佐伯駅午前4時30分 9月になると夜明けも遅くなりまだ真っ暗 肌寒ささえ覚える 
ヤード灯に照らしだされたD51456牽引の混1553レ 出発準備を整えて1番ホームに佇んでいた 
コンクリート製の立派な給水塔があったのか この画像を見て気がついた 
そして給水スポートが異常に出張っているように見える 触車注意! 
電化工事が進展しているが架線はまだ張られていない 何かと新発見の一枚 
_IMG2945
1973年9月15日 日豊本線 佐伯 混1553レ D51456


休日のこの日 早暁に佐伯を出発する混合列車で南延岡機関区を訪れることにした  
当時住んでいた臼杵から夜行急行みやざきに乗り ちょうど3時に佐伯到着 酔狂の極み 
2時間近くの待ち時間を佐伯駅ですごした後 勇躍オハフ?に乗り込んだ 
テープレコーダーを持参していたのだが この列車内では何故か録音していない 残念
帰りも混合列車に乗車 D51キャブ添乗の感激を味わったのは その8 D51176記事のとおり 


D51456の「お尻」を客車内から撮影 宗太郎越を終え延岡も近い 空が明るくなっている 
休日でもあり乗客は誰もいない ずっと貸切状態のままだったように記憶している 
客車2輌連結していたはず もしかしたら他の乗客が2輌目にいたかもしれない、、、
197309D51456車内
1973年9月15日 日豊本線 混1553レ車内 D51456


ネコパブリッシングDVD機関車表より 

D51456 汽車製造大阪工場=1875 1940-03-12 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1940-03-12製造→納入;国鉄;D51456→1940-03-12使用開始→配属;仙台局→
配置[仙鉄達第165号];仙台局内→1944-01-31現在;原町→1948-07-00現在;原ノ町→
1955-08-01現在;長町→1965-11-15尻内→会津若松(磐西線管理所)→
1967-08-27大館→1968-04-00現在;大館→横手→1970-08-01土崎工場全検→
1972-12-15南延岡→1974-04-25休車→1974-11-07廃車[工車第977号];南延岡→
1975-01-27貸与[工車第1291号]保存;佐賀県?実現していないかも;D51456 


浪速生まれのみちのく育ち 東北常磐奥羽羽越そして磐越エリアにも足跡を残している 
南延岡区には 秋田グループのD51505 871 923 1095 1122各機と相前後して1972年年末に転入 
南宮崎電化開業まで脱落することなく 日豊本線貨物列車牽引の任務を最後まで全うした 
廃車はD511032ともども1974年11月と遅い 両機が南延岡機関区D51最終在籍車となった  
その後佐賀県鳥栖市への貸与がほぼ確定していたようだが破談 解体された 一つ疑問が浮かぶ 
その14 D51382でも触れた国鉄工作局通達 「工車第1291号」で貸与が確定後NGとなったのか 
滞りなく手配が進んだので通達が発行されるのが通常だろう 急転直下の事情を知りたい


D51456 D51456 D51456 D51456 D51456 D51456 D51456 D51456 D51456


晩秋の冷たい雨の中 下り列車出発まで大分運転所待機線に佇むD51456 
秋田グループD51はシールドビーム副灯取付のまま運用されていたが 456号機は台座のみ 
転入後取り外したのだろうか G鉄の一身上の都合により1972~73年は撮り鉄黒歴史期間  
転入直後の画像がない 別の資料によると奥羽地区在籍時はキャブ前面が旋回窓だったようだが、、、
197311D51456大分運
1973年11月 日豊本線 大分運転所 D51456


電化開業まであと1月足らず 早春の津久見越に挑むD51456 徳浦トンネルがすぐそこ 
下り列車はトンネル内上り勾配のため給気運転を行うが 黒煙防止のため既に投炭は終了 
白煙運転で走行している 中望遠レンズで津久見島を少しだけ引きつけてみた
197403D51456津久見島遠望
1974年3月 日豊本線 臼杵 下り貨物列車 D51456


貨物列車が好き★4歳で覚えたアルファベットはD51のD★13歳の春から20歳の春まで南延岡区D51を捕獲採集 すべての画像に青春の思い出が詰まっている★分類整理考察が苦手なG鉄が大図鑑とはおこがましい 小学生の自由研究レベル以下のレポートである★50年遅れでやっと提出する夏休みの宿題 のようなもの ご批判ご叱責が少ないことを祈っている 


次回はD51482です