RedWing-227系・28ー80mm遺作 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

RedWing-227系・28ー80mm遺作


K7で流し撮りの練習に付き合って頂きました、RedWing-227系です。

流し撮りだけでなく、とにかくシャッターボタンを押してから、実際にシャッターが切れるまでのレスポンスが違い過ぎて・・・・。

かなりドキドキとしながらの、撮影が続いています。



身体に馴れたタイミングより、意識的に早くシャッターを切るようにしているのですが、それでも時たま『あ!早い。やっちまぅたぁ~』とヒヤってしてしまうのですが。

実はそれでドンピシャのタイミングであることが多いです。

とにかくist-Dsに馴れてしまった"感"を、早く払拭しなくてはなりません。



さてさて、去日の記事でコクっていますが、レンズはist-Dsに付いていた28~80mmのズームレンズを、そのまま使用しています。

同じレンズなのに被写体の質感が全く異なって写るのは、前回のRedWing-227系で述べてはいるんですが。

6月からK7に装着して約4ヶ月・・・・。



10月10日に矢野駅前で、落下しました。

ズームの伸縮ができなくなり、ピントを合わせることを、AFでもMFでもできなくなりました。

レンズ自体は割れていないんですけどね。



と、言うことで急遽、主旨が変わって遺作シリーズとなってしまった、今回の記事です。

とは言え、レンズもその内に新しいのを新調したいと思っていたのが、運命の悪戯で早期強要されたのは、予定外の出来事で。

この写真を撮った頃は、前述の通りシャッタータイミングを掴むのが目的で、その役割は十二分に果して逝ってくれました。



『シャッターを押してから実際にシャッターが切れるまでのタイムラグが全く違うので、この日の撮影はそれが面白く感じた、たった1回の体験でした(謎)』は、前回のRedWing-227系での一文ですが。

面白かったのは最初だけで、突き詰めて行くとそれは大きく深刻な問題として顕れ、早急に改善せねばならない障碍でした。

充分に引き付けてからシャッターを切ろうとしても、ist-Dsのタイミングで勝手に指がピクッと動いてしまって(笑)



K7はフェザータッチなはので、その指ピクでシャッターが切れてしまって。

そもそも連写するつもりでシャッターを押していないので、指は一旦シャッターボタンから離れてしまって。

押し直したとしても、今度はシャッターチャンスは逃した後。



ラストから2枚目のMc + Mcの連結面を撮った写真は、完全に『しまった!』のタイミングで、冒頭の写真ぐらいの角度となるかと思いきや。

実はピッタシのジャストタイミングで、真横からちゃんと撮れていました。

本来はist-Dsを予備機で使おうかとも当初考えていたにも関わらず、完全に引退させた理由はここにあります。

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hoop day,呼啦圈日


今日はフラフープの日。

1958(昭和33)年10月18日に、フラ・フープ(Hula hoop)が東京の各デパートにおいて、日本で初めて発売され、それを皮切りに全国で販売されていきました。

フラダンスのようにフープを回して遊ぶことからフラ・フープと名付けられた商品名で、アメリカのワム オー(Wham-0)社が商標登録を持っていました。


ワム オーが開発した遊具と会えば、1957(昭和32)年に発売したフリスビーが有名で、ワムオー以外のメーカーから発売されているものは"フライング ディスク"または単に"ディスク"と呼ばれます。

フラ・フープの誕生は1958(昭和33)年のことで、アメリカでの発売開始とほぼ同じタイミングで日本でも発売されました。

日本では体幹で回すリングは全てフラフープと呼ばれますが、アメリカではワムオー以外のメーカーから発売されているものは、ただ単に"フープ"と呼ばれます。

ワムオー社はその後、幾度かのM&Aによって会社ではなくブランド名と現在はなっており、フリスビーやフラ・フープなどの登録商標は、新会社が保有しているようです。


さて、1958(昭和33)年と言えば、日本では戦争が終って13年が経過した年ですが、日本近代史の中でエポックメイキングな年でもありました。

ラジオや無線機のメーカーだった東京通信工業がソニーに社名を変更したのが1月で、敗れはしたもののアップル社と世界市場の覇権争いをするまでの、世界ブランドが誕生した年でした。

コカ・コーラから炭酸飲料の"ファンタ"が日本で発売されたのもこの年で、ライセンス生産ではなく国産発としては、シチズン時計が日本初のアラーム機能を搭載した腕時計を発売したり。

アサヒビールが日本初の缶ビールを、日清食品が世界初のインスタントラーメン"チキンラーメン"をそれぞれ発売開始。



法律でも日本人の生活スタイルや価値観を変えた、国民健康保険法の公布や日売春防止法が施行されました。

今上天皇の御父母であられらる上皇陛下と上皇后陛下が、まだ皇太子だった明仁親王が旧姓・正田美智子さんとの婚約を発表し、ミッチー・ブームが起きたのも1958(昭和33)年。

広島平和記念公園内の、放射線障害原爆症で亡くなった佐々木禎子さんをモデルにした"原爆の子の像"の除幕式、朝日放送テレビにて日本初のVTR撮影によるテレビドラマが放映、そして東京タワーの完成。

読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手が4打席4三振でデビューしたり、まだアメリカ統治下だった沖縄県から、県立首里高等学校が"第40回全国高等学校野球選手権大会"に出場もありました。



国道2号線の関門トンネルが開通し、本州と九州が道路で結ばれ、富士重工業の"スバル360"や本田技研工業の"スーパーカブ"と、4輪・2輪において日本初の国民車が誕生。

アメリカ海軍の原子力潜水艦ノーチラスが、史上初めて北極点の海中を潜航通過したことから、マルサン商店が"SSN-571ノーチラス号"など4点を、日本初のプラモデルとして発売。

そしてラストに鉄道ニュースですが、大阪市営地下鉄(Osaka Metro)の四つ橋線・岸里~玉出駅間が開業し、近畿日本鉄道で2階建て電車・ビスタカー10000系がデビュー。

2015(平成27)年まで57年間、日本の運輸を支えたブルートレインが寝台特急"あさかぜ"としてデビューし、東北地方や北日本を走る初の特急列車"はつかり"、そして東海道本線に国鉄初の電車特急"こだま"が運転開始しました。


と、フラフープの日ということで、日本の1958(昭和33)年の主なできごとを綴ったので長くなってしまいましたが。

東北特急の"はつかり"という名称は、漢字で書くと"初雁"となります。

"雁"は鳥の名前ですが、この漢字は"絆"を意味することばが語原なので、今の時代だからこそ再び列車名として復活して欲しいと、つくづく思います。

最後に・・・・広電2000型のプロトタイプである350型(当時 850型)は初の直通電車ですが、この電車も1958(昭和33)年の生れです。

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