あかつき4号に乗車した時の思い出(パソコンの話も少しだけ) | HIDEKYUブログ

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 今日、突然、パソコンの動きが激重になり、突然、フリーズして落ちました。いろいろ調べていると10GB積んでるメモリのうち、2GBしか使われておらず、リソースモニターで見ると、8GBが「ハードウェア予約済み」となっていました。メモリやハードウェア予約やらで、ググり、載ってあることいろいろ試しましたが、一向に改善せず、最後、ダメ元でメモリの基板を抜き差ししました。すると、異常なく10GB認識してくれました。一応、パソコンには、10GB刺さっている認識があったみたいなので、抜き差しでは治るはずが無いと思って、後回しにしていましたが、こういう時はこういうもんなんですね。今は快調に動いています。

 それでは、寝台特急「あかつき4号」に乗車した時の思い出を書きます。上の写真は長崎駅の留置線で休む14系15型です。1986年7月の撮影。この数時間後、この車両は「あかつき4号」となり、それに乗車することになります。

 1986年7月、16歳高校1年の夏に念願だった九州への旅に出ました。途中、友達と一緒の行動もありましたが、ほとんどは一人旅でした。「九州ワイド周遊券」を購入し、有効期間は、20日間ほどあったと思いますが、さすがに高校1年に、20日間のひとり旅の許可は貰えず、1週間の旅となりました。ワイド周遊券は自由周遊区間までは、急行自由席までは乗車可能(特急には特急券を購入すれば乗車可)、自由周遊区間、即ち、九州内は特急自由席まで乗り放題という夢のような切符でした。当時は、まだ、夜行急行「かいもん」「日南」が運転されていて、全て、自由席での車中泊でした。さすがに高校1年では、お金の自由が効くわけもなく、若さに任せてケチケチな行程でした。

 1週間、車中連泊で、復路は山陽本線を普通列車で帰る予定やったんですが、さすがに親に心配され、お金出すから新幹線で買えるように怒られたんですが、すかさず、それじゃあ、そのお金でブルートレインで帰ると折衝案引き出し、念願の寝台特急に乗車することになったのです。

 実は寝台車は2回目で、初めて乗車したのは、この前年、つくば万博に伴い、運転された「エキスポドリーム」号で20系客車でした。この九州周遊中にも、夜行急行の寝台に乗ったかも知れませんが、寝台特急は初めてでした。

 当時は、夏休み中などは、結構、混んでいて寝台券を取るのに、少し苦労した記憶があります。まだ、需要があったんですね。そして、あかつき4号に始発から乗るために、わざわざ485系「かもめ17号」で長崎入りして、晴れてブルートレインの客となりました。

 この「あかつき4号」は14系15型で全車開放式B寝台で食堂車は無く、乗ったものの、ひとりで車内をウロウロする勇気も無く、疲れもあって、早々と寝てしまいました。途中で鳥栖で寝台特急「明星」号と併結して運転されていました。この「明星」号もオール開放式B寝台で、この列車だけで2段寝台になっているものの、かなりな輸送力があったんですね。

 この年の11月のダイヤ改正で、この列車は、臨時列車に格下げされて、20系が使用されるようになったそうです。

 

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