皆様こんにちは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

最近天気も良く行楽日和なのですが、コロナ拡大のため家に籠っています。。。 残念です。

 

昨日の続きで、家から出てきた昔の手帳の中身を見てみましょう。昨日は1999年8月9日までご紹介してるので今日は8月10日からです。

 

<1999年8月10日>

 

 

8月9日に岡山からムーンライト九州に乗り、8月10日は小倉で降りています。筑豊篠栗(直方運用)のキハ58系は当時主に日田彦山線の運用に就いており、特に田川後藤寺以遠の奥地へ行く列車はワンマン運用が、小倉近郊や朝夕のラッシュ時(筑豊本線・日田彦山線)には非ワンマン運用車も運行されていました。

 

当初小倉駅で撮影していましたが橋上駅で撮影条件が悪く、また向かいのホームに他の列車が居たり、構内が広く番線を移動するのも面倒という事で、途中で西小倉駅へ移動しているようです。また暇なので乗車・録音を兼ねて途中田川後藤寺駅にも移動しているようです。

 

当時筑豊篠栗(直方運用)には、ワンマンのキハ58+28が4セット、非ワンマンはキハ58が9両、キハ28が7両居ました。非ワンマンは波動輸送にも使用されていたので運用数に対し配置両数が過剰です。

 

この
日はワンマン運用を3運用、非ワンマン運用を4運用分確認できています。

 

ワンマン編成

キハ58 657+キハ28 2488

キハ58 208+キハ28 2059

キハ58 724+キハ28 2420

 

非ワンマン編成

キハ58 66+キハ28 2055

キハ58 1132+キハ28 2414

キハ58 715+キハ28 2359

キハ58 214+キハ28 2144

 

↑西小倉駅で対面したワンマン車。(上 657、下 724)。正面助手席側窓内側にワンマン表示器がありますが、小倉近郊は車掌が乗務していたのか、ワンマン表示は倒されています。

 

この2両だけでも細かい差異があり、

・657は九州では珍しく尾灯が外ばめに改造されており、しかも運転席側のみ改造された変形タイプ。金沢以外ではあまり見られません。また増設されたスカートは1位側のみで2位側にはありません。乗降ドアの戸袋点検蓋はキハ40系に準じたユニット式に改造されており、運転席側窓バランサー点検蓋は改造され、下の724と異なり新製時の姿ではなくなっています。

・対する724は尾灯が内ばめ式のまま、増設スカートは標準的な形態です。乗降ドアの戸袋点検蓋は横長の大型のものになっています。運転席窓バランサー点検蓋も原形のままです。

あと、657と724では放送ジャンパ栓納め、制御用KE53ジャンパ栓納めの位置も異なります。

 

両車共通で、乗降ドア下部の丸窓は撤去されています。また、前位側乗降ドアにあったタブレット保護柵を撤去した際、これの取り付け金具も一緒に撤去されています。またワンマン車・近郊化改造車は後位側洗面所が撤去されており、この位置にあった臭気抜きの小窓が無くなっています。またこの部分の窓ガラスは従来のすりガラスor白色ガラスから通常の透明ガラスに変更されています。また屋根上では通風器が全て撤去されています。

 

 

↑非ワンマンのキハ58 1132は小倉駅で撮影していました。ご覧の通りホーム数も多く、出入りする他の列車も多く、他のお客さんも多いです。よってこの後西小倉に移動したのでしょう。

 

写真はモデルチェンジ車なので通風器は元々デッキ上にしか無く、撤去されてもあまり印象は変わりません。こちら側から見て目立つのは、乗務員ドア後位にあったタブレット保護板が消えています。九州ではタブレットキャッチャー撤去時にこの保護板や、乗降ドアのタブレット保護柵及びその取り付け金具がまとめて撤去されているようです。

 

こちらは運用の合間をみて田川後藤寺に駅に移動し、その際に面会したキハ58 66です。この車は1970年代後半に各地を転々としたのち2000年以降も残った幸運な車です。この車は長く四国に配置され1972年以降は徳島にいましたが、1980年10月の減量ダイヤで捻出されて冷房化向上のため水戸に転じ、1982年11月のダイヤ改正で東北方面急行の大幅削減でキハ55系置き換えのため直方へ転属した車です。短期間に徳島→水戸→直方と転属しています。意外と徳島や水戸時代の名残は残っていません。唯一気になるのは、乗降ドアの戸袋点検蓋が横長の大型のものになっています。新製時は小型の点検蓋であり、恐らく四国時代に改造されたものと思われます。あとこの車には非常に変なポイントがあり…

 

KE53ジャンパ栓納めですが、左側のものは通常よりかなり高い位置にあり左右アンバランスな状態です。また、左の栓納めは4本ビスで止めるタイプで、右の栓納めは3本ビスで止めるタイプとなっています。3本ビスのものはヒーターの入った寒冷地用のもので、キハ58系ではモデルチェンジ車の500・1500番台やキハ56・27・キロ26の14次車以降にのみ装備されています。キハ65では500番台がこのタイプです。どこからこのタイプの栓納めが来たのか不明ですが、可能性のあるのは「サルーンエクスプレスひのくに」に改造されたキハ65 502でしょうか? まが以前の記事でもご紹介しましたが、床下の制御用ジャンパ連結器はキハ58系の10次車までは形状の古いKE53ですが、11次車以降は形状や角度の変わったKE53AやBへ移行しています。九州ではスカート取付改造を行った際に、多くの車が新しいKE53Bへ交換されており、この車もその様子が良く分かります。

 

ちなみにこれらはホームページのイラストでも再現されていますのでご覧ください。

 

ということで7編成14両とこの日は対面しました。

 

この日はメモによると小倉から鹿児島本線経由で博多へ向かう予定になっていますが、小倉駅が撮影に不向きであることからご覧のように予定変更して田川後藤寺に行っています。その後の乗車記録がメモしてないことから不明ですが、私の記憶では後藤寺線に乗った記憶があるので後藤寺線・筑豊本線・篠栗線経由で博多に行ったことでしょう。そして博多からは鹿児島本線・長崎本線経由で長崎に向かっています。長崎では駅近くのビジネスホテルに泊まったと思います。

 

<1999年8月11日>

 

この日は朝から長崎駅でキハ58系の撮り潰しをしています。当時の長崎では運用が3つのグループに分かれ、

 

キハ65+キハ58のアコモ車:3運用

キハ58+キハ28+キハ58のアコモ車:3運用

キハ28+キハ58:6運用

 

となっていました。

 

メモによると、

 

キハ65+キハ58のアコモ車:3運用

11) キハ65 518+キハ58 186

12) キハ65 75+キハ58 674

13) キハ65 23+キハ58 701

 

キハ58+キハ28+キハ58のアコモ車:3運用

21) キハ58 162+キハ28 5223+キハ58 5005

22) キハ65 61+キハ28 5222+キハ58 705

23) キハ65 517+キハ28 5221+キハ58 154

 

キハ28+キハ58:6運用

31) キハ28 2396+キハ58 1005

32) キハ28 2185+キハ58 1105

33) キハ28 2330+キハ58 1131

34) キハ28 2485+キハ58 5007

35) キハ28 3024+キハ58 569

36) キハ28 2186+キハ58 768

 

と、27両もの大量の車と面会しています。

 

↑キハ65と組んでいたキハ58 186 快速シーサイドライナー専用車(以下SSL)を用意する際、主に大分にいた急行「由布」「火の山」廃止予定車から先行改造され、同急行の廃止と共に長崎へ転属するという流れが採られ、主に600番以降の車がその対象となりました。しかし一部長崎生え抜きの車も追加改造され、146・154・162・186といった若番車もSSL化されました。このあたりの思想は一貫しません。

 

↑同じくキハ65と組む2連に入っていたキハ58 701です。当車はキハ58 700、キハ28 2485、キハ65 61と共に元「サウンドエクスプレスひのくに」用車です。同運用の終了と共に1993年に長崎に転じ、キハ58 700とキハ65 61は赤い「ハウステンボス」用車となり、キハ58 701とキハ28 2485は「SSL」化されました。SSL化当初に用意された車(上の186など)と比べると、貫通ドア窓に「SSL」のステッカーがありません。(細かい!!) また「サウンドエクスプレスひのくに」時代の貫通ドアのヘッドマーク掛けも残っており、ロゴを貼る(or書く)際には苦労したでしょう。

 

↑キハ28を挟んだ3連に入っていたキハ58 162です。こちらも長崎歴の長い若番です。

 

↑同編成の逆側です。こちらには元キハ58 767のキハ58 5005が付いていました。この車はロゴがちょっと古い「緑文字+金の縁取り」になっています。大半は前出の162のように「青文字+白の縁取り」でした。

 

↑3連運用に入っていたキハ58 705です。この705は熊本の急行「えびの」用車との交換でやってきた車で、当初からのSSL車と比べ、

 

・貫通ドア窓にSSLのステッカーが貼ってない

・通常SSL車はロゴ表記のためにステップの位置が下げられるのですが、この車は旧「えびの」車であることからそのままでロゴ表記がされています。よって手すりやステップに挟まれ窮屈な印象です。

・先の「サルーンエクスプレスひのくに」用車と同様、貫通ドアにヘッドマーク掛けが残っています。

 

更に当車特有の特徴として、その特徴的な足掛けや放送ジャンパ栓納めの位置、1位側のみの半分スカートなど、異端車の雰囲気丸出しでした。

 

ここで残念なのは、中間に入っていたキハ28 5200番台の情報が何も残されていないことです。当時は主に前面の形態に拘っていたので、中間車はあまり興味なしであったのでしょう。また当時はフィルムカメラでの撮影で、今のように何でもかんでも手当たり次第撮りまくるという事も出来ませんでした。今となっては非常に悔やまれます。

 

キハ58+キハ28の2連運用に入っていたキハ28 2485です。2連運用はアコモ車の限定ではなく、キハ28の大半は一般車でした。この2485は2連運用の他、予備車の無いキハ28 5200の代わりに3連運用の真ん中に入ることもあったようです。先のキハ58 701と同様、元「サウンドエクスプレスひのくに」用車で、貫通ドア窓のSSLのステッカーがありません。

 

↑同じく少数派であったキハ28のSSL車であるキハ28 3024です。この車は当時長崎配置車の中から唯一SSL化されたキハ28でした。キハ58は長崎配置車のうち比較的古い車両を改造しているのに対し、キハ28は最新車を改造しているのですね。このキハ28 3024はSSL化当初からの改造車で、貫通ドア窓にSSLのステッカーがあります。また当車の大きな特徴は、スカートにキハ65に準じた足掛けが追加されています。これはキハ58のモデルチェンジ車とキハ65を区別するポイントでしたので、この車に関しては例外となります。

 

↑足掛けの無いキハ58系モデルチェンジ車のスカート 写真は当時長崎のキハ58 1131

 

↑新製時より足掛けがあるキハ65のスカート。 キハ65 61です。

 

このキハ58 1131は2連運用に入っていました。写真のように九州色の2連です。この運用ではSSL色と九州色が区別されず混用されました。

 

↑SSL色のキハ58 1105と九州色のキハ28 2185の混色であった編成です。

 

長崎駅では1日撮り潰しを楽しみ、普通列車で熊本へ向かっているようです。熊本では宿に泊まった記憶が無く、駅寝をしたのでしょうか。イマイチ記憶にありません。

 

では続きは次回とさせていただきます。皆様お楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。