昨夜のことでした。鉄道ファンのバックナンバー2000年6月号を振り返っていました。この号の特集は「特急列車国鉄メーク2000」でした。ちょうど復活鉄の頃はどんな状況だったのか流し読みしていましたところ、大きな気づきがありました。2000年3月改正で寝台特急彗星号に大きな変化があり、車両が25系から14系に代わりあかつきとの併結になったとのこと。しかし私が撮影している彗星号は電源車カニが連結された24系だったのです。どうやら私は復活鉄が2000年と思い込んでいたものの正しくは1999年でした。就職して宮崎へ渡ったのは就職して3回目の転勤、指折り数えてみればやはり1999年が正しかったようです。ヤフー時代2011年に投稿した宮崎時代の記事は1999年と記載しており、その後2000年と勘違いし昨日までその誤りに気が付きませんでした。この場を借りましてお詫びと訂正をさせていただきます。申し訳ございません。過去記事も含め順次訂正させていただきます。改めまして1999年4月に桑名から宮崎に異動になり単身赴任が始まりました。それを機会に鉄道撮影を再開しました。ところが諸般の事情から今月末で桑名の自宅を引き払うことになりました。桑名の書棚に並んでいた2000年の鉄道ファンを手に取ってこの誤りに気付いたのも何かの因縁だったのでしょうか。

―彗星(京都総合運転所)この3月改正から京都―門司間はあかつきとの併結運転、運転区間も新大阪―南宮崎から京都―南宮崎に変更された。また編成も、24系から14系の6両(閑散期4両)となった。受け持ちはJR西日本の京都総合運転所。使用車両は14系15形で、南宮崎方の2両目にはオールソロのオハネ15形350番台が組み込まれる。・・・

(参考文献:鉄道ファン2000年6月号から抜粋)

(撮影:minolta XD)

 

 


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