これもまた、懐かしいビジュアルになります。

「カートレイン」 、ありましたねぇ~。

車で遠出する人にはなかなか良いアイデアだなとは思ったんですが、やっぱりJR各社の柵に負けてしまったのか、気がついたら消えていました。

 

遊休化していた20系客車とワキ10000系を使用して、昭和60年から運行を開始した 「カートレイン」 。画像はその第一弾となる、東小倉行きの列車、後に 「カートレイン九州」 となる列車のようですが、撮影地って何処だと思いますか? 一見すると、上野駅っぽくも見えるんですが、実はここ、汐留駅なんです。若いお子ちゃまファンにはピンと来ないかもしれませんが、東京のど真ん中に貨物専用駅がありました。そしてそこは、言わずと知れた、 「日本の鉄道発祥の地」 になります。

 

日本の鉄道は明治5年に新橋と横浜の間を走ったというのは、鉄道好きでなくても、歴史とかで勉強したので判るかと思いますが、新橋というのは後々の汐留駅になります。そして、当時の横浜駅は今の桜木町駅であるのもご存じだと思います。新橋駅が汐留駅になったのは、大正3年に中央停車場、後の東京駅が出来て、東海道本線の起点が東京に移ってからになります。その途上にあった、烏森駅を新橋駅に解消して現在に至っています。

 

以降、汐留駅は東京における貨物輸送の中枢としてその重責を担い、初のコンテナ専用列車 「たから」 号も汐留から発着していました。昭和39年からは小荷物取り扱いも始まりました (東京駅の小荷物扱い機能を移転) 。

しかし、宅配業者の参入によって貨物や荷物輸送がトラック輸送にシフトすると、国鉄の “ドル箱” とも言われた貨物取扱量は年々減少し、加えて新たな国鉄貨物の稼ぎ頭になったコンテナを扱うには、汐留駅は手狭すぎたことも手伝って、昭和61年11月のダイヤ改正で列車による小荷物輸送が廃止になるのを受けて、汐留駅も閉鎖されることになりました。それ以前から貨物取り扱いの一部を大井埠頭にある東京貨物ターミナルに移行していましたが、この改正を機に、全面的に機能を移転させました。

 

汐留駅廃止後も線路は剥がされないでいまして、昭和62年3月31日の国鉄最後の日には鉄道発祥の地である汐留でイベントがあり、京都・梅小路からわざわざC56を持ってきて、4月1日0時ちょうどに汽笛を鳴らして 「国鉄終わり、JRの始まり」 を伝えました。

 

跡地はしばらく更地の状態が続き、時折、何かしらのイベントが行われたりしましたが、所有と管理自体は国鉄から受け継いだ国鉄清算事業団が請け負っていました。バブル期とあって、ここの売値如何によっては、隣接地の地価が天文学的な価格になるのは目に見えていたので、それを阻止する意味合いで、しばらくは手つかずの状態が続き、実際に再開発が行われるようになったのは平成に入ってからで、日本テレビや電通など、大手企業の本社屋ビルを中心とした商業施設となり、 「汐留シオサイト」 って呼ばれています。また、再開発の最中に、明治期の旧新橋停車場の遺構等が発掘されて、この遺構を活用するとともに、その頃の鉄道にまつわる歴史を学ぶことが出来る 「旧新橋停車場」 という施設がオープンしました。

 

私の汐留駅関連で記憶に残っていることが2つあります。

一つは、幼少の頃。

夏のお盆時期に一家で下田に行く時、我が家は決まって未明の3時に出発するんですけど、いつも京橋から首都高速に入って東名高速を目指していました。程なくして汐留トンネルに入るんですが、トンネルを出ると、進行方向右側に貨車が鎮座しているのを目の当たりにしました。次の運用まで休んでいる光景ですよね。ヤード灯に照らされて、貨車だけど格好良かったのを覚えています。

二つ目は私は高校時代。

何処かは言いませんが、京浜東北線に乗って蒲田まで通っていました。

1~2年生の時までは汐留駅は機能していました。

コンテナ貨車や荷物用車両が雑多に留置されていたのを記憶として残っています。時には現金輸送車マニ30の姿も見ることが出来ました。

残念ながら、あの頃はもう、EF58の姿はなく、入換用のディーゼル機関車もDE10やDE11が主体でした。ギリギリ、クモニ83やクモユニ74など、電車の荷物電車も見ることが出来ました。 「カートレイン」 は汐留駅の歴史を飾る最後のスターといえるのかな? 汐留廃止後は恵比寿に発着駅をあらため、さらに浜松町へと変更しています。恵比寿発着時代の 「カートレイン」 は、たまたま同駅で撮ったことがありますが、よく 「カートレイン」 用のワキ10000は当時の品川客車区で休んでいるのを見たことがあります。

貨車の中でも別格且つ孤高の存在だった10000系ですが、様々な制約にあって、本格的な活動時期はそんなに長くはなかったです。でも、 「カートレイン」 用のワキ10000は、 “最後の残党” として、陽の目を見たグループだったのかなという気がします。

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (カートレイン、汐留駅)