津新町(つしんまち)が津のまちのもよりえきだってことで、電車を津新町でおりてほこを起点にまちあるきをしてきた。アーバンライナーやワイドビュー南紀がとまる津駅じゃなくて、近鉄名古屋線でまあひとつみなみにある、急行停車駅の津新町駅を起点にした。まちあるきでは、まちのみなみのはしの岩田橋(いわたばし)からきたのはしの塔世橋(とうせばし)までのあいだに、松菱百貨店、伊勢街道、大門どおり(だいもんどおり)、津観音こと観音寺、大門商店街、近鉄道路、津城なんかをみてきた。津新町までの電車道中とあわせて、以下に紹介する。
〔名鉄でふるいから名古屋まで〕〔近鉄で名古屋から津新町まで〕〔津まちあるき〕(地図)
◇ ◇
名鉄でふるいから名古屋まで
ふるい8時40分のしんあんじょういきふつうにのる。2両編成鉄仮面のあっかい電車に、たちきゃく4わり。2分おくれで運行。
みなみあんじょうで西尾いきふつうのぎんいろ電車といきちがい。
定刻の8時48分から2分おくれで、しんあんじょうは1番のりばにとうちゃく。ふるいからしんあんじょうまで5.7km、8分、42.8km/h。
4番のりばに移動。しんあんじょう9時ちょうどの岐阜いき特急にのる。電車は、2両編成のぎんいろ電車と6両編成のこおろぎ特急の連結で、うしろから2両めの特別車2号車4Aにすわっていく。みぎまどがわはしらまえ。けさ名鉄ネット予約サービスでとった席。
トンネルにもぐって、9時26分、名古屋にとうちゃく。しんあんじょうから名古屋まで29.7km、26分、68.5km/h。
1番のりばにある「近鉄線のりかえぐち」から近鉄の構内にはいる。むこうからは「名鉄線連絡かいさつぐち」ってかいてあって、ちょっと表現がちがう。
近鉄で名古屋から津新町まで
のるのは名古屋9時41分の五十鈴川いき急行で、まあはい3番のりばにとまっとる。いや、まあはい近鉄線のりかえぐちのとこからとまっとるのがみえとった。
電車は、かくばったえんじいろの近鉄標準車。急行やふつうはぜんぶこれだ。うしろから順番に車両番号をかくにん。うしろ2両は「1209-1309」で、座席はベンチシート。
まえ4両は「2627-2777-2677-2727」で、座席は、こっちもベンチシートかっておもったら、クロスシートにも変換できるっていうやつだ。いま、ベンチシートの状態にしてある。内装の色調はくろとはいいろ。天井、側面、つまめん、ドア、シートしきりばんがくろ。シートはしろくろ。シートの大部分ははいいろで、背面上部にはいっとるよこおびとまくらがくろ。
定刻になって、みなみむきにしゅっぱつ。くらやみにむかってしゅっぱつ。ちょっとして地上にでてから進行方向をにしむきにかえる。
愛知県内、蟹江と弥富に停車。
木曽川鉄橋をわたっとるとこで、ひのとりとすれちがい。
わたりおえて三重県にはいったとこで、みぎに関西線の快速みえがならんでくる。先頭の車両番号キハ75-202。
ならんでながれる長良川と揖斐川をいっきにながーい鉄橋でわたる。
おおきなひだり曲線で進行方向をみなみむきにかえていくとこで、みぎ、快速みえが先行する。快速のなまえはだてじゃない。
ひだり曲線で桑名に停車。ここで、しんがた特急の名古屋いき特急とすれちがい。
桑名すぎ、ひだりに関西線が平行、ちょっとさきで北勢線がうえをよこぎるっていうとこで、名古屋いき急行とすれちがい。
富田(とみだ)に停車。のってくるひとがすくない。
富田をでて、つぎの停車駅は四日市。いや、計器盤のうえの電光表示にも「急行、四日市」っておおきくでとるだけど、これなら運転士さんもまちがえることがない。
阿倉川2連アーチをゆっくり通過。
高架をすすんでつぎは四日市ってとこで、名古屋いきふつうとすれちがい。
四日市は2番のりばに停車。
おんなの運転士さんに交代して、しゅっぱつ。教導者のひともいっしょ。
関西線をひだりにこえる。みぎになったりひだりになったりだ。
地平をすすんで、つぎは塩浜ってとこで、しんがた特急の名古屋いき特急とすれちがい。2階だて車両がふたつもついとるビスタカーで、しんがりにきゅうがた特急がくっついとるっていうかわりだねだ。
塩浜に停車。あ、女の運転士さん、おりちゃった。教導者のひとも。
はいいろのトラス橋で鈴鹿川をわたる。北楠(きたくす)を通過。ガーダー橋で鈴鹿川派川(すずかがわはせん)をわたる。本流に合流するのが支流で、本流からわかれるのが派川ってわけだけど、派川って表現がおもしろい。楠(くす)はホームのない主線を通過。
長太ノ浦(なごのうら)てまえで四日市いきふつうとすれちがい。
箕田(みだ)を通過。こっからたんぼ。さびしいえきだ。2面4線の伊勢若松は、いちばんひだりの1番のりばに停車。まちあい。2番のりばを宇治山田いき特急が通過のあと、しゅっぱつ。
千代崎(ちよざき)を通過。
2面4線の白子(しろこ)は2番のりばに停車。車内放送で、津新町いきふつうへののりかえ案内がはいる。いま1番のりばにまちあいしとる、先頭車両番号2012の電車だ。
アーバンライナーとすれちがいながら白子をしゅっぱつ。しろい流線形の車体のかっこいいこと。
ひだり曲線のとちゅう、横川をわたる。
ひだり曲線がつづいとるとこで、さらに志登茂川(しともがわ)をわたる。横川は志登茂川の支流。
高田本山を通過。
おがわをわたる。
2面4線の江戸橋は、いちばんひだりの1番のりばに停車。まちあい。はんたいから名古屋いき急行もはいってくる。
電車にのるひと、おりたひとが構内ふみきりをいきかう。かいさつはひだりがわで、ほのままあるいていったとこに江戸橋っていうはしがある。高田本山のてまえでよこぎった志登茂川が、むきをかえてこのえきのひだりのほうにきとって、伊勢街道がほの志登茂川をわたるのが江戸橋っていうはしになる。津のまちをでたたびびとがこのはしまできて、いよいよ江戸にいくだな~ってきもちをあらたにしたことから、このはしのなまえがついたにちがいない。いま、江戸橋をわたったむこうがわには三重大学がある。
むかいの2番のりばをひのとりがゆっくり通過。つづいて、わが五十鈴川いき急行も1番のりばをしゅっぱつ。
みぎ曲線で四日市いきふつうとすれちがい。
紀勢線をみぎにこえる。
津は、しましきホームひだりがわの5番のりばにとうちゃく。
むかいの6番のりばにしんがた特急の名古屋いき特急がはいってくる。近鉄はこの5、6番のりばがすべてだ。1番のりばから4番のりばまでは紀勢線と伊勢線のホーム。
津をでて、みぎ曲線。ひだりに紀勢線の単線が平行。
また、みぎ曲線。まんだひだりに紀勢線の単線も平行。
ひだり曲線からすぐ、安濃川(あのうがわ)をわたる。この安濃川が本来の津のまちの北限になる。
10時49分、津新町はしましきホームひだりがわの1番のりばにとうちゃく。名古屋から津新町まで68.8km、1時間8分、60.7km/h。
ここまでのってきた電車をみおくり。電車はじきに岩田川(いわたがわ)をわたる。岩田川が本来の津のまちの南限になる。
ホームにとどまるうちに、むかいの2番のりばに名古屋いき急行がはいってくる。
つづいて2番のりばを名古屋いきアーバンライナーが通過。津新町は急行停車駅で、アーバンライナーをふくむ特急は津にしかとまらん。
さらにホームにとどまるうちに、しましきホームから線路を2本はさんだむこう、かためんホームの3番のりばに名古屋いきふつうがはいってくる。これだ。白子でぬかしてきた津新町いきふつうが、いまここについただ。まあはいおりかえし「名古屋いきふつう」の表示になっちゃっとるけど、先頭車両番号2012はまちがいない。
電車見物をおえて、ホームから階段をおりて地下通路をにしにあるく。かいさつはにしがわにしかないだ。ひがしがわは紀勢線がじゃましとってかいさつがつくれんのか。えきからひがしがわに津のまちあるのに、ざんねんなことだ。
地下通路からあがって、かいさつをでらあっておもったとこで、ひだりうしろにすぐ3番のりば。階段を数段のぼっただけのとこがホームで、ほこに、いまはいってくるのをみた名古屋いきふつうがとまっとる。いや、3番のりばってかいさつからこんなにちかいだ。3番のりばの線路はみなみにいきどまりになっとって、津新町いきふつうおりかえし専用のホームなだけど、このかいさつからのちかさもあって、したしみのもてるホームだ。
さて、にしむきにかいさつをでる。
津まちあるき
津新町のえきをそとからみてみると、けっこうしっかりした2階だて駅舎だ。正面のしかくいロータリーは、ひだり、みなみがわがふくろこうじで、ほのみなみがわにトライマートっていうスーパーのビル。おくにくっついて高層マンションがたっとる。ロータリーのむこう、にしがわもいくつかのビル。ロータリーのきたがわに、むやみにはばのひろいみじかいみちがつながっとって、ほれが、えききたのふみきりをわたる東西の道路につきあたる。津のまちにいくにはこのふみきりをひがしにわたっていく。
いや、想像しとった以上にりっぱなえきまえだ。
えきまえにとどまるうちに、サオリーナ前いきバスがはいってきて、ロータリーをまわってむこうの3番のりばにとまる。すぐに発車。のりおりするひとはおらんかったか。サオリーナは、津のまちからずーっとにしにはずれたたんぼんなかにある津市スポーツセンターのことだ。レスリングの吉田沙保里選手にちなんで、このなまえになっとる。
つづいて津駅いきバスがはいってくる。みなみがわの1番のりばにとまって、おばあさんをひとりのせてしゅっぱつ。
さて、ふみきりにむかうべくロータリーをみぎにあるきはじめたとこで、駅舎となりの交番のまえにいしぶみを発見。なんかっておもったら、「旧町名古河(ふるかわ)」のいしぶみで、「東南1キロのとこから現在地に移動。旧河道がほのへんにあったために古河村になったっていわれとる。藤堂高虎の城下町拡張のさい、現在地にうつったっていわれとる」ってかいてある。旧町名の記憶をのこすためのいしぶみだった。
交番となりのファミリーマートでたばことコーヒーをかって、みせんなかでいっぷく。
いっぷくをおえて、ひがしにふみきりをわたらあっておもったとこで、遮断機がおりる。きたからやってきた、おりかえし四日市いきふつうになる津新町いきふつうが、転線、転線してめのまえをとおっていく。
遮断機があがってふみきりをわたるとちゅう、みぎに、いまめのまえをとおっていった四日市いきふつうが3番のりばにとまっとるのをかくにん。
ふりかえると、ふみきりからにしに商店街がつづいとる。いってみたいきもするけど、またにする。
わたりきったとこで、きたいきに名古屋いきワイドビュー南紀がとおっていく。ここに紀勢線のえきはなくて、ただ、とおっていく。紀勢線のえきはここにないだけじゃなくて、本来の津のまちがひろがる、岩田川と安濃川のあいだのどこにもえきがない。
ふみきりからひがしにあるいていく。電柱のない、りょうがわ歩道のきれいなとおりだ。住居表示に南丸之内ってかいてある。
ところで、みちばたにいしぶみ。「旧町名西新町(にししんちょう)」って表題にかいてあって、あと「1997年設置、津市、新町名丸之内養正町(ようせいちょう)西丸之内、南丸之内」ってかいてある。ここにも旧町名のいしぶみか。すすんで、「旧町名中新町(なかしんちょう)」のいしぶみ。このあとも、まちのいたるところに旧町名のいしぶみをみる。いっそ町名変更なんかせにゃよかったじゃんか。
みぎ、とんかつ「福とん」をすどおり。とおくにたっかいビルがみえる。
左右、低層のみせがおおいなか、ひだりに高層マンション。みぎ、かわらぶき2階だてモルタル外壁のアトリエ Shinsen。さかんにいきかうバスは、とちゅう津のまちをとおって津新町駅と津駅をむすぶバスか。
しばらくすすんで、マニャーナ信号交差点からひだりおくにみえるたっかいビルは、市役所のたてもんか。左折せんで直進。いぜんとして電柱はないけど、ちょっとひなびたかんじになる。
三番町(さんばんちょう)バス停にイオン津いきバスが停車。あとでしらべたら、イオン津は津駅から東北方向にあった。
みぎおくにたっかい無線塔。すすんで、みぎに津中部電力のたてもん。
みちがひだりにくのる。こっから歩道にアーケードがつくだけど、シャッターのおりたみせがほとんどで、とってもさびしいかんじだ。
みぎ、アーケード街のきれめのおくにうみ。いや、うみかっておもうほど、あおいみずを満々とたたえたかわだ。これが岩田川か。すぐかわしもにおおきなはし。
アーケード街をまあちょっとひがしにすすんで、いまみたおおきなはしのきたづめにでる。かわのなまえは岩田川でまちがいなく、はしのなまえは岩田橋だった。国道23号線のはしだ。岩田橋きたづめ交差点の東北に松菱百貨店。
きたに国道23号線をみる。かたがわだけでなん車線もある、ばかひろい道路を、クルマがいっぱいいきかう。津のまちの南限にこのはし。北限に安濃川にかかるはし。津のまちは、ふたつのはしのうちにあるってことで、橋内(きょうない)ってよばれる。岩田橋からみなみは橋南(きょうなん)。安濃川にかかるはしからきたは橋北(きょうほく)で、津駅は橋北にある。
ちょうど正午になったとこで、なんにんかのサラリーマンが岩田橋をみなみからきたにわたってくる。橋南から橋内にひるごはんをたべにくるのか。
岩田橋のまんなかまでいって、にし、かわかみをのぞむ。ひだりにしゃれたつくりのおおきなたてもん。みぎ、とおくに、ここにくるとちゅうでみたたっかい無線塔。みぎ、すぐほこにアーケード街のうらがわ。みせみせのたてもんがコンクリート護岸におおいかぶさるようにつらなっとって、さながら水上家屋のふぜいだ。
ひがし、かわしもをのぞむ。いや、河口にちかいだけあって、うみみたいにひろびろとした光景だ。みぎ、橋南がわにたっかいビルがいくつか。すぐほこに、歩行者だけがわたるあっかいはし。ひだりにのっぺらぼうのまっしろなせーたかビル。
あっかいはしをわたりに、みなみにまわっていく。岩田橋みなみづめ交差点のかどに津警察署岩田橋交番。まわりもしっかりまちだ。
あっかいはしのなまえは観音橋(かんおんばし)だった。松菱百貨店やせーたかビルをむこうぎしにみながら、観音橋をわたっていく。
観音橋きたづめの十字路からきたにのびるみち。これが伊勢街道にちがいない。あらかじめ地図をみて、国道23号線のひがしに伊勢街道がはしっとることをしっとって、観音橋からつづくこのみちが伊勢街道にちがいないっておもった。はいってすぐひだり、みちばたに「旧町名築地町(つきじまち)」のいしぶみをみて、きたにすすむ。けど、なんか伊勢街道っぽくない。
もどって、まあ1本にしのみちをきたにはいっていく。こっちのほうが伊勢街道じゃないか。ひだりに松菱。国道23号に面する松菱のうらがわがこっちのみちに面しとる。みぎに「紙ミフジ」っていう文房具のみせ。たてもんはあたらしいけど、しにせっぽいかんじのみせだ。ここでボールペンをかって、このみちが伊勢街道でまちがいないかきいてみると、まちがいなかった。
すすんで、十字路のみぎてまえかどに「旧町名分部町(わけべまち)」のいしぶみ。「新町名東丸之内、1999年2月設置、津市」とのこと。この十字路から左右にのびるとおりは商店街になっとって、街路灯に「唐人の街」、「わけべまち」ってい表示がでとる。歓楽街ってかんじの商店街だ。
十字路を直進して、ひだりに中京銀行の駐車場。やっぱり国道23号に面する中京銀行のうらがわがこっちのみちに面しとる。ほか、左右にみせもなく、あきちがふえる。
すすんで、東西のでっかいとおりにでる。これがフェニックスどおりだ。ひだり、にしをみると、すぐ国道23号線との交差点で、東南かどに三菱UFJ銀行。三菱UFJ銀行は旧東海銀行で、東海銀行のたっとるとこがまちの中心だ。みぎ、ひがしは伊勢湾のうみのほうにのびていく。
また、フェニックスどおりをよこぎってきたにすすむ。ひだり、フェニックスどおり駐車場ビルのよこっつら。みぎ、大樹生命津ビルのよこっつら。いや、これ伊勢街道じゃないわ。
もどって、まあ1本ひがしのみちにいってみると、はばのひろい、しかくいタイル舗装のきれいな歩行者用道路がきたにのびていっとる。左右にみせがたちならんで、つきあたりにおてらかおみやさんがみえる。これが大門どおりだ。伊勢街道の一部をなす大門どおりだ。ここ大門こそが津のまちの中心で、ここがきょうのたびのいちばんの目的地だ。
大門どおりは、はいってすぐの左右にいくつかみせ。みぎ、とらや本家。ひだり、うどんの幸助。
すすんで、ちょっとさびしくなって、ひだり、すしの魚九。
魚九のつぎにオーデン大門ビル。いしづくり2階だての風格のあるたてもんで、外壁そとがわにある4本のりっぱな石柱がめをひく。見学できるのかっておもってはいってみると、いまは未就学児童をあそばせるばしょとしてつかわれとって、見学はできんかった。ただ、でてきてくれた職員のひとが説明してくれて、「さいしょ1928年に四日市銀行津支店としてできたもんを、のちに、けいと(毛糸)をあつかうオーデンっていう会社がつかっとったもんだ」とのこと。ほー。
いったんうどんの幸助までもどって、ひるごはん。たのんだのは、てんぷらうどん。チェーン店っぽいかんじもして期待せんかっただけど、うどん、だしがようきいとって、うまいわ。いや、白子のめんくいくんのうどんもうまかったし、桑名の歌行灯(うたあんどん)志満や(しまや)のうどんもうまかった。三重県って、ひょっとしてうどん県か。このみせもひっきりなしにきゃくがはいってくる。
はらごしらえができたとこで、百五銀行大門町プラザのとこからまたきたにあるいていく。
おんなのひと3人ぐみが「飛行機、すっごいきれいやった」っていいながら、すれちがっていく。三重ことば、いいな。いま、上空を飛行機がとんでっただ。
みぎ、3階だてののみやビル。ひだり、甲子堂時計店。つぎの大門タウンは閉鎖しとるっぽい。みぎ、ナイトエリアっていうあたらしい2階だてたてもんは、まんだみせがはいってない。みぎ、5階だてのおおきなビルに、衣料のマツダや街の駅大門。ひだり、いくつかあるちいさなビルは、ほとんどシャッターがおりとる。
大門どおりをつきあたりまできたけど、往時のにぎわいにはとおそうだ。
つきあたりに観音寺。通称津観音。にぎわいの象徴だったおてらだ。ざんねんながら過去形になる。
山門をくぐって本堂におまいり。
山門をでたとこで、ひだり、ひがしにちょこっといったとこからむこうにアーケード街がのびとる。大門商店街飲食店街か。大門どおりのほかにこんな商店街もあったのか。ひとけのないアーケードをむこうからタクシーが1台とおりぬけてきて、みちのわきにとまった。てきとうにとまったじゃなくて、白線で2台分のわくがあるとこにとまった。タクシーのまちあいばしょがこんなとこにあるだ。
アーケード街のいりぐちからひだりにいったとこにもいりぐちがある。アーケード街のきたに平行して、ほそながいおおきなたてもんがあって、ほのたてもんにはいっていくいりぐちだ。
おそるおそるなかにはいっていってみると、ほこはのみや街。通路がずーっとむこうまでとおりぬけになっとって、ほのりょうがわにのみやがびっしりならんどるだ。ここもひとけはない。こんなまっぴるまだでか。
アーケード街のほうもおんなじのみや街だって、一帯を探検。アーケード街からえだわかれするランタンどおりをはいって、さらにえだわかれするとおりをはいっていくと、通路の天井や壁面を極彩色(ごくさいしき)にぬって、いろとりどりのぼんぼりでてらしとるとこまである。漢字語で魔窟(まくつ)ってことばがあるだけど、まさにここのことか。
じょそう BAR なんてのもある。はいるのに勇気がいるな。
つぎは近鉄道路だ。地図上でこれを発見したことが、津のまちにくるきっかけになった。大門商店街をひがしにぬけたとこに大門交番。ほっから東北方向にいって、東橋内(ひがしきょうない)交差点。「橋内」ってことばがちゃんとつかわれとる。
東橋内交差点からきたにちょこっといったとこで、道路がななめに交差しとる。これが近鉄道路か。近鉄伊勢線のあとちを道路につかっとるだ。近鉄伊勢線は、江戸橋駅と新松阪駅をむすんどった線で、前身の伊勢鉄道時代には、さらにみなみに伊勢神宮までいっとったっていう。ほの近鉄伊勢線が、津のまちの中心である大門の東北をとおっとっただ。いや~、津新町駅よりず~っとちかいぞ。
近鉄道路を西北、江戸橋駅方面にあるいていってみる。みちはばは、想像しとった以上にかなりひろい。ひょっとして複線だったのか。左右はおおむね住宅街。
さいしょの信号交差点を直進。住宅街がつづく。
ふたつめの信号交差点を直進。なおも住宅街。
みぎにゆみなりながら十字路を直進。
直角にちかくひだりにゆみなって、国道23号線につきあたったとこで近鉄道路はおわり。
国道23号線にでたとこから、すぐきたにおおきなはしがみえる。
おおきなはしのみなみづめまでいってみると、はしのなまえは塔世橋(とうせばし)で、かわは安濃川。五十鈴川いき急行でわたってきた安濃川だ。みなみの岩田橋から、きたのこの塔世橋までが橋内。
塔世橋をきたにわたって、橋北をみる。
橋南にひきかえして、つぎは津城だ。国道23号線よりにしにあるだけど、とりあえず国道23号線をみなみにあるいていく。みぎに桑名三重信用金庫。電柱もなくてすっきりした道路なだけど、車道をがんがんクルマがいきかうだけで、歩道にひとはおらん。
ところが、いきなり歩道に行列。なんかっておもったら、名産松阪肉朝日屋の特売時間がちょうどはじまるとこだったみたいだ。一瞬かっていかあかっておもったけど、肉をかかえて電車にのっていかにゃいかんことをかんがえて、やめにする。
このみせのすぐうらに「旧町名常磐町(ときわまち)」のいしぶみ。「新町名北丸之内、2000年12月設置、津市」とのこと。こっからみなみ、みぎ15度に国道23号線からえだわかれするみちを発見。津城へのちかみちにちがいないっておもって、いってみる。ずーっとすすんで、ひだり30度にたっかいビルがみえてくる。百五銀行のビルだ。T字につきあたって、右折。すぐに信号交差点を左折。また、T字につきあたったとこで、むこうにいしがきとほりがみえる。ついに津城まできただ。ただいりぐちがみえん。ひだりにいきゃあいいのかみぎにいきゃあいいのかわからんけど、とりあえずこのつきあたりT字を右折。津地方裁判所をみぎにみながらにしにすすむ。裁判所前バス停もあるけど、1日3本しかない。
おおきな交差点を左折。きいろにいろづく街路樹のうつくしいこと。
ほりをひだりにみて、みなみにすすむ。さいしょにみたほりは、しろのきたがわのほりで、こんどはしろのにしがわのほりになる。みぎに津市役所。ほのまえに「旧町名丸之内殿町(まるのうちとのまち)」のいしぶみ。「新町名丸之内養正町、西丸之内、丸之内、中央、1996年2月設置、津市」とのこと。旧町名のいしぶみばっかり、ほんとにごていねいなことだ。
ほりといっしょにひだりにまわりこんだとこで、やっといりぐちを発見。きたむきにほりをわたって、いしがきのきれめから津城にはいっていく。いしがきのきれめのまわりに、いろづくきぎ。
はいってすぐ、みぎにまがるとこに説明がき。津城は藤堂高虎が大改修して完成したもんだった。城下町としての整備もした。
ひがしにすすんで、入徳門(にゅうとくもん)。藩校有造館(ゆうぞうかん)の講堂の正門を移築したもんで、しゅぬりのはしらやこやぐみが沖縄っぽい。このあたりはにほん庭園。いろづくきぎがうつくしい。
いしがきのきれめをとおって、ひがしにべつの「丸」にはいっていく。
こんどの「丸」は、中央におおきなまんまるの舗装になっとる、まんまるひろばだ。まんまるひろばのみなみに藤堂高虎公馬上像。
まんまるひろばからひがしにいったとこに、やぐら。たっかいいしがきのうえに3層のやぐらがそびえる。
ここにも説明がきがあって、みてみると、さいしょにはいった「丸」が西ノ丸で、まんまるひろばのある「丸」が本丸だった。
本丸みなみのいしがきのきれめからそとにでて、津新町のえきにもどる。
◇ ◇
うちにかえってきて、伊勢街道がまちがっとったことがわかった。「旧町名分部町」のいしぶみの十字路を右折して、「唐人の街」、「わけべまち」の商店街をちょこっとひがしにいって左折して、きたにすすんでいかにゃいかんかっただ。ほいで、ほのままフェニックスどおりをよこぎって大門どおりにつながるだった。
ほいから、じぶんが近鉄道路をあるいた範囲に、えきのあとらしいとこを発見することはできんかっただけど、国道23号線にちかづいたへんに津新地(つしんち)っていうえきがあったこともわかった。津新町じゃなくて津新地だ。
さいごにまあひとつ、津新町のえきの秘密もわかった。本来の津のまちである橋内にあるえきなのに、なんで「新町」なのかなってふしぎだっただけど、津城の説明がきをよみなおしてみて、わかった。橋内は、「しろを中心にきた、にし、みなみに武家屋敷、ひがしに町屋があっただけど、にしがわの武家屋敷のにし一帯は湿田だった」だ。ほういうことだったのか。津新町のえきのあるへんは、そもそもなんにもなかったとこなだ。明治以降に市街化されたとこに「新町」っていう地名をつけただ。地図でたしかめてみると、津新町のえきからにしに「新町」の区域がほそながくのびとる。こんかい津新町のえきをおりたあと、ふみきりをわたってひがしにむかっていっただけど、ふみきりからにしにつづく商店街が「新町」の商店街だっただ。橋内のえきっていうより、橋内をはずれたとこの新開地につくったえきだっただ。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年11月19日、もくようび、平日
- 津城 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/11/21
- 津新町からかえる - 2020年11月19日 - あきひこゆめてつどう|2020/11/20
- 松阪のたび - 2020年11月13日 - あきひこゆめてつどう|2020/11/19
- 2020年11月13日、松阪まであそびにいった。名鉄電車、近鉄電車をのりついでいったようす、松阪まちあるきのようすを以下に紹介する。近鉄電車は、名古屋から松阪までずーっとかぶりつきで、とおったすべてのえき、すれちがったすべての電車をしっかりみてたのしんむことができた。また、まちあるきは、赤壁校舎や本居宣長の旧宅、松阪商人の館なんかをみて、松阪っていうまちの偉大さをしることができた。
- ひだり曲線からすぐ安濃川(あのうがわ)をわたる。
- 津新町(つしんまち)は1番のりばに停車。津新町いきふつうは、津をひとえきすぎたこのえきまできておりかえすだ。のりばは変則的で、しましきホームひだりの1番のりばがみなみいき、しましきホームみぎの2番のりばがきたいきののりばで、みぎにはなれてある、みぎかためんホームの3番のりばが、津新町いきふつうがおりかえしをするのりば。いま、ちょうど3番のりばに、おりかえし四日市いきふつうになった電車がとまっとる。「ほんとは津でおりかえしゃいいもんを、構造上の制約があってここまできておりかえしとるだ」ってさいしょおもっただけど、あとでしらべたら、ここがそもそもの津の中心地だった。ただ、津からひだりにずーっとならんできとる紀勢線は、ここにえきがない。
- 岩田川をわたる。
- おしろの…|iwase.akihiko|インスタ|2020年11月19日
- おしろのあきをたのしむ。 #津
- 近鉄道路…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月19日20:59
- じょそう BAR って…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月19日16:28
- アッハッハ! じょそう BAR って、おそがくてようはいらんわ😅
大門商店街を探検しとって、発見。
- アッハッハ! じょそう BAR って、おそがくてようはいらんわ😅
- うどん…|iwase.akihiko|インスタグラム|2020年11月19日
- うどん、うまっ!
きょうのひるは、うどんの幸助っていうみせでてんぷらうどん♪ 三重県のうどんって、なんかうまいわ。 #津 #大門
- うどん、うまっ!
- 電車がくるー!…|iwase.akihiko|インスタグラム|2020年11月19日
- おー、電車がくるー!
津新町きたでふみきりまちをしとるとこで。 #近鉄
- おー、電車がくるー!
- き、近鉄道路@@!!…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月18日0:15
- 上野のまち見聞録 - あきひこゆめてつどう|2018/04/30
- みちしるべからまたちょこっとにしにすすんだとこで、「三筋町通り(みすじまちどおり)」っていう看板を発見。よんでみて、すべてがわかった。「上野のまちは藤堂高虎の碁目地割法(ごもくじわりほう)によってつくられた。東西に3すじのとおりと、これと交差する南北に3本のとおりを骨格としてまちを形成した。東西の3すじがきたから『本町すじ』、『二の町すじ』、『三の町すじ』で、南北の3本がひがしから『東の立町どおり』、『中の立町どおり』、『西の立町どおり』だ。この3すじ、3本のとおりの一帯を三筋町(みすじまち)っていって、特権的な政商がみとめられたことで富裕な商人を輩出して領国経済の中枢的なやくわりをつとめた」ってかいてある。いやいや、いままであるいてきたみち、ぜんぶこの三筋町のとおりじゃんか。たったいまみたみちしるべは、本町すじと西の立町どおりの交差点、つじであることをしめしとっただ。あの忍者おじさんのみせは二の町すじと中の立町どおりの交差点のちょっとみなみだ。
- 看板にはさらに「商家は京風の構造が基本でぬりごめ格子のまどをもつひらやだて二階(つし)づくりとなっとる。さらにまちかどの商家は軍備の目的もあって、ほんがわらぶきの堅固な土蔵づくりとなっとる」ってかいてある。いや~、じつにわかりやすい説明がきだ。
- 全国百線鉄道のたびで三重、愛知を紹介 - 2018年1月28日 - あきひこゆめてつどう|2018/01/30
- 「名阪特急の代名詞「アーバンライナー」に乗って三重県の津へ。津は築城の名手、藤堂高虎が手がけた津城跡や日本三観音のひとつ津観音もある。また、浄土真宗の開祖、親鸞聖人を祀る専修寺の御影堂や如来堂が2017年に国宝に指定された。その大伽藍とは…。津は、人口比で鰻の消費量と店舗数が日本一とか。数ある鰻店で他府県からの客が多いという「谷本」の鰻を賞味することに。津から急行でひと駅の伊勢中川、ここは大阪線、名古屋線、山田線の接続駅だ。かつての名阪特急は、この駅で乗客は乗り換えていた時代があった。それは、大阪線と名古屋線のレールの幅が異なり、乗り換えを余儀なくされていた。しかし、1959年に名古屋線の軌間を大阪線に合わせ大阪~名古屋間が1本のレールでつながったが、列車は伊勢中川で方向転換を行っていた。そこで、大阪線と名古屋線をつなぐ短絡線を敷き名阪特急は伊勢中川を通らずに行き来するようになった。大阪線と名古屋線の軌間統一を記録した貴重な映像も紹介する」。
- みんなで、まもろう!いかそう!三重の文化財/情報データベース/オーデン大門ビル(旧四日市銀行津支店)
- 指定区分:国/指定種別:登録有形文化財(建造物)/指定・登録日:2018年5月10日/市町:津市/所在地:津市大門254/所有者:株式会社オーデン/員数:1棟/構造:鉄筋コンクリート造/年代:1928年頃
- 概要:津市中心部にある大門大通り商店街にある建物です。この建物は、1928年頃に四日市銀行(現在の三重銀行)の津支店として建設されました。同支店として1930年から1935年まで営業された后、1941年に売却され、1958年まで住友生命津支店などに使われました。第二次世界大戦末期には、津市中心部の多くの建物が空襲で焼失しましたが、この建物は焼失を免れました。その后、酒類販売及び画廊、毛糸販売店を経て、現在は子育て支援センターなどの親子の集まる場所として利用されております。
建物は、鉄筋コンクリート造の2階建てで塔屋と煙突があり、塔屋から屋上に出られます。大門大通り商店街に面した建物正面には、古代ギリシャ建築を模した石貼りの大円柱が4本並んでおります。古典的で重厚な外観をもつ、昭和初期の銀行建築の好例となる建物です。
- 百五銀行 - Wikipedia
- 日展みてきた - 2022年1月27日 - あきひこのいいたいほうだい|2022/01/27 〔ついか〕