武蔵野線205系、最後の旅立ち④ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

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さて、新習志野からはその配給列車を蘇我に撮りに行く。
見送りが最後なのだから、これくらいはできるうちにしておかなければ。
 
…しかし後続電車が遅れ、さらに海浜幕張で乗り換えの快速に乗れず、以前より遅めの蘇我到着。
すでに牽引していたEF81の解放は終わり、転線まで終わっていた。
 
昨年12月から蘇我廻りの輸送になり、牽引機も長岡車両センターのEF64から何故かEF81に変わって

以来10ヶ月間、計15回におよぶ配給輸送を務め上げた。

途中、撮り鉄線路内侵入による緊急停車など人為的なトラブルこそあったのは残念至極だったけれど

システム的な事柄で一切トラブルはなく、インドネシアへ旅立つ205系へ引導を渡すことができた。

 

15:46頃

務めを終え、単機回送として発車していく。

次にここにEF81が戻ってくるのは、いつになるだろうか。

 

ここからしばらくは、205系がしばらく蘇我駅構内に佇む。

それは3月以降、ダイヤが情報誌に非公開となってからも変わらないまま推移した。

 

1・2番線は、撮り鉄で最後の大賑わいを呈していた。

構内放送がたびたび、大きな声で注意を促していく。

しかしそれは、

 

黄色い線の外側での三脚・脚立の使用禁止

 

といった、殊更黄色い線の外側を強く強調した注意喚起となっていた。

ギリギリな線でのJR側のご厚意というより、妥協・諦めの垣間見える注意喚起ではなかったか。

一部ニュースメディアによる、今回の撮り鉄マナーについてのJR東日本千葉支社への取材への回答は

「現場の判断で決める」ということらしいが、このような愚行が繰り返され、これだけブログやSNSで

注意喚起・苦言が溢れても自浄作用が働かないこの現状を鑑みたら、早急にルールづくりを推進して

個々の危機感を煽っていかないといけないところまで来ているのではないかと思う。

それで何を言ってこようと、結局身から出た錆、因果応報ということなのだから。

 

そんなこの日、蘇我駅に隣接する蘇我運輸区の建物の窓には、205系への労いのメッセージが。

 

そんな手厚い見送りを受けた205系、日本のレールから離れるのはもうすぐ。

 

幾度となく見続けてきた姿を、最後に少しだけ近づきながら見て胸に焼き付ける。
そしてシャッターを押す。

 

最後に、E235系導入により置き換えが始まるE217系との並びを収め…

今回の一連の撮影と足掛け13年半におよぶ全ての武蔵野線205系記録の区切りとしたい。

あとは、JR東日本に残された201両の205系グループを、可能な限り早めに記録に刻み付けていく。