10月25日、日曜日に岐阜県川辺町にあるしいたけブラザースへ出かけた日のことです。川辺町から国道41号線を下呂方面へ進むとやがて飛騨川沿いの渓谷へと入って行きます。谷沿いによく整備された国道を走っていると左側に白い塔が視界に入ってきました。駐車スペースがありましたのでクルマを止めてみました。

 

 

天心白菊の塔。「飛騨川バス転落事故」当時の模様が記録されていました。昭和43年とは西暦で1969年、今から51年前のことになります。

 

 

渓谷対岸を豪快なエンジン音を響かせてワイドビューひだ号が山へ向け駆けて行きました。車窓からは木々を通してこの白い塔が見えていたことでしょう。50年と言う時間が当時の記憶が遠いものになろうとしています。

 

 

白川まで来て道の駅で折り返してきました。

 

 

道の駅に近い踏切で1本だけローカル列車を撮影してみました。風光明媚な車窓には不釣り合いなJR東海らしいキハ25形で運転されていました。

51年前の記憶です。小学校に上がったばかりの頃、まだ名古屋市内にある私の実家にはお風呂がなく一日おきに銭湯へ通っていました。雨に日だったと思います。銭湯からの帰り道、夕暮れ時のバス通りを3台の霊柩車が市外へ向け走って行きました。子供だった私にとって霊柩車に出会うことさえ恐れることでしたから、3台も連なる光景は今もまぶたに焼き付いているほどのことでした。家に帰ってまだ白黒だったテレビから流れてきたニュースから、飛騨川バス転落事故の報じられるとその記憶はさらに深いものになっていました。思い起こしてみれば霊柩車と事故の関連は定かではありませんが、子供の記憶には犠牲者を迎えに行く葬列として今も心に刻まれています。合掌


 (撮影:Canon EOS 7D)

 


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