番外 運航休止から9年になります、北九州日明港~下関荒田港を運航、「関門海峡フェリー」の乗船記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 今から9年前になります平成23年11月30日まで、福岡県北九州市の日明港から、山口県下関市の彦島・荒田港間に、「関門海峡フェリー」と呼ばれますフェリー航路が運航されておりました。
 
 この「関門海峡フェリー」とは、自動車を載せる航路としては唯一の航路であったものでありまして、「関門橋」や「関門国道トンネル」が下関市内~北九州市門司までの区間であったのに対しまして、この「関門海峡フェリー」に関しましては北九州市小倉までを結ぶフェリーであった事もありまして、ピーク時は年間43万台にまで上っておりました。
 
 そもそもこの関門間では、鉄道連絡船に関しましては「関門連絡船」が明治34年に運航を開始しておりまして、明治44年からは鉄道車両(貨車)を航送するようになっておりましたが、自動車航送に関しましても昭和25年に自動車航送船が運航開始されていたものの、昭和33年の関門国道トンネルの開通によりまして廃止されまして、そして、昭和46年に関門海峡フェリーの前身であります「関九フェリー」がその区間で運航を開始しまして、その後「山九フェリー」を経まして「関門海峡フェリー」として運航されておりました。
 
 
 しかし、原油価格の不安定さによる経費増や、関門橋のETC区間割引などによります通行料金値下げなどもありまして、フェリーの利用台数は減少の一途をたどりまして、利用台数も平成22年にはピーク時の4割以下にまで台数が減っていた事もありまして、結果平成23年11月30日を持って関門海峡フェリーの運航を休止する事になったものでありました。
 
 
 さて、ここからは運行休止前の平成23年10月に撮影・利用しておりました、「関門海峡フェリー」の姿を皆様には回顧としてご紹介してまいります。
 
 
 関門海峡フェリーは、先述のように福岡県北九州市の日明港から、山口県下関市の彦島・荒田港間約2.5キロを13分で運航されておりました。まず画像は、彦島・荒田港での姿でありましたが、この港の発着所内には、この関門海峡フェリーの本社・レストランも設けられておりました。
 
 (彦島・荒田港発着所・本社) 
 
 (同・桟橋)
 
 
 一方、こちらは日明港に設けられておりました発着所・桟橋であります。ここには後述のように食堂も設けられていたなど、ドライバーの憩いの場所としての姿も見られておりました。
 
 (日明港発着所)
 
 (同・桟橋)
 
 
 画像は発着所内ですが、ここは発着所内にありました食堂であります。実際食堂は存在しておりましたが、残念ながら日祝日には定休日となっておりまして、それらの日はこの厨房で作られました食事をいただく事はできませんでした。ただ、待合室を兼ねていた事もありまして、日祝日には外にはカップラーメンの自動販売機もあった事もありまして、ここでカップラーメンをいただいていた方もこの日もいらっしゃっておりました。
 
 
 このフェリーの時刻表であります。時刻表を見ますと、航路は40分おきに運航されていた事がわかりますが、20分おき運航が可能であった頃は就航船2隻で賄っていたのを、1隻が故障を起こした事で運航困難となりまして、結果退役してしまった事から末期は1隻しか在籍しておりませんでした。それほど修理代に手を付けられないほど深刻であった事が伺える所でしたが、その結果40分おきで運航される結果となっておりましたので、その分収入が減る事もありまして、こればかりは仕方がなかったのではないかと思います。
 
 
 その最後まで運航されておりました1隻が、画像の「フェリーふく彦」でありました。よく見ますと、真ん中に書かれております「WELCOME」が目を引きますが、先述のように1隻が退役した事で運航末期までこの1隻のみで彦島・荒田港~日明港間を運航されておりました。
 
 
 これから乗船してまいりますが、その「フェリーふく彦」の甲板であります。本数は減便しておりましたが、それでもその下の画像にもありますように、多くの乗用車を積載する事が可能でありました。尚、他にもトレーラー等が積載される事もありましたが、1隻化以降積載台数は減っていたとの事でありまして、やはり1隻化による不自由さも見られていたようでもありました。
 
 (乗用車積載時)
 
 
 フェリーふく彦の船内であります。よく見ますと船内には座席はなく、窓際に丸椅子があるだけの船内となっておりまして、見ていて広々とした姿が見られておりました。確かに、所要時間自体短い訳ですので、普段のフェリーなどの航路で見られるような座席が多くあるような姿は見る事はできませんでした。
 
 また、窓上にはふぐをはじめとします関門海峡近辺を泳ぎます魚が描かれておりまして、色々な種類の魚がこの近辺を泳いでいるのがわかるようになっておりました。こうして見ますと、こういった細かな面が見ていてユニークさを感じられるでしょうし、加えまして10数分間の間に魚の種類の勉強もできて良かったのではなかったでしょうか。
 
 
 さて、フェリーふく彦は北九州市の日明港を出まして、下関市の彦島・荒田港へと向けて動き始めた所であります。出港しましても正面奥の方向には、もう対岸の下関市の姿が見られておりまして、この運行区間が短かかった事が見ていてわかるのではないかとも思います。

 (別方向から、もちろん対岸は下関市です)
 
 
 ご覧の方もご存知のように、関門海峡は対岸も見られるなど狭い海峡ではありますが、そんな中でも周防灘~響灘方面へ多くの貨物船などが行き交っております。ちょうどこの撮影時も貨物船が画像のようにこの船が通過した後に横切っておりましたし、その後でも画像のように船の姿が見られておりましたので、まさに海上交通の要所である事がわかるような姿がこの船内でも見られておりました。
 
 
 画像は、現在の日本製鉄九州製鉄所(小倉地区)を収めていたものであります。しかし、この平成23年撮影時は前身の「住友金属小倉製鉄所」でありましたので、この1年後当時の新日本製鐵と住友金属とが合併する事になる訳ですからその製鉄所の光景も変わる事になろうとはこの時思いもしなかった所でもありましたでしょうか。
 
 
 こうして、フェリーは10分ほどで彦島・荒田港に入港します。すでに複数台の乗用車が日明港へ行くために待機しておりまして、後は到着を待つのみとなっておりました。
 
 
 フェリーが入港します際は、船の前にいらっしゃる方や港にいらっしゃいます係員の誘導によりまして入港する事になります。また入港します際は、日明港の時と同様、赤のゲートの中に入る事になりまして、入港が完了しますとハッチが画像のように開く事になりまして、車を利用しない方は歩いてゲートをくぐって本州入り、車の方は車でゲートを抜けて本州入りする事になっておりました。私自身、これまでもご紹介しましたように、鉄道やバス・自走・徒歩(関門トンネル人道)で本州入りをした事がありましたが、船舶では関門汽船とこのフェリーだけでしたので、違った感じで良かった事が懐かしいです。
 
 
 画像3にもあります彦島・荒田港の発着所でありますが、この発着所には「11月30日をもってで運休致します」と言う貼り紙も見る事ができておりました。この姿を見ましても、正直思ったよりにぎやかでもありましたので、そういった休止のイメージは見ていてあまり感じられなかったのが印象的でもありました。
 
 
 その後、この関門海峡フェリーは11月30日をもって運航休止となりまして、北九州・下関の発着所はいずれも解体されてしまいました。また、最後まで運航されておりましたフェリーふく彦も退役しておりまして、残念ながらこれまでご紹介しました姿をもう見る事ができなくなってしまっております。
 
 
 そんなこの区間には、現在「下関北九州道路」が計画されておりまして、それは国会でも話題に上がっていたほどでもあります。現在、道路の「大動脈」と言いますと、「関門橋」・「関門トンネル」とある訳でありますが、それにこの道路が開通する事になりますと、新たな「大動脈」として活用される事になる訳ですから、これは正直魅力的ではないかとは思う所ではあります。
 
 
 今回乗船記録を回顧録としてご紹介しましたが、私自身も、小さい頃親に連れられてこのフェリーを利用していた事がありました。それは親が撮影していた写真におきましてそのフェリー(山九フェリー時代)があった訳でしたが、親自身も車を持たない事から発着所までタクシーを利用して乗船していたとの事でして、それからこの休止前に私も利用した事はいい思い出になったとは思っております。残念ながら、これもこの画像でしか思い出す事しかできない訳ではありますが、ご覧の皆様も休止から9年を迎える事もありまして、利用した事があられます方は是非とも思い出してみてはいかがかと思います。