今、NHKの朝ドラ再放送は、総合テレビでは宮﨑あおい氏の 「純情きらり」 を、そしてBS2では沢口靖子氏の 「澪つくし」 を放映中ですが、朝起きて、飯を食おうと思ったら、テレビではその 「澪つくし」 がかかっていたことと、新コロの影響で銚子電鉄がマジでヤバいというようなニュースが時折聞かれるので、このネタを思いつきました。(笑)

銚子と言えば・・・

 

 

急行 「犬吠」 ですよね。(再笑)

道路網の発達によるマイカーの普及や、高速路線バス網の確立によって、房総地区のの鉄道は千葉市内を除けば、もしかしたら銚子電鉄以上にジリ貧かもしれません。特に優等列車は 「全廃しても何ら問題はない」 というようなレベルまで達してるようです。

でも、昭和国鉄の時代は、 “関東の秘境” とまで言われていたほど、道路網に関しては全くの未開発エリアで、鉄道が頼みの綱でした。ただ、首都圏なのに電化は死ぬほど遅れていて、内房線 (当時は房総西線) を皮切りに、外房線、総武本線、成田線と、房総地区の主要幹線の電化が全て完了したのは昭和50年のことだったりします。特急列車が運行を始めたのが昭和47年で、総武本線の東京駅乗り入れを含めて、その当時は 「千葉の鉄道の大革命だっぺえっ!」 と、やって来る列車を国賓並みに歓迎したとかしなかったとか。

特急が走る前の房総地区のフラッグシップは急行ということになりますが、特急が走るようになってからはフォロワーに成り下がり、さらにまだ総武本線の千葉以西と成田線は非電化のままだったので、急行は専ら気動車が受け持っていました。諄いようですが、首都圏です。

 

房総急行については、過去にも弊愚ブログで取り上げていますので、歴史的なものは割愛しますが、画像は昭和53年以降に撮られたものと思われます。手がかりはヘッドマーク。

以前は、房総のみならず、全国の急行列車にも特急に負けない劣らないヘッドマークが取り付けられていましたが、合理化の関連で次々に取り付けが省略されてしまい、50.3改正以降は、房総急行と北陸急行のみになってしまいました。理由はただ一つ、 「誤乗防止」 。そしたら、上野駅も似たような車両で数多くの急行列車が行き来していたので、ヘッドマークを存続させても良かったと思うんですが、各列車の受け持ちが違うからなんでしょうか、東北方面も上信越方面ものっぺらぼうでした。

 

房総急行のヘッドマークは、以前は逆台形でしたけど、全てが電車化された50.3改正以降は、逆五角形のマークが新調されました。その当時はシンプルに列車名とローマ字のみのマークだったのが、昭和53年10月改正時から特急電車のイラスト入りヘッドマークに触発されて、列車名をイメージしたワンポイントのイラストが添えられるようになりました。画像の 「犬吠」 は灯台 (犬吠埼灯台) と思いきや、何故か漁船。銚子港という首都圏屈指の漁港があるから、それを描いたのは解らなくも無いのですが、やっぱり、灯台じゃない? 「鹿島」 は周囲に何もないことから、半分こじつけで “鹿” だったしね。

 

「犬吠」 の全盛期は、7往復が設定されていた昭和45年10月から、特急 「しおさい」 が登場する昭和50年3月までの4年半ではないかと思います。この改正で、7往復中4往復が事実上、 「しおさい」 に格上げされる形で廃止になり、それ以降は全廃されるまで3往復 (うち1往復は季節運行) で推移しました。

 

 

では、毎度お馴染み、昭和54年12月現在の 「犬吠」 の時刻です。

説明する必要は無いと思いますが、1、3、5号が下り列車、2、4、6号が上り列車となります。

前述のように、3往復あるうち、下りの1号と上りの6号は列車番号が6000番台の週末や多客期に運転される季節列車です。

というわけで定期列車は2往復、新宿発着、両国発着が1往復ずつになっていますが、停車駅は一定しています。

錦糸町は昔から総武線の要衝駅で、客車のヤードもあったくらい。東京地下駅開業後は、東京駅へ向かうのと新宿方面に向かう列車の乗り換えで人の行き来は両国よりも多くなりました。その関係で、特急列車が全列車停まりまして、上野、東京、新宿を除くと、東京23区内で唯一の特急列車停車駅として名を馳せました。

 

意外なのが、船橋に停車することと、四街道駅は通過というもの。四街道って結構、大きい駅だと思っていたのですが・・・。

因みに、現在は一部の 「成田エクスプレス」 が停まりますが、 「しおさい」 は相変わらず通過します。

佐倉から先はわりとこまめに停車しますが、ここがね、 “昭和50年代の急行” たる所以になりましょうか。まぁ、それでも21世紀の特急に比べたら、まだそのステイタスは残されていましたし、特急のフォロワーとして十二分にその存在を発揮出来ていました。

 

ここ、背後の家具屋の建物から、亀戸駅を通過しているところになります。

列車番号が 「6301M」 と表記されていますので、季節臨の 「犬吠1号」 が塒の幕張電車区 (千マリ~現在のJR東日本幕張車両センター) から両国駅まで回送されてるのでしょう。

 

全国レベルで列車や車両のバラエティが豊富だった昭和国鉄の時代、総武線もご多分に漏れず、一見すると 「きいろいでんしゃ」 と 「あおしろのでんしゃ」 ばかりが目立つのですが、そこをかいくぐって、赤+クリームの特急電車やオレンジ+緑の急行電車が走っていました。亀戸から先は貨物列車も走っていたし、昭和54年以降は 「きいろいでんしゃ」 に103系や201系が加わるようになりましたので、そのバラエティたるや、今とは比較になりません。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

日本鉄道旅行歴史地図帳第3号 「関東」 (新潮社 刊)

時刻表各号