日本の蒸気機関車の形式の再確認 | 停車場遍路の鉄道雑記帳(副)

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画像・動画を含む鉄道趣味のブログです。ときどき戯言を書いてます。ー[2013年2月9日以前の記事はほとんどの画像が表示されません]ー

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私が子供の頃は中央西線にもまだD51が走っていたが1975年に国鉄の本線から消えた。その終焉に立ち会うには経済力が追い付かなかった。

ブームに左右されるのは趣味人らしくないと思ってたせいで、一般人ですら気に掛ける「去る者」を追う気にはなれなかった。ブルトレも同じだ。

というわけで、蒸気機関車の形式の変遷を体系的に理解したことが無い。学習図鑑に「鉄道車両の歴史」的に載っていたのを覚えているだけだ。今回、「日本の蒸気機関車」(ISBN4-06-269052-7)という書籍からかいつまんでみる。

旧形式称号(これ自体は明治42年の改正によるものでそれ以前はさらに別の体系があった)の機関車では9600形と8620形が完全国産形で生産量数も多かったのでよく知られている。8620形に至っては(台枠すら新製したらしいが)現役である。

それ以外は知らなかったが、巻末の表にタンク式185形式、テンダ式108形式も旧称号のものがあった。1形式1両しかないものが多いし、複数でも一桁が大半である。鉄道車両、特に機関車というものはそうなのだろう。本文には多くの形式の概要が紹介されているが割愛する。

あと、稀に見かける小さな保存SLで「ケ90」などあるが「ケ」が軽便鉄道用の形式だと初めて知った。上記とは別に41形式が表に載っている。

新橋-横浜開業から20年余り経って、官製(一部の部品は輸入)の国産形が製造された。それまではずっと輸入していた。輸入元はイギリスはもちろん、アメリカ、ドイツもあった。

横軽のアプト区間の開通当初はドイツ製のSLが牽いていた。粘着用x2+歯車用x2=4個のシリンダが付いていた。そのSLを範としてやがて国産形が製造された。

日本でもマレー式(シリンダ+ロッド+車軸を2セット持つ)が走っていた。B-Bのタンク式は博覧会展示(後に日本鉄道が購入)としてだったが、C-Cのテンダ式はアメリカから正式に輸入されて幹線の峠越えに活躍した。

三シリンダ機としてはC53があまりにも有名だが、その見本用にアメリカから輸入した8200形がC52形に形式変更された。現形式称号であれば国産機だろうと思ってたが例外があった。
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