久々にアップさせていただこうと思います。
加速する経済成長
昭和25年に勃発した朝鮮戦争は、日本の再軍備を進めることになるとともに、経済復興を手助けすることとなりました。
昭和27年の講和条約発効後も、経済発展を続け、昭和31年の経済白書では、有名な、「もはや戦後ではない」という言葉に象徴されるように、終戦後10年を経て、日本は大きく成長しようとしていました。
以下は、昭和31年年次経済報告(経済白書)の総論で書かれていた、有名な「もはや戦後ではない」というフレーズの部分を抜き出してみたものです。
戦後日本経済の回復の速やかさには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。
しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。経済政策としては、ただ浮き揚がる過程で国際収支の悪化やインフレの壁に突き当たるのを避けることに努めれば良かった。消費者は常にもっと多く物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多くを投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。
昭和31年度版経済白書から、引用
下図は、昭和31年から昭和40年までの国鉄における貨物輸送をグラフにしたものです。
もっとも、自動車輸送は国鉄の貨物輸送以上に伸びているのですが、それは主に近距離の集配輸送などでの扱い量が増えているので、省略していますが、国鉄の貨物輸送も、昭和45年以降の減少が大きくなることを考えると、昭和30年代は大きく上手いることがご理解いただけるかと思います。
比較のために、自動車輸送を除いた内航海運・私鉄・国鉄での輸送量の比較をしてみますと下記のようになり、国鉄の輸送力に追いつくように内航海運も増えていますが、これは港湾の整備が公共事業として集中的に投下されたことによるもので、この間、国鉄は新幹線の建設を含め、自前の資金調達による事とされており、公共投資の額は他の港湾や自動車と比すると、相対的に小さくなります。
出典:経済白書 昭和30年から昭和41年を参考に、筆者作成
そこで、実際にどの程度の投資が行われていたのか、経済白書、昭和39年版から引用したのが下記のグラフになります。
昭和33年頃までは、道路よりも国鉄の投資額が超えていましたが、その後は、国鉄の投資額を上回る道路の整備が行われ、昭和30年代には、中近距離の鉄道貨物輸送は大きな打撃を受けることとなりました。
又、港湾も34年以降投資額全体は大きくなっていますが。
港湾・道路整備などが公共事業として整備されていったのに対し、国鉄だけは自前の資本、もしくは市場からの借入金でまかなうという矛盾をはらんでいたことは、注目しておいていただこうと思います。
いずれにしても、昭和30年代には貨物輸送にあっては中近距離の鉄道貨物輸送はかなりのシェアを奪われ、運炭路線などではまだしも、一般的な貨物だけの路線では、トラックに取って代わられることとなり、国鉄でも地方ローカル線では、貨物扱い駅の集約による合理化などが行われますが、元々のパイが小さいところですので。一通りの合理化が終わるとそれ以上の合理化は難しく、後は駅の無人化や列車本数の削減など、消極的な運営になってしまいました。
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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
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