旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【8】

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前回のつづきより

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 185系にスポットをあてた記事を最後に投稿してから、もう1年以上が経っていました。連載記事となると、どうしても時間が必要になってしまい、本業との兼ね合いもあって一旦中断していました。

 ここにきて、185系の引退もカウントダウンの状態になってきたので、それまでには、この国鉄最後の特急形電車となる185系についてまとめておこうと思い立ち、投稿を再開しました。

 引き続き、ご愛読いただければ筆者として嬉しい限りです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

(7)東北、上越線系統の185系

 1987年の分割民営化で、185系は0番代が田町に、200番代が新前橋と田町に配置されたままJR東日本に引き継がれました。田町配置の車両たちは変わることなく東京対伊豆の特急「踊り子」を中心に、東海道本線普通列車湘南ライナーなど、多様な列車に充てがわれて活躍を続けました。

 一方、新前橋配置の200番代はというと、製造当初は東北・上越新幹線の専用連絡列車「新幹線リレー号」として活躍しましたが、東北・上越新幹線が上野まで延伸するとその役目を終えて、上野から東北・上越線方面への近距離特急群に充てられるようになりました。

 これらの列車は「新特急」という、それまでになかった列車種別を冠していました。「新特急」と種別の響きは、どことなく「これまでになかった、新しい特急列車か?」という思いを抱くこともあるかと思います。もしかしたら、従来の特急列車よりも速達性が向上したのかとか、サービス面で従来よりも更に格上になったのかと考えても不思議ではありません。しかし、この「新特急」に充てられたのは185系200番代だったので、このいずれも当てはまることはありませんでした。

 むしろ、誤解を恐れずに言えば「新特急」は、従来の特急よりも簡便で格下の存在だったと言っていいでしょう。そもそも、「新特急」が設定された区間では、従来は急行列車が設定されていました。例えば、「草津」は上野と吾妻線の上野原草津口間を結ぶ列車ですが、そもそもは急行「草津」として運転されていた列車でした。

 1971年には毎日5往復が運転されるほどの盛況ぶりだったようで、首都圏から手軽に行けるリゾート地である草津温泉や園周辺の人気ぶりは、その運転頻度からも想像できます。そしてこの年には、急行「草津」の実質的な増発となる特急「白根」が157系によって運転されるようになりました。とはいえ、ここでの主体はあくまでも急行「草津」であり、特急「白根」は臨時列車としての設定だったので、上越新幹線の開業までは「草津」と「白根」の二本立てでした。

 

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民営化後の新特急「草津」。185系200番代は、当初はホワイト・アイボリー地に緑2号の帯を巻いたおとなしいものだった。これは、東北・上越新幹線の200系と一体感をもたせる狙いがあったという。(©spaceaero2, CC BY 3.0, via Wikimedia Commonsより引用)

 

 この他にも、「谷川」→「水上」や「あかぎ」「なすの」など、「草津」と同じく急行列車として運転されていた列車が、「新特急」として生まれ変わるのでしたが、こうしたあたりは東海道本線で運転されていた急行「伊豆」を格上げして「踊り子」となったことと類似していました。

 しかし、急行時代は165系ボックスシートという設備で、その料金からも妥当な価格設定でした。しかし、「踊り子」の項でもお話しましたが、急行時代は適当だったのが、185系に車両を変更した上に特急へ格上げという施策は、185系の座席が他の特急型電車が装備していたリクライニングシートではなく、ボックシートよりはわずかに良くなったとはいえ、それでも転換クロスシートを装備していたことは、同じ特急列車とは言い難い格下の接客設備だったのです。

 そのため、「踊り子」では急行料金よりも高い料金設定であるにもかかわらず、「あまぎ」として運転されていた183系に比べて設備が貧弱だったがゆえに、特急とは名ばかりの体のいい値上げとまで揶揄されたという話もあるほど。さすがに国鉄としても同じ轍は踏み分けにも行かず、上野から東北や上越方面には189系や485・489系で運転される特急列車もこの時点ではそれなりの本数が運転されていたので、165系に毛が生えた程度の設備しかもたない185系で、同じ特急料金を取るとなると、ただでさえ世間から向けられる視線は非常に厳しいこの時期だったので、更に追い打ちをかけるような批判にさらされるのは明らかでした。

 そこで、国鉄は新たなサービスの設定とし、厳しい批判をそらそうとしたのが「新特急」だったのでした。え新特急では、料金設定を急行列車並みに抑え、定期券の利用者も特急料金を払うことで利用が可能(従前の特急列車では、定期券利用客は乗車する区間の有効な定期券を持っていても、別に普通乗車券と特急券の両方を買わなければならなかった)という、国鉄の特急列車の伝統を良くも悪くも打ち破るものだったのです。

 そうした新特急として設定された近距離特急列車群は、並走する新幹線を補完しつつ、旅行者にとっては安価な料金だけである程度早い列車として、通勤利用者にとってライナーのように着席して通勤を可能にする列車としての役割も担いました。そして、それらの列車に充てがわれた185系200番代は、民営化後も引き続いて新特急として、東北本線高崎線上越線吾妻線で走り続けたのでした。

 

《次回へ続く》

 

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