昭和39年10月時刻表 紀伊の前身、那智、伊勢 | 鐵の道

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主に鉄道を絡めた写真を撮っては掲載しています。

以前にも掲載したことがあると思いますが、再掲。

 

 

ブルトレ「紀伊」の前身は、「伊勢」、「鳥羽」だったのだろうと思います。

 

需要がなく、紀伊も廃止となってしまいましたが、江戸時代から、伊勢神宮の参拝は、年間300万人だったそうです。

 

1日1万人ペースです。

 

新幹線のぞみの乗

車定員が1300人ですから、10本は必要ということになります。

 

それを考えれば、夜行重要もあるんじゃないかと思うんですが、、、、、。

 

 

 

 

 

 

話は変わりますが、昨今は、コンビニやスーパーの24時間営業が問題視されています。

 

年末年始ぐらい休もうとか、夜は寝るものとか、という意見が散見されます。

 

でも、

 

昭和39年10月の時刻表を見ていると、国鉄全体、特に主要駅、本線系統は、完全に不夜城です。

 

当時はSLも走り、機関士、機関助手、車掌と、今では機関士1名の貨物運行も、当時は3名以上の乗務が必要。

保線も機械化されていないから、今以上の人足は必要です。

高速道路も未発達で、トラックでの運送はメインではありませんでした。

 

昭和39年当時は、駅は不夜城ですから、駅にさえ出向けば何らかの商売が成り立ちます。

 

今は、運送のメインはトラックで、トラックは鉄道と違い、移動できる自由度が格段に違います。

それでも、トラックが多く通るであろう街道には、コンビニができて当然だと思います。