中京地区における東海道本線の撮影名所といえば、やはり近江長岡-柏原間になりましょうか。

名峰・伊吹山をバックに、数々の名列車が駆け抜けていきましたが、今はその痕跡は残されておらず、短編成の普通列車がのんびりと行き交うだけになってしまいました。長距離で長編成の列車となると、今の時代だとどうしても貨物列車に頼らざるを得ません。

 

昭和国鉄の時代は、 「フレートライナー」 と言われたコンテナ特急列車を除けば普通に見向きもされなかった貨物列車ですが、旅客列車で長距離・長編成の列車が無くなった昨今、その影をトレースするかのように、貨物列車が脚光を浴びているようです。

蒸機の時代はC59とC62、電機だとEF58かEF65Pといった具合に、国鉄時代は旅客用機関車、しかも特急列車を牽引する機関車に人気が集中していて、貨物用機関車なんて常に蚊帳の外だったんですよね。一応、 「貨物用機のスター」 だったEF66も、 「貨物なんて牽かずに、ブルートレインを牽きなさい」 ってな具合に、貨物列車とか貨車とかを趣味の対象にするなんざぁ、ゲテモノ扱いでした。だから、画像のようなコンテナ列車は、21世紀だったらスターでしょうけど、国鉄時代は単なる脇役に過ぎませんでした。脇役・・いや、エキストラだったかも。

 

コンテナ列車を牽引するEF65は、一見してもしなくても500番代なんですけど、こちらは貨物専用機の 「F型」 と呼ばれるタイプ。

EF65 500番代には、 「P型」 と 「F型」 があるのは皆さんもご存じのことかと思いますが、F型を語る際、常につきまとうのは 「悲運の機関車」 というレッテル。

旅客列車に続いて、貨物列車も高速化の波が押し寄せ、昭和41年に 「最高速度100km/h」 を謳い文句に華々しく登場した10000系貨車。500番代F型はその10000系貨車を牽引するために登場した機関車です。

同じ500番代を名乗り、シリアルナンバーもP型の追番になっているF型ですが、中身はP型とは全くの別物だそうです。20系客車を牽引することを想定していないため、速度によるブレーキ率切り替えが不要になった他、いわゆる 「カニパンスイッチ」 も設定されていません。先行試作機として製造した518~526号機には20系客車を牽引するための装備がありましたが、後に取っ払われています。

 

10000系牽引という大きな大役が約束されたにもかかわらず、10000系貨車が登場した同じ年にとてつもなく巨大な試作機関車が登場します。EF90、後に量産されてEF66となるマンモス級の機関車に全て “持って行かれ” 、EF66として量産されると、東海道・山陽本線にはいられず、活躍の場を東北本線や高崎線に移します。ここでつらら切りなど、耐寒耐雪装備を施すことになるのですが、元より暖地向けのEF65。付け刃的な耐寒耐雪装備は役立たずだというのを身を持って体感します。しかし、それでも東北・上越線で活躍を始めるのですが、またしても伏兵が現れます。仲間である筈なんだけど、蹴落とすために登場したEF65 1000番代、通称 「PF型」 。早い話が、500番代P型とF型を併せ持った性能+不足していた装備+耐寒耐雪装備を標準装備とした、EF65の完成型。東北本線と上越線の10000系牽引はPF型が一手に引き受けるような形になり、F型はEF65の一般型と同一と見なされてしまったんですね。つまり、普通の車扱い貨物列車の牽引が主な日課となり、そこにEF66の独占だった高速貨物A以外のコンテナ列車牽引が入るようなスケジュールを黙々とこなしました。

 

勿論、国鉄時代において、EF65Fは全くの不人気機で、趣味界でその実力を知る者はそんなに多くなかったのではないかと思います。スポットライトは常にブルートレインを牽引するP型に集中していましたからね。1000番代もそうですよ。スター扱いは東京機関区に配置されていた25両のみ。あとは地味な存在でした。

 

でもね、これはあくまでも “私論” ですが、鉄道界だけでなく、他のジャンルでも 「脇役がいるから主役が引き立つ」 と思っているクチです。

EF65Fは全体的には脇役だったけど、そういうのがいないとEF65PやPF、そしてEF66が引き立ちません。今更なんですけど、EF65Fは名機だったのかな・・・?

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

電気機関車EX Vol.17 (イカロス出版社 刊)