南北朝時代に京都にあったのは北朝ですが、三種の神器は南朝の吉野にありました。従って126代の皇統のカウントは南朝に依っています。
南北朝時代が始まる以前、第88代後嵯峨天皇の次から皇統は大覚寺統(後の南朝)と持明院統(後の北朝)の二つに割れて交互に皇位継承される方式をとっていました。
これを一本化しようとした大覚寺統の後醍醐天皇が始めた建武の新政が瓦解して退位する際に、持明院統の光明天皇へ贋物の三種の神器を渡した経緯があります。
細かい話は勉強(学校で習った内容すら忘れた)が追い付かないのですっ飛ばしましたが、まあ院政だの倒幕だのいろいろ絡んでややこしいことだけ分かりました。
最後は南朝が北朝に三種の神器を渡して南北朝時代が終わり、現在の皇室に繋がっています。
改めてこの整理をしたのは「北朝の天皇も御陵がある」と当然のことに気づいたからで、調べたら以下の通りでした。
①光厳天皇(山国陵):後花園天皇(後山國陵)と拝礼所が共通で常照皇寺の奥にある。詳細は常照皇寺メインで別途記事にします。
②光明天皇・崇光天皇(大光明寺陵):JR奈良線桃山駅から南(左)へ突当りを東(左)へ100m進んで南(右)側に参道入口がある。この御陵も画像はいずれOwndにて。下の画像は御陵の側から北を見ているが、桃山駅に近いことが分かる。
③後光厳天皇・後圓融天皇:他の10代の天皇と共に深草北陵に合葬されています。このシリーズでは前の記事で既出です。
①と③は宮内庁公式にある拝礼所を参拝すればいいわけですが②は北朝単独の御陵です。たまたまグーグルマップで「陵」で検索して見つけました。
という訳で、行程としては前の記事の明治天皇陵から西へ②経由でJR桃山駅へ移動しました。
-つづく-