JR嵯峨野線と、国鉄山陰本線京都口とは同じ線区とは思えないほど変貌している。国鉄時代の面影は八木駅舎が橋上化されるとますます薄れていくようだ。

保津川沿いのトロッコ列車の旧線を見下ろしながら複線のトンネルと橋梁を一気に駆けると、馬堀の田園風景に出る。その先の並河には色褪せたDD51が置かれていた。朝夕の通勤時間、あるいは郵便荷物車を連結した長距離の客車列車が気動車と共に普通列車を担当していた。列車の行き違い待ちを繰り返しながら、のんびり走っていた。


その残り香のような八木の旧駅舎が姿を消した。古びた跨線橋に掲げられた紺色の案内表示はかつての旧型客車列車を思い起こさせるのに十分であった。

福知山ゆき…
京都を夕方の4時ごろに出るのが旧型だった。退勤時間には少し早く、下校の高校生が多くを占めていた。最後尾にナハフ10-27が連結されることが多く、彼らはデッキに腰掛けたりしていた。今では考えられないが。

山陰本線京都口にも50系客車が投入されてきた。
しかし、この福知山ゆき、50系客車には向かないようだった。乗客のクレームである。梅小路の留置線に夕方まで置いておくと、夏場は車内が暑くなり過ぎて乗れないのだそうだ。冷房付きの12系が指名された。
旧型の時は普通に運用されていたのに…。聞くところによると、屋根の高さが車内の温度に影響するのではないか?との事であった。旧型客車はなるほど屋根が高い。
そういえば八木の旧駅舎も屋根が高い。冷房が普及していない時代からの建物である。

駅舎に限らず、京都の町家も一部が吹き抜けになっている。さらに風通しも良く、夏の暑さへの知恵だろう。
そうした古い街並みを求める観光客が多いのも昨今の京都。その割りにはコロナの感染者が今のところ比較的少ないようだ。
もしかしたら、この風通しのいい町家、さらには高さ制限での陽当たりの良さがウイルスを敬遠させているのかもしれない。もちろん油断は禁物であるが…。