
 

16:49

対岸の下津井には、かつて児島から下津井まで軌間762mmナローゲージの下津井電鉄線が走っていました

 

 
瀬戸大橋開業後も観光列車も新調して生き残りを図りましたが1990年12月31日で廃止されました
 バス部門で鉄道の赤字を補填していたようですが本四備讃線の開通で茶屋町-児島間のバス客を奪われたことが遠因みたい
 
その廃線跡は倉敷市によって遊歩道(風の道)として整備されており、自転車や徒歩で辿る事ができます

 

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16:50  C

花見山は越前松平藩の石切丁場でもあり

 大阪城へ運ぶ予定だった刻印された残石があった筈ですが確認できませんでした

 

あらためて、かずちゃんママさんの記事を拝見すると標高79mの頂上にも行けたみたいです

 

 

 

3島ものがたりのパンフでは花見山の頂上を廻り込んで宝珠寺へ戻る様になってるけど・・・

 

ここから先は稜線に沿った道もトラバース道も確認出来ませんでしたが

 予めここに在ると思って辿れば発見出来たかも知れないので是非とも再訪してみたいです

 

道が途切れたので折り返します

 

16:53  D

折り返しの途中で海側への分岐が見つかり

 そちらへ向かうと砂地のスペースが広がってた

 

A地点から斜張橋の4本の主塔が入る様に撮った16:46の写真の白い円で囲んだ部分です🤗

 

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16:53  D

広場から先ほど折り返した花見山周辺のトラバース道方面

 

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16:54  D

広場の先からの眺め

 

この記事を書いていて気が付いたのですが

 先程、東山魁夷画伯が腰掛けた石と断定した場所をあらためて写真と比較してみると

 写真では足元は岩では無くて砂地になってる

 

それに、少し高い場所から海岸線が写り込む位に俯瞰気味に画伯を撮ってますが

 あの場所にはそんなスペースは無かったはず・・・

 

背景の西浦海岸や本島はほ同じ様に写ってるのでこの辺りである事は間違いないのですが・・・

 

もしかして、ここなんじゃねー?

 

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16:54  D

ほらほらあそこに・・・

 ほて向きの岩があるじゃないの

 

あの岩に向こう向きに腰掛けて

 

その向こうの少し高い場所からカメラを構えると同じように写るんじゃないのかな?

 

この広場の先から撮った写真Dにも西浦海岸と本島が同じような感じで写ってる

 

現場で気付けば良かったのですが、

 それ程しっかりと写真を覚えてたわけでも無いので

 

最初の場所で間違い無いと思い込んでました

 

確かめてみるには撮影位置と思われる場所から上の写真の石に向かって構図を確認するしかない

 

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画伯の写真と比べると、本島と手前の向島の重なり具合がほんのちょっとだけ右に寄ってるような気もするけど・・・

 

如何でしょうか・・・

 皆さんはどう思われます?

 

 

バスの時間まで残り45分アセアセ

 まだまだ訪ねなければならないポイントは沢山あるので先を急ぎまする

 

16:55  E

花見山への道を共同アンテナ施設前の分岐まで折返します

 

16:56 ⑲

草の繁茂した分岐点まで戻って来ました

 出来るなら西浦海岸へ向かいたいのですが・・・

 

さてさて、

 右左どちらに向かいましょうか

 

長くなりましたので、今回はこの辺で

 

 

ガーミンコネクトによるGPSトラックログ

今回の移動区間⑥-E-⑲

 

今回もお立寄り頂きましてありがとうございました

 

次回も見てねバイバイ

 

 

 

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