房総特急用の183系0番代が 「あずさ」 のマークを掲出しています。 「えっ!?」 と思う方もいらっしゃるのではないかと思いますが、臨時運用でもなければイベント列車でもなく、れっきとした定期列車でした。

冒頭お伝えしたように、183系0番代は房総特急での運用が本来の仕事。それに混じって間合い運用で他の特急にも使われることがあり、その代表格が 「あずさ」 だったりします。まぁ、もっとも、 「あずさ」 以外の運用は臨時列車ばかりでしたけどね。

「あずさ」 は昭和41年に登場した特急列車ですが、その時は田町電車区 (東チタ~後のJR東日本田町車両センター) の181系が充当されていました。その後、新潟、さらには長野へ運用が移管されますが、長野運転所 (長ナノ~現在のJR東日本長野総合車両センター) の181系は他に 「あさま」 も請け負っていたので、車両が絶対数不足します。そこで、昭和48年10月から一部の 「あずさ」 が幕張電車区 (千マリ~現在のJR東日本幕張車両センター) 配置の183系が引き受けることになりました。

 

昭和53年10月改正以前は、下りの2号、4号、5号、9号、10号、上りの1号、2号、6号、7号、8号が183系の担当で、他は長野の189系が担当していました。なお、たまに間違えている人がいますけど、昭和50年から181系に代わって 「あずさ」 の運用に入ったのは183系1000番代ではなくて、 「あさま」 と共通運用の189系。 「あずさ」 に183系1000番代が加入するのは昭和57年11月改正からになります。

 

さて、 「あずさ」 といえば、往年の名曲 「あずさ2号」 を思い浮かべる方も多いかと思いますが、実際の 「あずさ2号」 はこの183系が使われていました。で、歌に出てくる 「あずさ2号」 は 「♪春まだ浅い信濃路へ・・」 という歌詞があることから、多分、下りの2号をモデルにしているだと思います。

 

 

こちらは、昭和53年8月現在の下り 「あずさ2号」 の時刻表になります。

下り 「あずさ2号」 は、松本までは定期運用なんですが、シーズン中は白馬まで延長運転されていました。松本を出発すると、途中、信濃大町のみに停車して、白馬着はお昼の1時前。この頃の大糸線は、東京 (新宿) から名古屋から大阪から、様々な優等列車が乗り入れていましたが、今は定期では 「あずさ」 1往復だけしか乗り入れてきません。

 

前々回の 「あさしお」 の時にも申しましたが、やっぱり特急列車は停車駅が少なくてこそ特急列車。時刻表で通過を示す 「レレレレ・・・」 が続くと、 「こうでなくちゃね」 と思わず顔がほころびます。列車によっては大月に停まったり、塩山に停まったり、韮崎に停まったり、小淵沢、茅野、下諏訪に停まったりするのもあります。そういう意味では、下り 「あずさ2号」 は、かなりの速達タイプということが言えると思いますが、他にも言えますが。今の 「あずさ」 なんか、停まりまくりですもんね。 「 “特急” の看板を下ろせっ! “快速” でいいっ!」 って言いたくなります。

エル特急が設定された段階で、183系が出てきた段階で、国鉄特急は既に落日の兆しが見受けられたという当時のオールドファンのツッコミは凄まじいものがあったそうですが、それでもまだ威厳、あるいは貫禄は保たれていたはず。赤字に悩む国鉄が何とかして増収への足がかりを摑みたい一心でエル特急は設定された経緯がありますので、 「あずさ」 はヒット曲の相乗効果もあって、貢献はしたと思っています。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.832 (電気車研究会社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第6号 「北信越」 (新潮社 刊)

国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)