皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

ここ最近ぐっと冷え込んできて、以前もお伝えしましたが7年間も赤道直下で過ごしてきた私にとっては非常につらい季節になってきて、最近は体調も悪くずっと活動休止中でした…。

 

今回はTomixさんより来年発売予定のキハ58系急行「陸中」について考察してみたいと思います。Tomixさんも非常にマニアックかつ泥沼の領域に足を突っ込んで来たなと思う今日この頃です。ここでTomixを批評するつもりはありませんので、あくまで事実を考察し、発売される模型がどうなるっているのか期待を膨らませることにしましょう。

 

今回発売予定の急行「陸中」編成は、

 

キハ58 400番台+キハ28 2000番台+キハ58 1500番台

 

の全冷房車・盛岡色・原形エンジンで発売されます。

 

まずは、キハ58系を使用していた晩年のキハ58系急行「陸中」について解説したいと思います。

 

急行「陸中」は、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」の前までは、仙台から花巻まで東北本線を通り、その後釜石線・山田線を経由して宮古へ向かう急行列車でした。2往復あり、東北本線内は1往復は急行「たざわ・むろね」と、もう1往復は急行「きたかみ」と併結していました。ちなみに現在の快速「はまゆり」の走行区間に該当する盛岡~花巻~釜石を走っていたのは急行「はやちね」を名乗っていました。

東北新幹線・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行は新幹線連絡のものを除き廃止・整理され、急行「陸中」は新幹線連絡急行として北上~花巻~釜石間の運行となりました。2往復が設定され、盛岡発着の1往復は引き続き急行「はやちね」を名乗っていました。編成はキハ58+キハ58+キハ58の非冷房車による3連でした。当時の盛岡客貨車区には「57-11改正」以降キハ58系は非冷房のキハ58しか配置されていませんでした。

次に転機が訪れるのは1985年3月改正(60-3改正)です。当改正では東北新幹線と釜石線の交差地点に「新花巻」駅が開業し当駅が新幹線乗換駅となります。よって急行「陸中」は北上発着とする必要はなくなり県都盛岡発着となりました。これでは「はやちね」と同じ経路になりますが、急行「陸中」は釜石から山田線経由で宮古まで延長され、「はやちね」は花巻経由の釜石行き、「陸中」は花巻・釜石経由の宮古行きという区別になりました。また、当改正でこの「陸中」と「はやちね」の冷房化が行われ、各地から捻出された冷房車が盛岡へ転入しほぼ同数の非冷房車が転出しました。すなわち、

 

<転入(冷房車)>

キハ28 2045…山形より転入

キハ28 2047…山形より転入

キハ28 2308…宮原より転入

キハ28 2311…宮原より転入

キハ28 2316…山形より転入

キハ28 2333…秋田より転入

キハ58 75…山形より転入

キハ58 269…秋田より転入

キハ58 276…山形より転入

キハ58 277…山形より転入

キハ58 614…山形より転入

キハ58 628…秋田より転入

キハ58 744…秋田より転入

キハ58 1505…秋田より転入

キハ58 1517…秋田より転入

キハ58 1527…秋田より転入

 

と、キハ28の冷房車が6両、キハ58の冷房車が10両転入しています。これで急行編成はキハ58+キハ28+キハ58の冷房車3両編成もしくはこれを2本つなげたものとなりました。

 

転入元の動きとしては、「60-3改正」で急行「もがみ」の廃止により山形から冷房車が転入、急行「むつ」「よねしろ」の廃止により秋田から冷房車が転入、宮原区が廃止となり向日町へ統合され、また急行「紀の川」「みささ」の廃止・減便により宮原から冷房車が転入しています。山形は急行運用が「月山」のみとなり冷房車の配置が激減し、また秋田では急行運用が一時的に消滅しキハ58系の配置も激減ししかも非冷房車のみとなっています。

16両の冷房車が集まりましたがすぐにメンバーの交代が行われ、当区の1517が秋田局の「エレガンスアッキー」へ改造されることになり1985年6月13日付で山形へ転属し、代わりに山形の1502が6月10日付で盛岡へやって来ます。なぜ転属させてまで盛岡の1517をエレガンスアッキーに改造したのか、当時山形配置の1502では駄目だった理由が謎です。検査周期の関係でしょうか、それとも屋根上水タンクがアルミ製の1502を改造したくなかったのでしょうか?

 

この時点で一旦纏めますと、急行「陸中」「はやちね」用のキハ58系冷房車は、

 

キハ28 6両:2045、2047、2308、2311、2316、2333

キハ58 10両:75、269、276、277、614、628、744、1502、1505、1527

 

で、この状態で「61-11改正」を迎えます。

 

国鉄最後の大ダイヤ改正であった1986年11月の「61-11改正」ではまず愛称の整理が行われ、急行「はやちね」の名称が無くなり急行「陸中」に統合され、「陸中」は3往復となりました。そして減車も行われて定期運用は3連3本で事足りることとなり、1エンジン車でパワーの低いキハ28が真っ先に淘汰される事となりました。この時には2045と2311が1987年2月5日付で廃車となりJRへ継承されませんでした。当時東北には非冷房のキハ28が多数残っており、この時点で冷房車で4VKを搭載したキハ28 2300番台を廃車にするのは少々勿体ないような気がします。

 

ではJRへ移管された盛岡のキハ58系急行「陸中」用冷房車は、

 

キハ28 4両:2047、2308、2316、2333

キハ58 10両:75、269、276、277、614、628、744、1502、1505、1527

 

となり、キハ28の給電能力に対してキハ58の方が多いので、一部冷房車は非冷房車に混じって普通列車で使用されることになります。

 

JR化後の動きですが、JR化後は転配の他塗装変更や機関更新の動きもあり目まぐるしく変わります。

 

まず1987年度末である1988年3月に、山形との車両交換がありキハ58 619が転入してキハ58 1527が転出します。また盛岡色化はキハ28 2047(1987年10月)、2308(1987年2月)、キハ58 75(1987年3月)、269(1987年7月)、276(1987年3月)、277(1987年3月)、614(1987年3月)、628(1987年3月)、1502(1987年6月)、よって1988年4月の時点で、

 

キハ28 4両:2047(盛岡色)、2308(盛岡色)、2316、2333

キハ58 10両:75(盛岡色)、269(盛岡色)、276(盛岡色)、277(盛岡色)、614(盛岡色)、619、628(盛岡色)、744、1502(盛岡色)、1505

 

となります。

 

1988年度には冷房車の減少がみられ、1988年6月1日付でキハ28 2333が「エーデルワイス」の種車捻出のため秋田へ転属し、1988年9月度でキハ58 619と744は「エーデルワイス」に改造されています。ちなみにキハ28 2333が秋田へ転出した結果、秋田のキハ28 2509が捻出され、この車が盛岡へ転出し「エーデルワイス」に改造されます。また、この時点までで全車の盛岡色化が完了し、1989年4月の時点での急行用冷房車の配置は、

 

キハ28 3両:2047、2308、2316

キハ58 8両:75、269、276、277、614、628、1502、1505

(全車盛岡色)

 

となります。

 

1989年度の動きですが、営業的には1989年度末である1990年3月10日のダイヤ改正で急行「陸中」の2往復にキハ110系が先行投入されます。これによりキハ58系を使用するのは1往復のみとなります。但し車両の動きがあるのは次年度の1990年度になります。1989年度は機関換装の第1陣が登場し、陸中用のキハ58系冷房車からは、277(1989年11月)、614(1989年9月)、628(1990年3月)が1989年度中に改造されています。なおこれら3両はこの正式な換装に先立ち、1988年1月から11月の間に機関をコマツ・ニイガタ・カミンズ製に換装して長期試験を行ったという記録があります。

 

よって、1990年4月1日時点での急行「陸中」用車両の配置は、

 

キハ28 3両:2047、2308、2316

キハ58 8両:75、269、276、277(機関換装)、614(機関換装)、628(機関換装)、1502、1505

(全車盛岡色)

 

となります。

 

1990年度は、前年度末の1990年3月10日のダイヤ改正で急行「陸中」の2往復にキハ110系が先行投入されたましたが、残った1往復に2運用必要であったため上期は車両の動きはありませんでした。下期になると冷房を使用しない時期に入るため冷房車限定運用が解除され編成の自由度が増します。そのため転用が進みます。そして1991年3月16日のダイヤ改正で急行「陸中」は全列車がキハ110系化されます。

まず、キハ58 1505は1990年9月度でキハ58 1500番台冷房車では唯一の更新工事を受けます。当然併せて機関換装も施工されています。このため更新後1991年3月までの間は急行「陸中」でも活躍したことでしょう。

キハ28 2047はキハ58系急行「陸中」最期まで活躍し、1991年3月のダイヤ改正後に秋田へ転属し、急行「よねしろ」用となります。そして1992年2月には「よねしろ」用の更新を受けます。こんな若番が急行「よねしろ」用更新車となるとは、運命でしょうか。

キハ28 2308は、冬季で冷房を使用しないことから1991年3月のダイヤ改正を待たずに1991年2月26日付で小牛田へ転属します。転属に合わせて1991年3月度で機関換装を受けます。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」で使用されます。

キハ28 2316もダイヤ改正を待たずに1991年2月2日付で新潟へ転属します。転属後間もなく1991年4月付で機関換装を受けます。新潟では快速「べにばな」「あがの」で使用されます。

キハ58 75はダイヤ改正を待たずに1991年1月23日付で訓練車の控車となります。同時に機関換装を受けます。

キハ58 269はキハ58系急行「陸中」最期まで活躍したものの機関換装はされず、保留車として在籍したのち1992年12月1日付で廃車となります。

キハ58 276はキハ58系急行「陸中」最期まで活躍し1991年3月のダイヤ改正後1991年5月26日付で八戸へ転属します。同時に機関換装を受けています。

キハ58 277は機関換装を受けておりキハ58系急行「陸中」最期まで活躍したのちは普通列車用となります。しかし若番車であることや冷房が不要であることから余剰車となり1994年8月10日付で廃車となります。

キハ58 614は機関換装を受けておりキハ58系急行「陸中」最期まで活躍したのちは普通列車用となります。しかし冷房が不要であることから余剰車となり1994年8月10日付で廃車となります。

キハ58 628は機関換装を受けておりキハ58系急行「陸中」最期まで活躍したのちは普通列車用となります。盛岡の冷房車では長命でしたが1996年12月24日付で廃車となります。

キハ58 1502はキハ58系急行「陸中」最期まで活躍し1991年3月のダイヤ改正後1991年9月18日付で秋田へ転属し急行「よねしろ」用となります。そして1992年3月には「よねしろ」用の更新を受けます。

キハ58 1505はキハ58系急行「陸中」最期まで活躍し、1991年3月のダイヤ改正後は一旦普通列車用として他車と混じって使用されます。しかし、1992年3月11日付で、もと「アルカディア」の2両と組み新しいジョイフルトレインの「Kenji」として改造されます。

 

このように、1991年3月のダイヤ改正で役目を終えた急行「陸中」用のキハ58系は各地へ散り、また廃車となるのでした。

 

前置きが極めて長くなりましたが、ここでTomixさんから模型化予定のキハ58系急行「陸中」について考察してみましょう。

 

Tomixさんが模型化するのは、全車冷房車で全車盛岡色の3両編成です。これは盛岡色への塗装変更のペースなどを考えると、1988年頃以降の状態であると言えるでしょう。そして1990年3月までにはキハ58 400番台の機関換装が完了してしまう為、この間の約2年間の姿であると言えます。

 

Tomixさんの模型化する編成は前述の通り、

 

キハ58 400番台+キハ28 2000番台+キハ58 1500番台

 

とされていますので、

 

キハ28は2047、キハ58 400番台は614か628、1500番台は1502か1505となります。車両がかなり絞られてきてしまいます。これらの車両について特徴を見てみましょう。

 

キハ28 2047

 

盛岡で唯一の0番台(4VK搭載2000番台)のキハ28です。

 

実車の目に付く特徴を挙げますと、

 

・0番台で運転席窓バランサー点検蓋が無い姿

・単線型スノープロウ

・0番台だが、宮原時代の名残で乗降ドア下部に丸窓がある

・回転式タイフォン

・トイレは宮原時代から汚物処理装置付き

・テールライトは宮原時代に外ばめ化改造済み

 

と、細かな特徴があります。特に赤くしたところは模型化の際のポイントとなります。商品紹介では、タイフォンについては回転式を再現するとあるので、この2047を意識して模型化してくると思います。ただ、外ばめに改造されたテールライトはどうでしょうか? 外ばめの型を使ってくれれば良いのですが…。あと、汚物処理装置をちゃんと付けてくれるかも気になります。これ付いていないと、また○○オクなんかで異常な値段に高騰したものを買わなければなりません…。また当車は0番台車にもかかわらず、関西地区に良くある例で乗降ドア下部の丸窓が付いています。模型では丁寧に丸窓無しで出てくるのではと心配しています。もし丸窓無しで発売されたら、ドア下部に穴を開け、他のキハ28 2300やキハ58 400の窓パーツを嵌めるしかありません。

 

次にキハ58 400番台(614・628)です。

 

 

側面図は上が614・下が628、正面図は左が614・右が628です。

 

運転席窓バランサー点検蓋が付いたキハ58 400番台の中期車ですが、いろいろと特徴があります。

 

・614・628ともに乗降ドア下部の丸窓が無い。614は完全に無く、628は鉄板で塞がれた形態。

・トイレは汚物処理装置付き

・614は単線スノープロウ、628は複線スノープロウ

・614はテールライトを外ばめ化、628は原形の内ばめ

・628の冷房電源用KE8ジャンパ栓納めの位置は、初期の冷房改造車の位置(通常より低くタイフォンとほぼ同じ高さ)

 

となっています。乗降ドア下部の丸窓は模型屋泣かせで、先ほどのキハ28 2047は0番台なのに増設されていたのにも関わらず、こちらの2両は新製時に付いていたのに後に撤去されています。模型ではこの丸窓は付いたまま製品化されるのではと思っています。その場合は628の形態である、後から塞がれた形態を再現するのがまだ簡単かもしれません。塞ぎ跡を平滑にする必要がありませんから。またこちらもトイレの汚物処理装置が付いて製品化されるか気になるところです。

 

最期に、キハ58 1500番台を見てみましょう。該当者は1502と1505です。

 

 

側面図は上が1502・下が1505、正面図は左が1502・右が1505です。

 

数少ないキハ58 1500番台の冷房車という事で魅力満載です。両車の違いも幾つかありますので特徴を見てみましょう。

 

・冷房車であるが1500番台であるので当然タイフォンはシャッター付き

・1502の制御用KE53ジャンパ栓納めの位置は非冷房車と同じで、珍しい形態。

・1502は乗降ドア下部の丸窓が無い。1505も恐らく無いものと思われるが詳細は不明。

・1505は、貫通ドアが平窓用に交換されており、貫通ドア窓の幅が狭い。

・トイレは汚物処理装置付き

・後位側屋根上の水タンクは、17次車であり平窓用に準じたアルミ製のまま

 

という特徴があります。

1500番台冷房車を製品化して来ますので、タイフォンは当然シャッター付きで出てくるでしょう。乗降ドア下部の丸窓は先の614・628同様、1502は撤去されており1505は不明ですが恐らく撤去もしくは塞がれている可能性が大です。あと大きな特徴であるのが、キハ58 1505が正面貫通扉が平窓用に交換されており、扉窓が狭幅です。なので不思議な雰囲気の車両になっています。模型はそんな手間かけているとは思えないので、そうすると模型は1502になることになります。すると、先の乗降ドア下部の丸窓は埋めなくてはならなくなってしまいます…。あと、両車ともに該当するのが屋根上の水タンクで、1501~1511までの特徴でモデルチェンジ車標準のFRPタンクではなく、平窓車に準じたアルミ製タンクが乗っています。今回の模型でもそこまで再現してくれているか非常に気になるところです。もしFRP製タンクであったら、手元のキハ58系平窓車の余剰パーツと交換です。まぁそんなに手間はかかりませんが。あと共通で汚物処理装置が付いているかが気になります。
 
さていかがでしょうか。そもそも東北地区の冷房車は数が少ないので、それを模型化するとなると変な車が混じる可能性は高くなります。今回はそんなレア車の集まりであるJR化後の急行「陸中」の模型化となりました。あくまで模型ですので実車を100%再現することはあり得ないでしょうが、実車の特徴を掴んでおき、気になる方はより実車に近くなるような加工をされると良いでしょう。また、Tomixさんがこれら車両をどこまで再現してくるのかも気になります。まさにTomixさんの「本気度」が分かると言えましょうか。
 
Tomixさんは以前HGの旧ロットで盛岡色の製品化を行っています。この際は正直言って突っ込みどころ満載のセット内容であったと言えるでしょう。それから20年近く経過し、Tomixさんの今回の製品にかける意気込みを見てみたいと思います。2月の発売がたのしみですね。
 
ちなみに盛岡色の急行「陸中」には乗車したことがあります。この写真は陸中ではなく山田線の普通列車ですが。。。 
 
急行「八甲田」に乗り盛岡に到着後、この朝一(5時55分盛岡発)の山田線普通列車で宮古へ向かいます。すると宮古で急行「陸中4号」に乗り継ぐことができました。当時1990年8月は陸中は2往復がキハ110系化されており、私が乗った陸中4号はキハ58系で残った列車でした。その写真を撮っていないのが何とも悔やまれます。当時の8月の急行「八甲田」はむちゃくちゃ混んでおり、車内で身動きが取れないほどの混雑でした。そして盛岡で下車すると山田線の始発に乗れるというのは良いダイヤでした。今では考えられないです。
 
久しぶりの投稿はやたら長文になってしまいました。相変わらず小ネタの描けない性分でした。
 
次回も盛岡ネタで行きたいと思います。皆様次回もお楽しみに!!
 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。