皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨日までのKATO製Nゲージキハ58系のTN化に疲れ、今日は休鉄日となりました。そのため模型いじりの進捗はありませんが、来月のKATO製キハ58系モデルチェンジ車の発売を前に、同車の用途について考察してみたいと思います。

 

↑来月の新製品はTomix・KATOともにキハ58系が予定されており、非常に楽しみです。

 

キハ58系モデルチェンジ車のうち、今回はキロ28 2300/2500と、キハ28 3000、そしてキハ58 1100が発売されます。正確にはキロ28は2500番台となっていますが、Tomix製品もそうですがキロ28の2300と2500の車体断面変更車には、外観上の相違は殆どありません。よって、2300番台の2309~2314として使用しても全く問題ないでしょう。しかし同クループは配置区に偏りがあり用途が限られてきますが。

 

では、今回発売されるグループの、年代別の配置状況推移を見てみたいと思います。キハ58系普通車は1979年度で冷房化が終了しますので、1980年以降で見てみたいと思います。

 

まずはキロ28です。今回発売されるのはキロ28のうち車体断面の変更されたキロ28 2309~2314、2508~2518の17両のグループです。

 

↑分布は非常に偏っており、1980年の時点では新潟局・名古屋局・大阪局・米子局にしかいません。動きもシンプルで

 

・「57-11改正」で急行「赤倉」廃止により新潟局の車が福知山へ移動

・「60-3改正」で大阪の2両と名古屋の1両が高松へ転じキハ28 5200へ

・「61-11改正」で米子の1両は廃車、他は急行「砂丘」に転用され2両は鳥取へ、2両は岡山へ移動

・1990年までに急行「みささ」廃止で大阪の1両が廃車、急行「砂丘」用車は鳥取へ集約

・1990年のダイヤ改正で急行「のりくら」及び予讃線・土讃線急行廃止により名古屋と四国の車は廃車

・1993年以降豊岡区の急行運用が福知山区へ移管され、予備車削減で1両廃車

 

となっています。よって、これらを組み込む急行を再現する際は、その充当列車につき注意が必要です。

 

 

ではキハ28 3000について見てみましょう。

 

↑こちらも分布に偏りがあります。1984年までは、福知山局と天王寺局で半数以上を占めています。その他区は最大でも3両と少数派です。急行「きのくに」の廃止された「60-3改正」では多くが福知山局へ移動し、福知山だけで半数近くを占める状態になっています。

 

では次はキハ58 1100を見てみましょう。

 

↑こちらは、1980年では天王寺局・米子局が優勢で、特に天王寺局(和歌山区)のみで1/3を占めていますが、キハ28 3000の際と同じく「60-3改正」で急行「きのくに」の廃止により、天王寺局和歌山区の車の多くは福知山へ転じます。そのため1985年以降は福知山区が最多となり1/3を占めています。

 

面白いのはモデルチェンジ車のうちキハ58では米子局が多数派なのに、キハ28のモデルチェンジ車は米子局には配置されていません。1993年以降に関西本線のキハ120化により1両(3022)が米子に転じたのみです。

 

というように、「60-3改正」前は和歌山区に多く配置され、同改正で多くが福知山局へ転じた結果、同改正以降は福知山局が最多配置局となりました。

 

ここで、今回発売されるKATOさんのキハ58系モデルチェンジ車4両セットの用途について考えると、福知山局の急行「丹後」あたりが最もしっくりくるのかなと思います。和歌山にはキロ28の車体断面変更車はいませんでしたので、「きのくに」用としては使えません。

 

では急行「丹後」が、KATOさんが発売するような全車モデルチェンジ車のみで組成される可能性について検証してみましょう。

 

まずはキロ28です。

↑福知山区では当初0番台が優勢で1両のみ300番台がいました。その後1982年に新潟より元急行「赤倉」用の2500番台が転入し、同数の0番台が廃車となります。「61-11改正」では福知山線の電化により急行「丹波」が廃止され運用数が激減し、0番台は廃車、300番台は豊岡に転じて2500番台のみとなります。しかし1993年には豊岡区の急行運用が福知山へ統合され、再び300番台が転入し最期を迎えます。

 

次にキハ28です。

↑1980年頃は0番台とモデルチェンジ車で殆どを占めていました。しかし1985年頃までに豊岡との需給調整で0番台が増加します。また「60-3改正」でモデルチェンジ車が大量に和歌山から福知山局へ転入した際は、全車豊岡に転入します。よって福知山では一時的にモデルチェンジ車率が大幅に下がります。しかし1985年に0番台車が豊岡から転入した際には、後期の0番台で初期の0番台を置き換える玉突きが発生しています。また、「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が廃止され運用数が激減して0番台の大半は廃車され、1987年にJRに移行された際はモデルチェンジ車が半数を占めました。

その後は1988年に山陰本線京都口の普通列車を50系客車から気動車へ置き換えることになり0番台車が転入します。これらは山陰本線京都口の電化後も福知山に急行用として居座ります。またこの頃より豊岡の急行運用は順次福知山へ移管されます。よって1990年の時点では豊岡からモデルチェンジ車が転入し、七尾から普通列車用で転入した0番台車が居座っている状態となります。

その後1993年には豊岡区の急行運用は全て移管されて福知山へ多くのモデルチェンジ車が転入しますが、同時期に福知山地区の普通列車のワンマン化を行うことになり、モデルチェンジ車の5両がワンマン化され急行運用から外れました。よって急行に使用されるモデルチェンジ車の両数は6両に微減し、全体の4割程度の割合でした。その後急行運用が福知山へ統合されたことによる予備車削減により0番台車が廃車され末期にはモデルチェンジ車率が若干上がります。

 

最後にキハ58を見てみます。

1980年代はやはり0番台や400番台の前期車が多数を占めています。

「60-3改正」で和歌山から福知山局へモデルチェンジ車が大量に転入しますが、キハ58は福知山区にも転入します。よって1985年にはモデルチェンジ車の両数はアップします。また同時に転入と同数の0番台は保留車になっています。

「61-11改正」では急行「丹波」の廃止により運用数が激減し、JR移管時にはモデルチェンジ車率が非常に高い状態となりました。

しかしキハ28と同様、1988年に山陰本線京都口の普通列車気動車化により他区より平窓車が転入し、モデルチェンジ車率は下がってしまいます。

1993年には豊岡区の急行運用が完全に福知山へ移管され豊岡のモデルチェンジ車も転入しますが、普通列車のワンマン化によりモデルチェンジ車5両がワンマン改造されて急行運用から外れます。またこの時期には指定席車のアコモ改造が行われ、平窓車8両が7200番台となり急行に組み込まれます。よって、これ以降平窓のアコモ改造車が必ず編成に入るようになり、モデルチェンジ車のみで急行編成を組成することは無くなりました。

 

長くなりましたが、以上が福知山区のキハ58系モデルチェンジ車の推移です。

 

以上の事実から考察すると、モデルチェンジ車のみで急行「丹後」を組成するのは、「61-11改正」後から、1993年の急行「丹後」アコモ改造車組み込み完了までの期間となるでしょう。特に1986年11月から1989年の間が最もモデルチェンジ車率が高い時期であると言えるでしょう。この時代を想定すれば全車モデルチェンジ車、キロは車体断面変更車で組成しても違和感は無いと思います。

 

まぁKATOさんもこのセットのみで楽しむとは考えていないでしょうからキハ58系平窓車と組み合わせて自由に編成を組むと良いと思います。ということは平窓車の再販も同時期にあるのでしょうか? まぁうちは既に飽和状態になっていますのでこれ以上増備するのは難しいですが…。 でも興味はあるのでモデルチェンジ車は増備したいと思います。

 

というわけで今日はキハ58系モデルチェンジ車、特に福知山区と急行「丹後」について検証してみました。

 

またKATOさん、前回の「いいで・ざおう」のように面白い急行を製品化してくれないかな。 ちょっと期待しちゃいますね。

 

では次回もお楽しみに!!