皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

最近はキハ58系模型購入はほぼ買い尽くした感があり、ネタも尽きつつあります。寒くて行動力が落ちていることもあり、しばらくは小ネタが続くかもしれませんがご了承願います。今回は「改造を受けたものの短命だった」車両をご紹介します。

 

鉄道車両が改造を受ける際は、大抵はその後も継続して使用されるであろう車両に施工されるものであり、施工後は特に他の車と比べても長く使用されると思われるでしょう。しかし、中には費用をかけて改造などが施工されたものの、余命短く廃車になるという車もいます。今回はキハ58系のなかでそんな車両をご紹介しましょう。まず第1弾としてキハ28 3005をご紹介します。この車の末期は私的には非常に驚きでした。

 

実はこの車の晩年に会っていますのでご紹介します。なお同じような仲間に3019(現在も敦賀で保存されている車)もあります

 

 

↑綾部駅(?)で撮ったと思われるキハ28 3005です。なんだとてもピカピカです。1999年8月16日の撮影です。

 

↑雨どいが埋め込み式になりより美しい張り上げ屋根となり、通風器も撤去されたJR西日本末期の車両延命工事施工車です。同様の雨どい埋め込みは103系・113系・115系電車等で有名でしたが、キハ58系にも同じようなのがいました。ただしキハ58系はもともと張り上げ屋根なのであまり目立ちませんが…。

 

この車は当時福知山配置の一般車で、未だ非電化であった舞鶴線方面へ向かう臨時列車などで使用されていました。

 

この改造は1998年より開始され、車齢の若いごく一部の車両に2001年までの間に施工されました。当時既にキハ58系の淘汰が進んでおり、このような改造を受けた車両は当然最後まで残るものと思われました。

 

このキハ28 3005は1990年代は福知山配置で急行「丹後」に使用され、同急行の廃止後も波動用として集約臨や臨時列車などで活躍していました。そしてこの写真を撮った少し前の1999年3月31日付で車両延命工事を施工し、ご覧のように綺麗な姿になっています。しかし、この年の1999年10月2日に舞鶴線電化により用途を失い、また福知山運転所は福知山駅高架化準備のため閉鎖され当車は豊岡に転属します。しかしこの転属は形式的なもので用途が無いまま2000年3月31日付で廃車となってしまいました。

 

折角延命工事を施工したのに約半年後には舞鶴線電化で用途を失い、同年度末で廃車になった不運な車両です。同時期に福知山区の3005の他、3019・3021も延命工事を施工していますが3019も同時に廃車、3021は「いさり火」号として豊岡で使用された後2003年1月8日付で廃車になっています。3019はその後解体を免れ最終的には敦賀で保存されているのは有名な話です。

 

なお、同時期には同じく福知山配置のワンマン改造車も車両延命工事を施工し、こちらは後に小浜鉄道部や高岡鉄道部に転じて活躍したのに対し、元急行用のボックスシート車はあっさり廃車になってしまいました。同時期にはまだ米子や鳥取でボックスシート車が快速運用で活躍していましたので、これに転用すれば良いのにと思ったのですが、そういう動きはありませんでした。


 

↑上キハ28 2008、下2014

 

米子や鳥取では晩年に車両の検査期限等の関係から、金沢や広島から車両を転入させて検査切れ・状態不良車を廃車してゆきました。この際に、この金沢のキハ28 2008とか2014という超若番車が2001年に鳥取へ転属しています。これらの車も七尾線電化の急行「能登路」整備時、1991年に延命N40を施工していますが、当時既に車齢40年に達しようとしていました。こんな車を鳥取へ転属させるくらいなら、先の福知山の車両延命工事を施工したばかりのモデルチェンジ車を鳥取へ持ってゆけば良かったと思うのですか…。

 

という訳で、折角延命工事を施工したのに半年くらいしか使われず1年で廃車になったというかわいそうな車でした。

 

このような例は他にもありますのでまた機会があったらご紹介したいと思います。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。