きょう2020年10月22日、東部公民館講座「ブラトーブ - 悠久の三別をあるく」に参加して、「別郷、東別所、西別所」っていう、あんじょうし東部、三別地区の歴史をまなんできた。すぐひがしは岡崎の西本郷、宇頭で、別郷がみなみ、東別所がきたひがし、西別所がきたにしにあるっていう位置関係にある。
〔西別所神明社のアベマキ〕〔大行日吉法印のはか〕〔和志山古墳〕〔大行日吉法印のお堂〕〔別郷廃寺〕
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西別所神明社のアベマキ
9時30分、東部公民館をしゅっぱつ。東部公民館は、三別地区の西南に隣接する平貴地区のまちだ。案内人は、あんじょうし歴史博物館学芸員の天野信治さん。
東北方向にあるいて、西別所神明社にとうちゃく。「このもりが、明治用水がひけるまえのあんじょうがはらの状態じゃないかっていわれるようになった」とのこと。ただ、天野さんは、こいじゃあ「はら」とはいえんで、ほんとはきをとりつくした状態の平地だったじゃないかとの見解。ちなみに、神明社ってのはお伊勢さん系統の神社のことだとのこと。ほういうことだったのか。
拝殿におまいり。だれがおいたのか、いりぐちにおそなえのねぎ。
大行日吉法印のはか
西別所のたんぼんなかをひがしにあるいて、大行日吉法印(だいぎょうひよしほういん)のはかにとうちゃく。別所の地に三河万歳をつたえたのがこのひとだとのこと。へー。
和志山古墳
東北方向にあるいて東別所をぬけて、西本郷にある和志取古墳にとうちゃく。景行天皇の皇子いさきいりひこのみこのはかで、ここはまえにひとりできた。
ここで天野さんから資料がくばられて、説明をきく。
「ここは西本郷でもにしの宇頭に隣接するとこで、ほとんど宇頭っていってもいいだけど、和名抄にある駅家郷(うまやのごう)とか鷲取郷(わしとりごう)とかがいまの宇頭になる。和志山古墳は、古井桜井古墳群の二子古墳とも関係がある。二子古墳が前方后方墳、和志取古墳が前方后円墳で、和志取古墳のほうがよりあたらしいだけど、二子古墳の勢力が移転してきたじゃないかっておもわれる。いさきいりひこのみこが長谷部直(はせべのあたい)の祖先で、いまも谷部郷(はせべごう)、いまの西本郷には長谷部の名字がおおい」とのこと。
二子古墳のある印内も長谷部さんだらけだけど、、、って質問すると、「長谷部姓のひとたちが古墳づくりにかかわった可能性がおおきいっておもわれる」とのこと。
さらに、つぎの目的地にむかってあるくみちすがら、「別郷ってのは、西本郷をふくむ本郷にたいする別郷で、別所ってのは近世の開拓地の意味であること」をかくにん。いや~、ながねんの疑問が解消した。あんじょうしの地図をみとるだけじゃわからんことだ。
大行日吉法印のお堂
西南方向にもどっていって、東別所と西別所のさかいにある、大行日吉法印のお堂にとうちゃく。おー、お堂までつくってまつっとるとは。
じもと西別所の近藤さんのとりはからいで、大行日吉法印の木造を拝観。
ところで、お堂のみぎとびらうちがわに小沢昭一の色紙。1997年の400年記念祭のときにここにきとるだ。
ほのときの集合写真まである。おそるべし。
別郷廃寺
大行日吉法印のお堂から、東別所と西別所のさかいをみなみにあるく。左右は住宅街。ほのまま別郷の区域にはいって、別郷廃寺の鴟尾(しび)が出土したばしょをおしえてもらう。住宅がたっとるばしょだ。ここを宅地開発するときに出土したっていう。一帯はただ住宅街がひろがるだけで、別郷廃寺の痕跡はなんにもない。じもと別郷の山本さんによると、光化繊のこうばのあとちを宅地開発しただっていう。天野さんによると、「鴟尾の出土がなかったら、別郷廃寺が広大な寺域をもつおてらだったこともかくにんできんままだった」とのこと。宅地開発さまさまだ。
まちのみなみのはずれ、碧海台地のはしまでいって、別郷市杵島姫神社(べつごういちきしまひめじんじゃ)にとうちゃく。「いちきしま」ってのは、「いつくしま」のことだとのこと。あー、ほういうことだったのか。
境内本殿わきに、別郷廃寺の礎石だっていいつたえられるいしがあるのをかくにん。東部公民館にもどる。
(さんこう)
- 西本郷の和志取神社 - あきひこゆめてつどう|2020/05/16
- まえに、西本郷にあるいさきいりひこのみこのはかにおまいりしてきたとこで、こんどはおんなじ西本郷にあるいさきいりひこのみこの神社におまいりしてきた。ほれが和志取神社(わしとりじんじゃ)だ。西本郷のまちの区域は、にしの洪積台地とひがしの沖積平野にまたがってあるだけど、はかが台地部のはしっこの和志山(わしやま)にあって、和志取神社が平野部にあるっていう関係にある。中間はたんぼがひろがる。
- 西本郷にあるいさきいりひこのみこのはか - あきひこゆめてつどう|2020/05/08
- 別郷廃寺(べつごうはいじ)の鴟尾(しび) - あきひこのいいたいほうだい|2014/09/14
- キャッチネットワークで 鴟尾 (しび) やっとった - あきひこのいいたいほうだい|2013/10/04
- 安城市 (あんじょうし)の 別郷町 (べつごうちょう)って とこに 別郷廃寺ってのが あって、ほこで ことし みつかったのが 鴟尾。鴟尾ってのは しゃちほこ みたいな もんだけど、東大寺 大仏殿とか、よっぽど 格式の たかい おてらの たてものにしか ない。ほれが こんな いなかで みつかったって ことで、安城の 考古学会は おおさわぎ。矢作川 (やはぎがわ) 右岸 地域は 古墳 時代も おおきな 勢力が あった ことが わかっとるだけど、奈良 時代でも まんだ おとろえとらんかっただ。
- きのうから 安城市民ギャラリーで 展示 やっとるだけど、ほの ようすを さっき キャッチネットワークで やっとったよ。