11月7~8日、サロンカーなにわが"城崎温泉開湯1300年記念"号として走るらしく、しばらく悩みましたが。
京都鉄道博物館と抱き合せで、大阪駅で撮ってみることにしました。
10時50分頃入線・11時頃発車ということで、夜勤明けで新幹線に乗り、10時半過ぎに大阪駅へ到着しました。
サロンカーなにわは乗客を乗せて発車した後、播但線経由で城崎温泉まで送り、乗客を降ろしたら一旦、宮原区へ回送で帰るらしく。
翌8日は宮原から再び回送で城崎温泉へ向い、乗客を乗せて大阪駅へ走るとのことで、2日間滞在すれば駅でも沿線でも撮れたようですが。
広島も大阪も豊岡も雨予報で、8月の夜勤明けやまぐち号の一件で、夜勤明けではムリしないとの方針から、駅撮りの後は諦めて素直に京都へ向うこととしました。
大阪駅に到着すると4番ホームにキハ189系が見えたので向かってみると、発車標に"団体"の文字が表示されていて。
そもそも大阪駅へ来たのが約30年ぶりで、新大阪駅から向かう途中で、すっかり別の物になっていたらどうしようなどと考えていたり。
コンコースへ上る階段を昇りつつ、あぁやっぱり知らない駅だわと、コンコースの窓から写真を撮ってみました。
などとしていたのでキハ189系は発車してしまって写真は撮れませんでしたが、このまま動かなくても待っていれば、大サロの方が3番ホームへ入線してくれる。
これは私にとって安心材料でしたが、あとはどの程度の人が集まって来るのか?が、懸念事項でした。
何と言ってもフル編成ではなく5両であっても、久しぶりの大サロ運転で、各駅での撮り鉄さんの醜態もよく耳に入って来るし、トラブルに巻き込まれたらヤダなぁ~と(笑)
大サロの運転には1つ疑念が残っていて、サロンカー○○として広島での運転が行われなかったのは、コロナ禍で10月の運転計画が立てられなかったからなのか。
それとも熊本ディステネーションキャンペーンのサロンカー明星の折り、広島駅で事件を起こした中学生たちが原因となっているのか。
公式発表されていた列車が運転取り止めになった訳ではないので、当然ながら日本旅行もJR西日本も、その辺りのことはコメントを出すはずもなく。
などと考えていたら10時50分、DD51-1192号機に牽かれて、サロンカー城崎温泉が入線して来ました。
国鉄時代から通して、初めて生で見るDD51 + サロンカーなにわの編成です。
先端部は絶対に人の山でしょうから、ホーム中央より新大阪寄り辺りで入線を狙いましたが、万歳姿勢で撮った割には、ちゃんと撮れて一安心な写真です。
大サロを牽くDD51が無事に撮れたら、後はまったり発車までマイペースです。
いつもの様にホームの雰囲気を撮ったり、ヘッドマーク・テールマークを撮ってみたり、14系が止まっている華やかな空間を、ただただ満喫します。
城崎温泉は兵庫県の日本海側、豊岡市にある温泉街ですが、開湯1300年と言うと時は奈良時代で元号は養老4年。
まだ平安京も存在していなかった西暦720年、隼人の反乱が起きて大伴旅人(おおとものたびと)公が、征隼人将軍に任じられたり、蝦夷の反乱が起きた年です。
大伴旅人公と言えば、旅をする人の"旅人"ともかけて、大宰府天満宮へ向かう西鉄の"旅人"の列車名にもなった方ですが。
728(神亀5)年頃、二度目の九州遠征を60歳で賜っていて、大宰帥として当時の国際情勢を踏まえた外交と防衛の手腕を発揮しました。
そんな時代だったので、古代と言えども人の往来は多く、城崎も温泉郷として存続できた様ですが、その起原は飛鳥時代の629(舒明1)年に、コウノトリが傷を癒していた事により発見されたとの伝説があります。
史実的には717(養老1)年に同地を訪れた僧侶・道智(どうち)上人が、千日間の修行を行った末に720(養老4)年に湧出したことが、城崎温泉の始まりとされていて、2020(令和2)年の今年が開湯1300周年となっています。
道智上人の居館は後に温泉寺となり、現在まで城崎温泉を象徴する存在となっています。
当時の僧侶は仏門の宗教的な存在よりも、大陸からの最先端科学を履修した者としての地位があり、医学や数学や建築・土木などの専門知識を有していました。
伝説の方は自然湧水していた温泉が地元で認識されていたという話しで、道智上人の指導の元そこへ湯殿=入浴施設が造られたのでしょう。
江戸時代には西の大関 有間、関脇 城崎と呼ばれ、幕末では長州藩の桂小五郎が隠棲していたことも有名です。
明治時代以降も軍の保養所が造られたり、軍の病院施設に指定されたりして発展し、戦後も日本有数の保養地として人気を誇り、現在も観光地として賑い続けています。
コロナウイルスCOVD-19の猛威もまだまだ侮れませんが、アフターコロナに向けて運輸事業者と観光地や商工会などが連携して、1つずつ活性化して行くのは必須です。
サロンカーなにわによる貸切列車を始め、広島のetSETOraや山口線のやまぐち号など、またJR西日本だけでなく全国には、経済活性の一翼を担える列車が多く存在しています。
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不届者による違法行為や、礼儀と礼節をわきまえない人たちによる、妨害行為を許してはならないように感じます。
しかしここで問題なのが、そういった人たちの中には自分ルールが世間のルールとズレていることを、認知できない人がいること。
この種の人間は鉄道ファンだけでなく、世の中に広く存在していて、性格がどうのという人とは一線を画する人たち。
私の職場にも1人いるのですが、他人の意見を聞かずに我を通し貫いて、それが間違っていると自覚できない人。
指摘するとキレて怒鳴り出すし、相手が言葉を発しようとすると、遮って大声でまくし立てて。
一方的にしゃべるだけならまだしも、以前のことばと今のセリフが正反対の矛盾だらけな上に、今のしゃべり始めと今言っていることばも矛盾していて支離滅裂。
こういう人は、他人から意見を聞いても理解できないので、バカにされまいと騒ぎ続ける人たちです。
こういった人たちに、常識がどうのルールとマナーがどうのと言っても、基本自分は間違っていないので『何を訳解らないことを・・・』と、その人をイライラさせるだけ。
困った存在ですが、こちらが強く出ると刺されたら嫌なので、みんな極力刺激しないようにしているのですが。
いやいやいや本当にねぇ、価値観や正義感がどこにあるのか解らないので、刺されるカモ?と疑うのは自然な流れなんですが、刺されないまでも、いつ何のスイッチが入るか解らないのは現実。
撮り鉄で問題視されている人たちは、きっとこの人に近いんだろうなと、私はそう思ったりしています。
ホントに困った存在ですね。
と言うことで、約30年ぶりの大阪駅でしたが、3番ホームの西端でのバックショットを撮った写真では、昔の片鱗が残っていて少しホッとしました。
583系 特急・急行の写真は過去にUPしたモノから、30年前後昔の大阪駅での写真を、選り抜いてみました。
恋人たちの日・・・・あぁ、一緒に城崎温泉で1週間ぐらい滞在できたら、心身ともにリフレッシュできるだろうにねぇ。
