昭和54年度から都バスのボディカラーが変更されました。
それまでは、薄いクリーム色をベースに腰部と腹巻きに水色を配したもので、当時の東京都知事の名を取って 「みのべ色」 と言われていましたが、乗客からは 「視認性に難あり」 と評判が乏しくなかったことから、新たなボディカラーを検討しました。そしてお目見えしたのが黄色をベースに、腰部と腹巻きに赤を配した斬新なものになりまして、最近では 「からし色」 と呼ばれるようになっていますが、当時はこれも知事の名を取って 「鈴木色」 と呼ばれました。 「 “視認性” 云々って言うから・・」 と、一目で都バスと判り、尚且つ事故防止にも繋がると、交通局側は自信を持って採用し、翌年度から導入する新車はこの色を纏っての納車となりました。
・・・ところがです。
それを事前に知らされていなかった都民はいきなり出くわしたこの派手なバスに拒絶反応を示しました。
「これが都バス? 冗談じゃなかとよ」
「都の景観に全然合ってないやないかいっ!」
「派手すぎて、乗るのも恥ずかしいだがや」
と散々扱き下ろされてしまいました。
この案件は、政争の具にもなってしまい、新たな塗装変更のプロジェクトが立ち上がりました。昭和57年のことになります。
今回は、いきなりではなくて、事前にいくつか変更案を出し、コンペティションを行うことになりました。
ではまず、 「A案」 から見てみましょう。
白をベースに、緑のナックルラインを入れたもの。派手ながらも落ち着きをどこかで見せているような気がします。
昭和44年度納入車のいすゞBU05Dで、富士重工のR13型ボディを架装しています。画像では見えにくいですが、登録番号は 「足立2 い 2974」 で、ツーマン仕様車 (ワンマン/ツーマン兼用) だった車です。
次いで 「B案」 です。
こちらは前面に思い切って赤を入れていました。
漲る赤、躍動的な赤、視認性もばっちりです。
こちらもA案車と同じ、昭和44年度納入車のいすゞBU05Dです。
スタンディング・ウインドウ、通称 「バス窓」 が懐かしいですね。
そして 「C案」 です。
都バスの前身の一つである、 「青バス」 こと、東京市街自動車のボディカラーを彷彿とさせる、ブルーで決めてみました。
そして、黄色の腹巻きで視認性も確保。
車は昭和45年度納入車の日産ディーゼル4R104 (富士重工製ボディ) です。
この車だけ、江東営業所の配置車でした。
C案車の隣にいるのは、エントリー外にはなりますが、 「参考出品車」 という位置づけで他のエントリー車とともに帯同していました。
岡本太郎画伯のデザインによるもので、どこか、地方のバスを連想させる緑を大胆に使っています。
車は、おそらくいすゞBU05Dだと思うんですが、こちらは川重車体工業製。A、B案車と登録番号が近いので、多分、昭和44年度納入車ではないかと思われます。
この4台とも、退役間近の車を使って塗り直したものでしょうね。
画像は1982年3月に交通博物館でお披露目したものですが、それと前後して、東京都内をパレードして走らせて、都民からアンケート (事実上の投票) を実施し、最終的に選ばれたのは・・・ (ドラムロール)
A案でした。
この案を叩き台にして、些かアレンジを加えていますが見ての通り、ほとんどまんま採用されています。
1982年度納入車 (L) からこのカラーを纏っての納車となり、従来車もこのナックルカラーに塗り替えた車も現れました。
現在の都バスのカラーは、このナックルをベースに、オレンジ色の輪をモチーフにしたものを付け加えていますけど、これは当初、ノンステップバス用のカラーでした。現在の都バス (一般用車両) は全てノンステップですので、オリジナルのナックルカラーは消滅しています。
“からし色” は昭和55年度納入車の日野K-RE101、 “ナックルカラー” は昭和58年度納入車の日野P-RT223AAで、いずれも当時の杉並営業所 (現、小滝橋営業所杉並支所) 配置車です。
でも、やっぱり、都バスは 「美濃部色」 が良いと思うのは私だけでしょうか・・・?
【画像提供】
からし色とナックルカラーはウ様、試験塗装車はヤ様
【参考文献・引用】
バスラマインターナショナルCD-ROM復刻版 「スペシャル1993 都営バスの本」 (ぽると出版社 刊)
バスマガジンMOOK 「永久保存版 都営バス全形式アルバム」 (講談社ビーシー社 刊)
都バス・東京旅情 〈東部編〉 (大正出版社 刊)
都バス資料館