2002年、武蔵野線と京葉線に大きな動きがありました。

 

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205系の大量転属が始まったのです。

 

 

 

まず総武線で走っていた3編成が転属。

ミツ14編成が京葉電車区に転属し、ケヨ21編成に。

ミツ15編成と16編成が、中間2両が南部支線に、残った8両が武蔵野線(豊田電車区)に来て、

E39(後にM1)編成とE40(後のM2)編成としてデビューしました。

 

武蔵野線の転属に際して、八丁堀~潮見間にある長い勾配を

少ない電動車で乗り越えるために、

電動車をVVVFインバーターに改装し、5000番台として登場しました。

 

2003年以降は山手線で使われた編成も登場し、ここから編成が増えてきます。

 

武蔵野線に転属してきた5000番台は大きく分けると3つに分かれます。

 

1つが総武線からの転属であるオール大窓編成

該当するのが、M1・2編成。

 

2つめが全車が山手線からの転属であるオール小窓編成

M3・4・6・7・9・10・12・14・18・19・21・22・24・25・27・28・30・31・33

と計19編成と5000番台では最大勢力でした。

 

3つ目が中間の2両が、埼京線からの転属車両で構成されたもの。

山手線で使われた6ドア車が埼京線に転属し、引き換えに大窓車両2両が武蔵野線に来たもの、

4・5号車のみが大窓でそれ以外が小窓なのが特徴でした。

M5・8・11・13・15・17・20・23・26・29・34

の計11本が在籍、

因みに最後まで武蔵野線に残った205系のM17とM20もこのタイプでした。

 

なおM15編成は当初はナハ45編成として南武線で走ってた編成でしたが、

先頭車化改造した205系と置き換えられ離脱、その後中間に大窓2両を組み込んで、

5000番台化改造をしたうえで、武蔵野線に再転属という歴史を歩んでいます。

 

そしてM32とM35が変わり者なのですが、それは次回・・・

 

因みに京葉線にも、ケヨ22・23・24・25・26・27と計7本が転属。

特に24~27は量産先行車で、田んぼの田の字窓が特徴でした。