2020年6月26日(金)


旅初日は、新大阪を出発してまずは岡山へ。

路面電車を乗りつぶした後は、日本三名園のひとつ後楽園にやって来ました。

残るふたつは、水戸の偕楽園と金沢の兼六園ですよ。



後楽園は岡山藩主池田綱政によって造られ、藩主静養の場、賓客接待の場として使われました。

綱政は二代藩主で、輝政は曾祖父にあたります。

初めて訪れましたが、受付を終えてすぐに口をついた言葉は「広っ!」



綱政をはじめ歴代藩主が好みで手を加えて徐々に広がった庭園ですが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられています。

写真正面の建物は、藩主の居間である延養亭。

ここに歴代藩主が眺め続けてきた景色があります。



延養亭の前に立つと、園外の山々が借景となりここが都会の真ん中であるとこを忘れさせられます。


先ほど雨雲が通り過ぎたので、太陽が顔を出すと一帯はムワッと蒸し暑さが立ち込める。

フカフカの芝生は濡れて青みを増し、キラキラと光を受けて眩しい。



また豊かな自然では、たくさんの生き物に出会います。

トンボが頭上を飛び、足元から聴こえる野太い鳴き声はウシガエル。

図らずも、絶好の朝の散歩になりました。



今は空堂となっている慈眼堂、元は綱政が藩内の平安と家の安泰を願って建立した観音堂です。

門前にある手水鉢には紫陽花が浮かべられ、花手水として訪れる人の目を楽しませていました。



最近、花手水を取り上げる記事やポスターを目にすることが多いです。

いわゆるSNS映えですが、花を見ると自然と癒されますね。


関西でも楊谷寺をはじめ京都に花手水の寺社がありますが、綺麗な姿を維持するのに相当な手間が掛かっているのだろうと思います。



慈眼堂境内の烏帽子岩に登ると、沢の池の向こうに岡山城の天守がよく見えました。

沢の池は園内で一番大きな池で、橋や船を使って島々に移るのでしょう。



池の近くまで近づくと、立派な錦鯉が泳いでいました。

いつもは近づくと口を開けて騒がしい鯉も、優雅に泳ぐ姿に格の違いを見せつけられた気分です。



あと驚いたのが、タンチョウがいたこと。

調べてみると江戸時代から鶴が飼育されており、戦後一時途絶えた時に2羽のタンチョウが贈られて今は8羽まで増えているとありました。

また限られた時期に、タンチョウが園内散策をする風景を見ることができるとのこと。



これだけ広いのに、全く飽きのこない庭園も凄いですね。

どこからでも岡山城の天守が顔を出すのが良い感じ。

シャッターを切る回数も多くなってしまいます。



年中通して四季折々の花が迎えてくれる後楽園。

6月と言えば、紫陽花ではないでしょうか。

枯れかけた萼片に少し見頃過ぎの印象を受けましが、こんもり丸々の姿は先程の通り雨を浴びて元気そう。




大きなピンク色のハスも咲き誇っていました。

とてもとても大きい花です。



さてさて、クライマックスは中央の小山に登りましょうか。

枝を広げる青もみじも瑞々しく、爽やかな空気を思い切り吸い込む。


庭園の中央、高さ約6mの唯心山を築きふもとに水路を巡らせたのは、綱政の子である継政です。

これで園内に高みがつき、建物から庭園を眺望する楽しみに加えて園内を巡り歩く楽しみができました。

ここは、ツツジの咲く頃が絶景となります。



南西角にある二色が岡は、築庭当時は春の花と秋の紅葉で彩られましたが、現在は野鳥が多く飛来する杉木立となっています。

少し起伏がありますが、散歩にはちょうど良い運動です。



二色が岡の隣には、大名ハスが繁る花葉の池。

んー、こちらは見頃には早かったようです。



予定より後楽園に長居してしまいました。

次は季節を変えて訪れようと心に決め、続いて岡山城へ向かいます。

夏や秋には岡山城と合わせてライトアップも行われるので、日没後も捨てがたいな。



後楽園と岡山城のあいだを流れる旭川を月見橋で渡り、廊下門を潜ります。

廊下門は復元ですが、近くにある月見櫓は現存。

それと、聳える石垣が立派です。



塀に開けられた丸い穴は「狭間」

ここから鉄砲で敵を迎え撃つのですね。

うん、思ったよりも広い範囲が見えます。



表門である不明門を抜けると、いよいよ天守閣です。

次回は、岡山城に登ります。

ではではノシ