みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」、その歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」を訪れた際の様子をお送りしています。 

 

 

博物館にやって来たのですが、まずは、本館に至るまでのプロムナードに並ぶ、数々の展示車両をあれこれ拝見しています。その中でも… 

 

 

個人的には、前回の「0系新幹線」と並んで、ぜひ拝見しておきたかったのが、この「103系通勤型電車」です。 

 

 

いまさら語るまでもないですが、首都圏や関西圏、あるいは仙台や名古屋、福岡都市圏などで長年活躍した、通勤型電車です。 

解説にもありますが、1964(昭和39)年から20年あまりにかけて、3000両以上が製造されたという、わたしたちにはおなじみの電車です。

 

わたしはこの「103系」ばかりが走る沿線に住んでいましたので、小さい頃からそれこそ数百回も、毎日のようにお世話になったものです。

無骨な顔つきと簡素な内装、ガタガタと揺れる車内、さらに飽きるほど、次から次へとやって来る、という印象すらあります(苦笑)

 

 

ではここからは、関西近郊ではどこでも見られた頃の様子をご覧頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

まずは「大阪環状線」。平成も半ばに入るまで、主役はこの電車でした。

 

 

 

また、「阪和線」「大和路線(関西本線)」では、つい数年前まで、路線の顔として活躍していました。

ただ、隆盛を誇った環状線からは、2017(平成29)年10月に引退。それに歩調を合わせるように、他路線からも次々と後継の車両に取って代わられ、気づけば大阪からはあっという間に姿を消してしまいました。

 

 

現在でも主力として活躍しているのは、兵庫県南西部を走る「加古川線(かこがわせん)」や「播但線(ばんたんせん)」くらいになってしまいました。

 

 

 

こちらは、短編成化やワンマン改造、車内のリニューアルなどが施されていますので、まだまだ安泰のようですが…

 

 

朝日大阪夕刊 2017(平成29)年10月3日付け 1面より。「10月3日」のこの日、環状線から「103系」が引退した、という記事。

 

余談ですが、記事にもありますように、この時に引退した先頭車両2両は、直後にこの博物館で期間限定で公開され、大変な人気を博したようです。

 

 

ところで、こちらで保存されているのは「クハ103-1号車」。トップナンバーです。

車歴を調べてみますと…

 

クハ103-1(2代目)

1964年5月 日本車輌で製造

池袋電車区に新製配置(山手線で使用)

1971年4月 下十条電車区に転属

(京浜東北線で使用) 

1973年4月 浦和電車区に転属

(京浜東北線で使用、車種調整によるもの)

1976年4月 森ノ宮電車区に転属

(大阪環状線で使用)

1987年4月 所属が国鉄からJR西日本になる

2007年3月 日根野電車区に転属

(阪和線で使用)

2011年3月 廃車、吹田総合車両所で保管

2015年3月 京都鉄道博物館で展示開始

 

 

そういったことで、もともとは「山手線」へ新製投入された車両だったことがわかります。

 

その後は転属を繰り返し関西へ、塗装も「ウグイス→スカイブルー→オレンジ→スカイブルー」と替えながら、平成も後半を過ぎた頃に引退した後は、このように環状線の「オレンジ」に戻されたという、なかなかの波乱万丈な経歴があったようです。

 

 

それでは、スクリーンショット風にご覧頂きたいと思います。 

 

 

 

 

 

車内の路線図も、引退当時のままでした。

駅名が変更されていたり、「おおさか東線」も新大阪までつながっていない頃です。

 

 

 

 

小さい頃は、ここからよくかぶりつきをやったなあ…

 

 

 

普段は、見ることの出来ない連結面も拝見出来ました。 

 

 

 

 

日常生活の中、その一部として完全に溶け込んでいた存在だった「103系」。

飽きるほど、と先ほど述べましたが、さまざまな思い出があるがゆえに、やはりというか、懐かしい気分にさえなります。

 

それほど、自分にとっては大きな存在感があったのだなと、いまさらながら感じます。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。