国鉄磐越西線の記憶 路線のこと その6 | スプーンの気まぐれ日記

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ヤフーブログから引越して来ましたが、すでに日記ではありません。「気まぐれ」ですから、投稿は密になることも疎になることもございます。
海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

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徳沢を出た列車は目まぐるしく向きを変えて走ります。阿賀野川と山に挟まれた崖を、鉄橋と連続する落石覆いで越えて行くのです。新潟県に入って最初の駅は豊実です。今でこそ対岸に渡る立派な道路橋が架かってますが、50系客車の時代までは渡し船でした。 更に旧型客車が現役だった頃は渡船場まで手押し(だと思われる)軌道があり、重い荷物はトロッコ(おそらく手押し)で運んで小さなクレーンで船に積んでいた様です。

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次は日出谷。旧型客車時代は始発終着駅でした。にぎやかな雰囲気で駅弁の販売もあり、ホームこそ島式1本ですが、客車編成の夜間滞泊や旅客列車が貨物列車を追い越すための側線が上り用と下り用にあり、会津若松駅構内にある様な照明塔、蒸気機関車用のカマ替え用ピットや給水スポート、そして新津寄りにはC57やD51が転向可能な転車台が設置されていました。日の出る谷という名前がとても気に入った駅であります。

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(画像は下り貨物)

 

ターンテーブル(の跡)を右に見て本線は左にカーブし、当麻橋梁を渡ります。右に左にカーブし、下り勾配で約2kmの平瀬トンネルに入ります。今さら説明の必要がないくらい「新幹線が通れる大きさで建設された」というトンネルですが、出入り口のポータルの規模ではそれが判りませんね。トンネルの内壁をよく見ると内径が拡がる段差があり、そこで標準軌対応の車両限界に拡がっている様に思います。トンネルを抜けると深戸橋梁を渡って鹿瀬に着きます。

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上り列車は鹿瀬を発車して、平瀬トンネルへ向けて加速して行きます。C57180も真剣で素晴らしい走りを見せる区間であります。駅の北側にはかつて昭和電工鹿瀬工場があり、駅からは貨物の専用線が延びていました。北側には鹿瀬着発の貨車のための側線と入換用DLの車庫がありました。駅本屋は屋根が高くて立派な造りになっています。鹿瀬から津川にかけて地滑り災害が発生しやすい区間に由来するのか、通年で徐行区間になっているようです。地滑りの末端部が阿賀野川に面しているため、川の流れによる侵食で地すべりが起きやすく、厄介な区間となのでしょう。車窓左に赤い「きりん橋」が見えて津川に着きます。ここは東蒲原郡の行政や経済の中心となる町で、駅舎も立派。現在も列車交換設備があり、かつての日出谷駅の機能はここに移って来ました。ばんえつ物語が走るタイミングでカマ替え用のピットと給水設備が整備されました。夜間滞泊可能とのことですが、現在は無いようです。津川を出た列車は川幅が拡がった阿賀野川に沿って快調に走ります。左遠くに揚川ダムが見えると右にカーブして白崎トンネルに入り向きをほぼ真北にして三川駅に着きます。今は手前のトンネルにその名前を残していますが、かつての駅名は白崎でした。

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(画像は上り列車)

 

発車した列車は右手上方に中学校を見て左カーブ。御前橋梁で阿賀野川を渡ります。磐越西線が阿賀野川を渡るのはここが最後で、この先は南側を川に沿って走ります。

Ω状の大きなカーブは人気の高い撮影地で、家並みが続くと五十島。ここから先はまた崖っぷちを通ります。落石除けの連続です。

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(画像は8mmフィルムより)

 

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(画像は8mmフィルムより)

 

 

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(画像は8mmフィルムより)

 

川の向こうを国道49号線が走っています。線路がやや川から離れ、国道がこちらの岸に渡って近づいてきたところで東下条。道路はまた川を渡りますが、磐越西線はカーブで進み、川沿いにある温泉街、咲花温泉に着きます。以前の駅名は咲花でした。およそ3km西に進んで次は馬下です。まおろしなんて子供の頃は読めませんでしたね。

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新潟・新津からの区間列車は蒸機列車の時代は日出谷折り返しでしたが、気動車列車は馬下で折り返しとなりました。ホームは3番線まであります。駅舎こそ標準型木造駅舎から変わっていますが、若松寄りにはレンガ造り油倉庫が残されています。