みなさんこんにちは。前回からの続きです。
10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」、その歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」を訪れた際の様子をお送りしています。
興味深い展示を、時系列的に拝見しています。
記事は1972(昭和47)年3月、「山陽新幹線岡山開業」によるダイヤ改正で、余剰になった急行型車両「153系」を、新快速の2代目として塗装もあらたに充当、パターンダイヤも徐々に拡充して来た、というところです。
昭和50年代に入りますと、「ブルーライナー」として親しまれた、この「153系」も老朽化が進み、なおかつ、京阪神間で競合する私鉄特急の豪華な設えの車両に比して、次第に見劣りするようになってしまいました。
そこで、新快速初の新造車両として登場したのが、この「117系」車両でした。
竣工直後の「117系」。
当時の国鉄は、新車を入れるというと、将来的に車両の転属が可能なように、全国的に規格を統一した車両を投入することが当然だったのですが、この車両はその考え方とはまったく異なるコンセプトで、純然たる「新快速専用車両」として製造がなされました。
先ほど触れたように、戦前から私鉄との競合が激しい土地柄という事情が参酌されたのでしょうが、異例中の異例とも言える導入だったようで、管轄する「大阪鉄道管理局」でも大々的なPRをするなど、力の入ったものでした。
この車両には「シティライナー」という愛称が付けられ、1980(昭和55)年1月から順次新快速に投入、冒頭の「153系」を置き換えて行きました。
線形の良さからスピードが出せて、所要時間という点では私鉄に対して大きなアドバンテージのあった国鉄。
ただし、車両の居住性という点では同等にならなかったのですが、この「117系」はその点でも、十二分に通用するものがありました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。