民鉄の覇者 東京急行電鉄 65、五島の言い分② (白木屋乗っ取り) | 犬と楽器と鉄道模型

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そこで色々調べてみると、横井英樹君とか、堀久作君、古荘四郎彦君、林彦三郎君らが入り乱れて、白木屋の経営権争奪をやっている事が判明した。

 

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【横井英樹

 


すると、翌29年の4月、野村証券専務の瀬川美能留君の紹介で、横井英樹君が私の家にやって来た。
横井君の事は色々それまでに聞いてはいたが、会ったのはこの時が始めてであった。
始めて会う横井君は全くの若僧で、人と話をしていても、常にニコニコして、全く人当りの良い青年であった。

 

 

この青年が白木屋の株式を170万株も買収して、白木屋の土台を揺すぶっているとは、およそ考えられなかった。
その点私は白木屋よりもこの若僧に興味を持ち、ちょっと面白いなと思ったのである。

 

山一証券から堀君の80万株を引き受けた所で、それだけでは何の役にも立たない。
過半数を制する為には、横井君の持株170万株を買収して計250万株とするより他に道はないとかねがね考えていた所なので、その株式を売るかどうかと横井君に訪ねた所、その株式は全部千葉銀行を始めとして各所に担保に入っており、自分の手には1株も無い事。


又、将来白木屋の重役か支配人にしてくれるならば売っても良いと言う返事であった。

そうして、この株式は全部、古荘千葉銀行頭取に任せてあると言う事であった。


そこで私は、横井君と株式売買に関する仮契約書を交換し、私が絶対過半数を獲得した場合には、横井君を取締役か支配人又は営業部長にすると言う事を認めた。

 

 

それから私は、堀久作君を通して古荘君に交渉し、横井君の株式をこちらに譲ってくれる様頼んだりした。


所が、その内、横井君の株式は到底当方に来そうもなく、その担保に入っている株式は時価より非常に高く、その上、色々の人が廻りに居る事が解った。

例えば大宮伍三郎君、菅原通済君、鈴木一新君、小網商店の高梨君という様な人が居て、この170万株は一括して当方に来る見込みは無くなって来た。

 

そうこうする内、その年の5、6月頃、山一証券にあった80万株が、誰の仲介でか、又は如何なる理由に依ったか一向に解らないが、三信ビル社長の林彦三郎君の手に譲渡されてしまったのである。

 

大神君は私と大川君に依頼しておきながら、我々に一言の挨拶も無くこれを林君に譲渡した。
私は心中安らかならざるものがあった。
しかし、その反面、私は些か肩の重荷がおりた様な気もした。


と言うのは、当時の時価250円位の株式を、425円で買うと言う様な乱暴な話は、東急本社は勿論、東横へ帰って話しても誰も受けつけない。
事に東横の大矢知社長、高橋専務の如きは全く反対で、全然話に乗ってくれなかったからである。

 

かくして、白木屋問題は一頓挫を来した形になったのであるが、所が今度は、横井君自身から私の方に、田園調布、青山、池上、その他にある不動産を是非買ってくれという申し込みがあった。


金を借りている銀行から、頭金や利息の取り立てに責められて苦しんでいるのだと言う。

東急では不動産業もしているので、買収値段の折り合うものは買ってやっておった。
その関係からしばしば東急に出入りする様になり、その内今度は、白木屋の株式を肩代わりして買収してくれないかと云ってきた。


しかし私は、横井君が如何に頼んで来ても、一切その話を受けつけなかった。

すると横井君は、それ以後毎日、朝6時になると上野毛の私の家にやって来て玄関に立っている。
旅行する時は、必ず東京駅に来て列車が出るまで見送る、帰京の際は、新橋に必ず迎えに来る。


そして、何とか白木屋の株を買収してくれと必死になって食いさがる。

私はその熱心さには動かされたが、中々承知はしなかった。


所が30年の11月頃と思うが、友人の高瀬通君がやって来て、白木屋問題の解決は貴殿より他に出来る人が居ないから、一応千葉銀行の古荘君に会ってくれないかという話であった。

 

 

そこで私は一夜、古荘君と高瀬君を築地に招待して面会した所、古荘君は、私が白木屋の経営を引き受け、横井君の将来もみるならば、株式を売りたいという話であった。

 

一方、大神君の切なる願いもあったので、私は三菱銀行の元老加藤武男氏を三菱銀行の相談役室に訪ねて、白木屋問題は何と言っても経済界の癌であり、且つ重大な社会問題である。
これを解決しなければ、白木屋は勿論の事、債権者である銀行や株主も困っている。
そこで私の力でこれをひとつ解決してみたいと思う。
ついては、横井君の株式は買収する事が出来るが、林君の株式は貴方のお力がないと、とても買い取ることは出来ない。
貴方が御配慮下されば、或は出来るかと思うがどうでしょうかと相談した。


すると加藤氏は、貴殿がこの間題を解決してくれるなら、私から林君に話してみよう。
ついては横井君の株式を先ず買収してくれたまえ、と言う事であった。


私はそこで加藤氏の言葉に力を得て、直ちに横井君に会い、そこで初めて同君の株式を買収してやろうと言う事を表明したのである。

 

 

実際の売買交渉に当っては、単価の問題で多少ごたごたしたが、結局、30年の10月から12月にかけ、350円と360円で、横井君及び林君から白木屋の株式合計330万株を買収した。
400万株中の3分の2を遥かに越える数字であり、ここに、私は完全に白木屋の経営権を掌握した。

 

ここに於いて私は、白木屋の旧重役に自分の考え方を詳しく述べて引退してもらい、31年1月14日、臨時総会を開き、東急、東横から新重役を入れ、再建に踏み出したのである。


以上述べた事が、世間に大きな噂を呼んだ、いわゆる白木屋問題の真相である。
この上は、東横・白木屋の合併に依って三越を凌駕し、何とかして永年の悲願を達成したいと思っている。

 

 

これが日本橋の東急百貨店、そして現在のコレド日本橋となった。