【懐かしの人吉球磨鉄道写真34】昭和39年肥薩線山線にて | 人吉鉄映会

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熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

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コロナ第3波が非常に気になるところですが、人吉球磨関連情報として、11/19に熊本県の樺島知事が球磨川の治水対策として「流水型(穴あき)ダムとしての川辺川ダム容認」を表明しました。

 

治水方法に関してはダム建設や川床掘削など色々な意見が出されていましたが、最終的には川辺川の流れを妨げず、洪水時の危険性がある場合のみ貯水する流水型川辺川ダムの建設方針に踏み切ったようです。

しかしながらこのタイプのダムは設置されているところもありますが洪水の恐れのケースがまだ発生しておらず、効果については疑問視する専門家もいらっしゃるようです。

 

これでJR九州が肥薩線復旧の条件のひとつとしていた「球磨川流流域の治水対策」が出たわけですが、さてJRがどう反応するのか、注視したいところです。

 

さて34回目の懐かしシリーズは昭和39年の肥薩線山線での車両風景をお送りします。

肥薩線下り863レ(人吉-吉松) 大畑ループ

大畑-矢岳 八代起点64.0km地点

 昭和39年6月

正に「This Is 肥薩線」といった風景ですが、やっぱりいいですよね。

 

で、この貨物列車の編成ですが

同上列車 64.2km地点

先頭D51 890[人]・次68643[人](回送)

 

人吉機関区所属の68643は1966年(昭和41年)2月1日にそのまま人吉区で一休さんになった後、同5月に廃車になっているため、転籍移送ではありません。どこへ回送されているかの資料はなかったのですが、D51と8620の重連は貴重ですよね。しかもこのアングルからの撮影では煙が集煙装置から出ている様がよくわかりますね。

 

次は後方です。

 

同上 後方 64.3km地点

D51 700[人]

D51 700が最後に付いてますが、逆向きですね。こういった補機の連結の仕方は過去の写真からもたまに見られます。そもそもトンネルが多い肥薩線は機関士を煙から守るためにD51運用前の4110型・E10型時代はタンク側を頭にして(いわゆるバック運転)運行していたのはオールドファンの方ならご存じかと思います。

 

・・なので、一番上の写真はよく見かけている風景ではあるものの、機関車の編成はちょっとレア感があるやつでしたね。もうちょっと詳細な資料があればよかったのですが。

 

ついでに集煙装置が出てきたところで、これを

 

肥薩線下り D51 545のキャブから写した写真です。矢岳第1トンネル入り口。人吉側の扁額の「天険若夷」の一部が見えます。集煙装置の蓋が閉まる手前。手前の四角い箱は重油タンクです。重装備D51のレアアングル写真です。

 

最後は真幸駅での上りの610Dレ「第1えびの」です。

吉松側から上ってきてホームに入り、スイッチバック転向線から矢岳に向かうえびの号です。ちなみにホームに大きな石や鐘はまだありません(笑)

 

 

 

 

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

新型コロナの感染も巨大な第3波が襲来しています。

皆さんお体ご自愛ください。

 

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祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道