洛外歴遊:平安京の再認識-扇形庫の場所は朱雀大路だった | 停車場遍路の鉄道雑記帳(副)

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画像・動画を含む鉄道趣味のブログです。ときどき戯言を書いてます。ー[2013年2月9日以前の記事はほとんどの画像が表示されません]ー

京都へ行って来ましたんで新シリーズでアップしていきます。

以前の奈良旅同様にこの旅も軸は天皇陵巡りで、ついでに観光名所に立ち寄ったり通り過ぎたりしたので、そのおまけ分を記事にしていきます。ともあれ本稿はプロローグとして以下。

平安京の範囲は北辺が一条通りで、南辺が九条通り、西は桂川を、東は鴨川を越えないとして長方形をイメージします。

この内側を洛中、それ以外の京都周辺を洛外と呼ぶそうで、天皇陵の所在地は後者だけです。結果的に洛外メインの旅となりました。

詳細は立命館大学がネットに公開している「平安京オーバーレイマップ」を見つけましたのでこのリンクから参照ください。

平安京の正中線である朱雀大路は幅84mもあったそうで現在の千本通を含んでいました。北端の朱雀門・南端の羅城門は碑があるのみです。

鉄ちゃんとしては副題の通り梅小路の転車台が朱雀大路にあったという知識のリンクがうれしい。山陰本線もその幅の中にありますが北の方で少し西にはみ出ています。

ここで「現在の御所は内裏の位置ではない」ということに気づきました。「何を今更」ですが京都駅前から北に行くと京都御所があるので、その間の烏丸通りが朱雀大路だったと誤認していました。

応仁の乱で内裏ともども周囲が焼け野原になったので御所が現在の位置に「移転した」というより「元々里内裏だった」土御門東洞院殿を北朝第一代の光厳天皇が正式に御所としたのだそうです。

放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」で門や塀が壊れた(信長が修復した)御所におわす帝は第106代正親町(おおぎまち)天皇なので、既に現在の位置の御所でしょう。

というわけで「京都は平安遷都から1200年間都市であり続けている」という認識に違和感を持つようになりました。移転後の京都御所を中心に再開発して発展したのが現在の京都市街でしょう。内裏も朱雀大路も痕跡が無いのですから。

もちろん遷都時点での大路・小路の名前は残っています。ただ、平安京は九条までしか無かったのにその南に十条通りがあって、近鉄・地下鉄の十条駅があります。歴史に重きを置くならカウントアップするべきでは無かったと思うのですが。

画像が無いのも寂しいので、(洛中ですが)早朝とはいえ人が居ない京都駅烏丸口貼っときます。


-つづく-