こんにちは。ご無沙汰しております。
先日、自室でNゲージを走らせておりますと妻が覗きに来まして、私がテーブルの上に線路だけ広げて走らせている光景を見ながら…、「ジオラマとかあった方がもっと楽しいんじゃないの?」と言うのです…。何のかんのと言いながら、私の趣味に理解を示してくれる妻には感謝しています。こうなったらお言葉に甘えて、レイアウトを作るしかありませんよね。
さて今回の本題です。うちにも「KATOのEF64 0 1次形」が入線しました。うちの鉄道では初めてのEF64形となりますが、流石KATOいつも通りの素晴らしい出来栄えです。では早速、見ていきたいと思います。
【実物について】
KATO EF6411 + キハ82107
EF64一般形は、S39年にデビューした一般勾配線用の標準形電気機関車で、板谷峠のある奥羽線福島-米沢間の輸送力を増強するため、12両がEF16形の置換え用として福島機関区に投入されました。 ベースになったのはEF62・EF63形ですが、最急勾配用の特殊装置の省略や、歯数比を変更して(EF62は1:4.44に対し、EF64は1:3.83でEF65と同じ)高速性能の向上が図られています。また、勾配線用として必要な装備となる「勾配抑速用電気ブレーキ」は、地上の変電設備との関連や汎用性も考え、「回生ブレーキ」ではなく「抵抗発電ブレーキ」が採用されました(※)。このため多くの熱を発するので屋根上には抵抗器排風口が設けられています。重連総括制御については継承されおり、可能となっています。軸配置については、EF62形では重量計画の関係でC-C配置となりましたが、EF64形では装置の省略・整理、車体構造の研究が進み少し余裕が出てきたことからB-B-B配置に戻されました。台車は機関車重量を軽減するため、もっとも軽量なEF70形用のDT120・121形に改良を加えたDT120A・121A形が用いられています。
(※)「回生ブレーキ」ではなく、「抵抗発電ブレーキ」が採用された理由としては
① 福島-米沢間は交流化が決まっていたため、直流変電所の増強は得策ではなかった。
② 勾配線区一般の標準機関車として変電設備面からの制約を受けない様にする。
③ 回生ブレーキは、力行列車と回生列車をうまく設定しなければならず、力行列車が同時に走ると容
量不足、回生列車が同時だと回生失効(これが生じると電気ブレーキが利かなくなる)になるため、
列車本数が増加した場合にダイヤに制約を伴ってしまう。(回生失効を防ぐには、回生した電気を
変電所が消費する役目を負わねばならず、容量不足の場合と同様に変電所の増強が必要となる)
が挙げられています。
KATO EF6411 + キハ82107
EF64一般形は、板谷峠を通過する客車列車・貨物列車の牽引やキハ80系DC特急「つばさ」「やまばと」の補機として活躍を始めました。そしてS41年からは中央東線にも投入が始まり、S43年10月には奥羽線の交流化に伴い福島機関区所属のグループが中央西線へ転用されます。その後も成田空港建設用の砕石列車牽引用、中央西線(中津川-塩尻間)・篠ノ井線(松本-篠ノ井間)の全線電化開業用、旧型電気機関車置換え用、等の名目でS51年までに79両が製造され、中央線をはじめ篠ノ井線、上越線、伯備線、青梅・南武線、等で活躍をしました。このEF64一般形、形態別に大きく分けて前期形と後期形に分かれますが、さらに先行試作車~第9次車まで10のグループに分けることが出来ます。次にその分類についてまとめておきたいと思います。
製造名目と形態から見た分類
先行試作車(S39年落成、1・2号機)
福米間EF16形置換用(試作)として福島機関区に投入。前面窓部にはデフロスタを装備、ツララ除けのプロテクタも装着された。プロテクタは後に撤去されるが、ボルトは残る。テールライト台座の形状は小判型で標識円盤取付け可。電暖用MG搭載、電暖車側表示灯は外部交換式。運転室側窓上の水切りは乗務員扉まで(電暖車側表示灯までかからず)。屋根上歩板は木製。予備笛カバーが丸みを帯びた形状で蓋無し。避雷器はLA15。側面のエアフィルタはビニロック。
第1次量産車(S40年落成、3~12号機)
福米間EF16形置換用(量産)として全機が福島機関区に投入。電暖用MG搭載。運転室側面窓上の水切りが電暖表示灯の上まで延長される。予備笛カバーの形状が変更され蓋が付く。
第2次量産車(S41年落成、13~28号機)
中央東線および即電化区間輸送力増強用(13~15)、中央西線瑞浪電化開業用(16~28)として全機とも甲府機関区に投入(これにより、甲府区のクイル式EF60初期車が稲沢区へ転出)。貨物専用とされたため電暖用MG非搭載で、代わりに死重を搭載している。標識灯の赤色円板が廃止されたため、テールライト台座の形状が丸型に変更されている。
第3次量産車(S43年落成、29・30号機)
中央西線中津川電化開業用。電暖用MG搭載。避雷器はLA15Bに変更。屋根上歩板が木製から塩ビシート貼り鋼板に変更される。この2両だけ、スカートの角が角張っているのが特徴。
第4次量産車(S45年落成、31~36号機)
新東京国際空港建設資材輸送用(31・32)。名目上は成田空港建設用の砕石列車を初狩-池袋-田端-金町-新小岩-千葉-成田の経由で輸送するためものだが、実際には他のEF64と混用された。 中央東線、飯田線、身延線貨物輸送増強用(33~36)。中央線の旧型電気機関車を置き換えて飯田線・身延線に転出させ、中央線客車列車の牽引もEF13形からEF64形に置き換えるためのもの。31~36の全車とも電暖用MG搭載。前面窓部のツララ除けのプロテクタが廃止される。側面の乗務員ドア脇の手摺の構造が簡素化され、上部取付け部分の形状が変更されている。室内灯が蛍光灯化される。その他機器類の変更が多い。
第5次量産車(S46年落成、37~43号機)
飯田線、身延線、関東地区貨物輸送増強用および中央東線の電気機関車新性能化用。電暖用MG搭載。前面窓に熱線式ガラスを採用したためデフロスタが廃止される。前面下部歩板が小型化される。空転滑走検知用の車軸発電機がなくなり、速度計用のみとなる。
第6次量産車(S46年落成、44・45号機)
中央東線石油専用列車増発用。第5次量産車と同一仕様。形態上から大きく分類する場合、この6次車までを前期形、7次車以降を後期形とするのが一般的。
第7次量産車(S48年落成、46~75号機)
中央西線(中津川-塩尻間)、篠ノ井線(松本-篠ノ井間)の全線電化開業用。外観上の変化が多いのが特徴。運転室への扇風機取付に伴い屋根上にカバーを設置したため、パンタグラフの取り付け位置を140mm車端寄りに変更。避雷器はLA15Dに変更し、パンタグラフの内側へ移動。前面窓下の通風口の廃止。テールライトを外嵌め式に変更。転動防止用手歯止受を台車設置から車体設置に変更。46~55号機は電暖用MGを搭載、電暖車側表示灯は室内交換式(台形タイプ)に変更。56~75号機は電暖用MGを非搭載。
第8次量産車(S51年落成、76・77号機)
飯田線(ED18・19形)置換用。従来から飯田線で使用されていたED18、ED19形を、ED61形を軸重軽減改造したED62形で置き換えるため、ED61形の代替として増備したもの。基本的には第7次車の電暖非搭載機(56~75)に準ずるが、車体ナンバーがプレート式に変更されたり、側面エアフィルターの一部(両側面とも左から3つ目)が二分割のFRP製に変更され外観上も他のフィルターと異なる等、微細な変化がある。
第9次量産車(S51年落成、78、79号機)
飯田線(ED18・19形)置換用。基本的には第8次車と同一仕様だが、二分割式のFRP製エアフィルターの中央部と上下端部に8次車との差異がある。
【模型について】
外観
EF6411 [KATO] 配属R2.10.28 手前が第1エンド側
0番台の1次形ということで、板谷峠で活躍したグループのうち3~12号機が該当します。カラーリングは青15号にクリーム1号のエプロン(前面警戒色)となっています。この塗色はEF64形で初めて採用され、のちに直流新性能電気機関車や旧性能のEF58形にも普及しました。
側面の様子
EF6411 左が第1エンド側
いつもながらの素晴らしいプロポーションです。6枚の大型エアフィルターが目を引きます。電暖車側表示灯は外部交換式。第2エンド側の運転室側面窓上の水切りは電暖車側表示灯の上まで延びています。台車は両端がDT120A、中間がDT121A。各種表記類もしっかり印刷されています。
正面の様子
EF6411 第2エンド側正面
ロクヨンらしい顔つきになっていると思います。前面窓にはデフロスタとワイパー、窓回りには保護柵取付ボルト、窓下には通風口、テールライト台座は小判型、スカートにはコック類のモールドが表現されています。誘導員ステップはスカートと一体です。また別パーツで、誘導員手摺、解放テコが取り付けられており、スカート下のスノープラウが顔つきを引き締めています。
左写真:第1エンド側を斜め上から。パンタグラフの後側には抵抗器の放熱通風器があります。この側面
には排風口がありますがカバー無しのタイプ(原型)となっています。中央の溝の内側にもモール
ドがなされています。また運転席の真上の屋根上にある箱の様なものは予備笛カバーです。
右写真:第2エンド側を斜め上から。パンタグラフの後側はモニターとなっています。その採光窓にはHゴ
ムがグレーで印刷されており、窓ガラスも入っています。歩板は実感的にモールドされています。
なお、避雷器、信号炎管、ホイッスルカバーは別パーツが取り付けられています。
左写真:車体の側面にある細長い採光窓とフィルターの様子。この採光窓、周囲のHゴム部分はグレー
で印刷され、中央の短い柱のところはシルバーで印刷されています。
右写真:付属品類。選択式ナンバープレート「5、7、8、11」、選択式メーカーズプレート「東芝、川崎」、
KATOナックルカプラー。(画像は入線整備前のものです)
車歴データ
ナンバー ①メーカー ②落成 ③廃車 ④履歴(貸出は省略、太字でJR化) ⑤備考
5 ①東芝 ②S40.9.20 ③H15.12.24 ④福島、稲沢二、稲沢、愛知、篠ノ井
⑤S57年頃に、屋根上の放熱通風器の側面にある排風口にカバーが取り付けられる。
7 ①東芝 ②S40.9.28 ③H16.2.27 ④福島、稲沢二、稲沢、愛知
⑤S57年頃に、屋根上の放熱通風器の側面にある排風口にカバーが取り付けられる。
8 ①川崎 ②S40.7.23 ③H16.3.30 ④福島、稲沢二、長野、稲沢二、篠ノ井、岡山、高崎、
篠ノ井 ⑤
11 ①川崎 ②S40.8.21 ③H17.3.30 ④福島、稲沢二、長野、篠ノ井、八王子、岡山、稲沢、愛知
⑤篠ノ井時代のS54(or 55?)年頃に両パンタをPS22B化。その後(時期は不明、篠ノ井時代か?)
に第1エンド側パンタがPS17に戻される。そして八王子時代のS59(or 60?)年頃に両パンタとも
PS17に戻った様である。
走りについて
KATO D51200 と EF6411 のツーショット。
フライホイール搭載の動力ユニットにより、滑らかにとても良く走ります。音は比較的小さく、過走もします。ヘッドライトは進行方向側が点灯、電球色LEDにより明るさも色も良い感じだと思います。走りに目立ったクセがあまり無い好調な個体です。なお、パワーパックはN-1001-CLを使用、個体差や私の主観・好みもありますので、記載内容はあくまでも参考程度ということでお願い致します。
そしてナンバーは…
地元の青梅線で走っていたということでナンバーは11号機としました。この11号機ですが車歴データに記載させて頂いた通り、パンタグラフの載せ替えで時代によりいろいろと形を変えています。どうせなら青梅線で走り出した頃のガチャパン姿にしたいと思ったのですが、いつ頃になったのかが分からず、その姿で中央西線の客レを引いたことがあるのかも分かりません。実機の考証に行き詰ったまま…
KATO EF6411 + ホキ2500 (罐の向きについては突っ込まないで下さい)
と相成りました。S59年頃、青梅・南武線でホキを牽引していた時の姿です。
そして…
KATO EF6411 + オユ10+ マニ60 + ワキ8000 (中央西線825レのつもり)
この姿で旧客を牽引したことがあるのか怪しいですが…、客レも牽引して貰います。ということで、大らかに運用する予定です。
終わりに…
KATO EF6411 (八王子機関区転属当初の姿のつもり)
21世紀になっても全機健在というEF64一般形でしたが、H15年に初の廃車(5号機)が発生して以来、大幅に数を減らして現在ではJR東日本高崎車両センターに37号機のみが生き残っているという状況です。また、JRになってからの話題として、塗装変更や小改造等がありますが、それはまたいずれかの機会にまとめようと思います。
KATO ED1610、EF15188、EF6411 の並び
個人的にEF64というと、どうしても青梅線ED16・EF15のハズレくじという印象があり(ファンの方、スミマセン)、あまり力を入れて撮影はしませんでした。ED16の引退後、残り少なくなったEF15を撮影に行って、あのブロワー音を鳴り響かせながら近づいてくるロクヨンの姿が見えると正直凹んだものでしたが、その様な折、S58年6月に12号機、S59年2月に1号機と11号機が青梅線で走り出したのです。これら3両の板谷峠グループが加わって、これから青梅線のロクヨンも面白くなりそうだ…などと思っていたのですが、S60年3月に3両とも岡山へ転属…。ほとんど撮影もしておらず、悔いの残る3両となってしまいました。あれからおよそ35年、あの時のロクヨンのブロワー音も、今となっては良い思い出です。
参考文献
鉄道ピクトリアル1994年7月号(No.592)、2009年3月号(No.815)
徐々に気温が下がってきました。コロナやインフルエンザが流行る季節がやって来ます。皆さまも気を緩めずに、しっかりと予防をして御身大切になさって下さい。
本日もご覧いただき、ありがとうございました。