武蔵野線205系、最後の三日間 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

えらい騒ぎだったね。

というのが今の、率直な感想か。
こちらは10年以上に渡って記録の蓄積はかなりなものになっているし、2〜3月以降は配給輸送の度に
懲りない騒ぎが頻発して気持ちも冷めかけていたが、それでも利用機の度に記録は続けていた。
だから自分の中ではお別れは済んでいるんだけど、それでもどのような状況になっているのかという
部分だけは気になって、土曜、日曜、そして今朝と仕事などの間隙を縫って武蔵野線に足を向けた。

10月17日土曜日
この日は寒さと雨と日々の疲れに負けて、新秋津→府中本町→西国分寺と追っただけで止めている。
それくらい、日々の記録蓄積は済ませていたから達観していたのもひとつある。
そしてそれは、この列車だけ4〜5分遅れで来たという事実に対しても。
到着前、東浦和駅付近で線路内に人が立ち入ったために緊急停車していたとのこと。
その事実に憤り失望し、周りの熱さとの気持ちの乖離がいよいよ埋められないところまできていた。

10月18日日曜日
それでも昨日は、都内に出る用事に乗じたのと久々に晴れたのに気分が少し戻り再度迎撃。
9:48に西国分寺で迎撃したのを皮切りに、西国分寺→府中本町→南船橋→新松戸と移動した。
ちなみに新松戸で降りたのは、東京メトロ千代田線沿線に向かうことになっていたからである。

もう何回、何十回となくここで撮っているけどね。

それでもまだこの時は、駅員がシャッターを押すのを手伝う余裕も残っていた。

ちょいちょい降りながら、名残のシャッターを切っていった。

しかし、この時も…

越谷レイクタウン駅を出たところで、警笛一閃緊急停車。

またも線路内人立入という愚行。
これまで何度も同じことが繰り返されてきたが、またも繰り返された。
電車を止めてまで撮る写真に、いったい何の価値があるというのだろうか。
そんな一人の独占欲のために何百、何千人もの利用客に迷惑を掛けていることを忘れてはならない。
そして、いい加減その重さ、愚かさを身を以て勉強すべきだ。

それでも、まだ午前中は比較的穏やかなほうで。

帰路、東松戸→府中本町→西国分寺で再迎撃。
度重なる愚行に今日限りでは?との憶測が流れたことから、一部若い撮り鉄の動きが俄かに熱いのは
感じ取ったが、外れた動きを自重するどころかより酷くなるというのはどういうことなのだろう。
この移動時、前面展望を撮るために車内で脚立を出して上がろうとした若い撮り鉄を一喝している。
空いていても急停車時のリスクを考えれば許されることではないし、混雑していたから尚更だ。

そして、日も落ちて寒くなってきているのに窓を全開に。
自分が乗っていた時は無かったが、その後はまた手や道具を出して撮影妨害に出るのもいたようだ。
こういうことをしているのは、大概が中高生と思しき若い撮り鉄なんだが。

そして、これで終わりだな…と思っていた今朝。
また動き出したことを知り、いつもより早く自宅を出た。

10月19日月曜日
西国分寺⇄府中本町往復。
最後の府中本町駅発車は7:03。
これが自分にとって、10年超になる一連の記録の一応の締めになる。

朝も早くから各駅の警戒モードが上がっていて申し訳ないくらいだったが、そんな中で感慨深そうに
見えなくなるまで見送っていた駅員の姿が最後に印象に残った。

走り始めてより18年、また一つの時代が終わってゆく。
しかしそれは、この三日間の騒ぎを見ていると決して気分の良いものではなかった。
最後は配給輸送が待っているが、どうか最後は粛々と旅立たせたいと思うのだが…
あとはこのブログを読んでくれた一人一人の【良心】に委ねるほかはない。
これから先の関連イベントや鉄道全てに、治らない禍根を残さないために!