気賀三ヶ日線のなかで最西端にあたる三ヶ日町内のエリアには本坂・只木・大谷への路線があり、昭和30年台には都築から大崎半島を進み瀬戸橋までも路線バスがありました。
瀬戸橋を渡る遠鉄バス
靜2あ2811
日野BD14P
社内報"えんてつ"1965年3月号表紙
日野"ブルーリボン"に富士重工R11車体を架装した床下エンジン車。遠州鉄道では1950年〜1960年代前半までこの車輌を多く導入しています。車体架装も主に富士重工製車体を架装しているが帝国車体や川崎航空機架装車も導入されています。写真は瀬戸橋を渡る貸切バス。
瀬戸橋を渡る"快速奥はまなこ号"
靜2う・902
日野BD15(1965年)
1964年7月より豊橋鉄道と相互乗り入れで快速バス"奥はまな号が運行されました。豊橋駅から藤並ー二川中町ー荒古ー新所原ー太田ー瀬戸橋を結び所要時間55分、運賃は90円。両社5往復ずつ10   往復運行されました。
瀬戸橋前の遠鉄バス
靜2う‥52
三菱MAR470(1961年)
1965年頃
社内報"えんてつ"より
浜名湖名勝地と云えば弁天島堀江(現在の舘山寺)、そして浜名湖猪鼻湖を結ぶ猪鼻瀬戸に架かる瀬戸橋があり、1966年7月豊橋大知波線(多米峠有料道路)の開通、1968年4月に浜名湖レイクサイドウェイ(瀬戸橋ー都築間)の開通、1969年2月には東名高速道路(三ヶ日インター)開通奥浜名湖の農村であった(旧)三ヶ日町は昭和40年代に入りリゾート地としての開発が行われ、1973年に遠州鉄道ホテル寸座ビラージ及び遠鉄マリーナを開業しました(1981年にヤマハリゾートへ経営譲渡)。

当時の浜名湖は地元資本の遠州鉄道舘山寺温泉開湯(1958年)舘山寺ロープウェイ・遊園地の開設と観光開発が相次ぎ、名古屋鉄道浜名湖へのアクセス道路開通に伴い様々な観光開発計画を打ち出します。更には当時遠州鉄道は遠鉄観光汽船を1961年に設立、従来村櫛を起点に客貨船を運行していた村櫛汽船を買収してフェリーを運行していましたが西武グループが海上交通に於いて浜名湖遊覧船東名高速道路浜名湖サービスエリアの運営に近鉄グループが参入するなど昭和40年代は浜名湖を巡り争奪戦が勃発していました。

当時の浜名湖観光開発の
熾烈な競走を報じる当時の経済誌
"東海展望"
現在、浜松市北区(旧細江・「引佐・三ヶ日町)遠鉄バス細江営業所が担当していますが、以前は遠州鉄道遠州鉄道三ヶ日営業所がありました。
遠州鉄道三ヶ日営業所
1983年頃
遠州鉄道40年史より
1957年4月に三ヶ日貸切営業所が開設されます。これは貸切車庫と云う訳では無く観光業務受付乗車券検札窓口を行い路線バスの駐泊所ともなっていました。
1964年7月の三ヶ日地区の路線は浜松と三ヶ日はダイレクトに結ばれて急行バスも運行されていました。しかも、急行気賀三ヶ日線は晩年はローカル線となった大福寺・只木まで直通運転がなされていました。都築からは大崎半島を経由して瀬戸橋まで路線バスがありましたがローカル線でした。
貸切営業所は1975年現在では春野車庫・大須賀車庫・山梨車庫も同様の車庫となっており一部の貸切営業所は委託業務を受ける(委託)社員が住み込みで勤めていました。
、その後三ヶ日出張所となり1967年8月には鉄筋コンクリート二階建ての建物(2階は社員寮)と給油施設・整備工場が作られました。1971年9月に三ヶ日営業所に昇格しました。
三ヶ日線:大谷地区への乗り入れを報じる
社内報:えんてつ(1968年5月号)
三ヶ日営業所気賀三ヶ日線湖西線を幹線路線として、先述の通り大谷地区への乗り入れは1968年4月、本坂へもこの頃に開業したものと思われますが不明です。