〈10月3日〉

 

北海道新幹線の開業で運行を終了し余剰となったカシオペアを再び団体専用のカシオペア紀行として走らせるツアーは、2016年から年に数回の頻度で行われていると聞いた。なんでも定期運行時代には実現しなかったような行先や、それまで入線実績の無かった路線を含んだ経路までが設定されているというから、乗る側だけでなく、我々撮る側も躍起になって、その写欲の赴くままに新生カシオペアの虜になっているのであろう。10月3日はその今年2回目の運行、カシオペア信州として上野から長野まで運転されるとのことであるが、撮り鉄たちはなんとも現金なもので、牽引する機関車によって人出の量が違ってくるらしい。例えば、国鉄色に復元されて久しい”ザンナナ”(EF64 37)やかつてのジョイフルトレイン牽引機である”虹ガマ”(EF81 95)といった人気の機関車が充当される時と、「うんこハチマキ」などと下品で不名誉なあだ名を付けられて少々疎んじられ気味のEF64 1052が充当される時とでは沿線の盛況具合がまるで違うという。そういったことを調べているうち、事前に漏れた情報から今回は後者の方であることが判明、そのため撮影場所として定めた常磐線の金町に実際に着いたとき、それほど撮り鉄が見受けられなかったことに対しても特に意外な印象は持たなかった。

 

 

カメラの準備を終えて、一般利用者に交じって目立たないように列車がやってくる先の線路を眺めつつ時間を持て余していた。すると「これから何か通るんですか」と唐突に一人の女性に声を掛けられてびっくりしてしまった。こんな排他的なオーラを放っている集団の一人によく声を掛ける勇気があったものだ、と半ば感心しつつも、肝心の質問にはどう答えればよいか返答に窮してしまった。簡潔かつ的確に伝えるため、ここは出来るだけ言葉を選ばなければならない。間違っても「いやあこれからロクヨン牽引のカシオペア信州が下ってくるんですンゴ」などと言ってはいけない。結局、生来の人見知りも加わって、「これから特別なときにしか走らない列車が通るんです。カシオペアっていうんですケド・・・エト、寝台列車のことで・・・」みたいな感じで、そのたどたどしさから意図せずに恐怖を与えてしまうかたちとなった。女性は腑に落ちたのかそうでないのかあいまいな言葉で応じて、そのままどっか行ってしまった。「やっぱり鉄道オタクって怖いわ・・・」なんて思われて無ければいいけど。

 

 

上り番線ホームにぽつりぽつりと並ぶ男たちの間には例えようのない緊迫感が走っている。各々がぴたりと黙り、カメラを持ち替えたり、ファインダーを覗き込んだりしながら、その余りに長い時間を持て余していた。予定された通過時刻まであと1分。僕自身もしばらくは、来たる瞬間をこの目で逃すまいと線路の向こうの一線を見つめるよう努めていたが、やがてその重圧に耐えかねて、反動で無意味に視線を周囲に振りまいてしまい、自分ながら中々キモい。でもこの緊張と高揚のはざまで自分自身が惑わされている感覚が好きなのだ。

 

見上げると、濡れた海綿のように重くじっとりとした空に張り付いた灰色の雲が北へ流れてゆくのが見える。ふと向き直った時、その雲の姿を追うようにして葡萄色の機関車が12両の宇宙船のような客車をぞろりと引き連れて、唐突にカーブの向こうからやって来た。

 

 

思っていたよりもE26系特有の丸みが強調されず少し残念だが、こうした編成写真に特にこだわりは無いので、正直このクオリティで十分満足である。

 

 

 

〈10月12日〉

 

国立にある中央郵政センターに、郵便車が保存されていることを聞いた。数ある保存車両の中でも一般公開のされていない秘匿された車両というのは、鉄心と冒険心を同時にくすぐられて、なんとも快感である。守衛に申し出て案内を請い、運が良ければ、そのついでに車内の見学もさせてもらえるかもしれない・・・と勇んで現地に赴いた。

 

「コロナで今は見学の方は中止させていただいてるんですよ~ごめんなさいね」

 

とその旨をはっきり伝え終わらないうちに、すばやく(若干食い気味で)断られてしまった。よく考えてみれば、まあ至極当然のことである。自分は結構自分自身を取り巻く状況にかかわらず、先走ってしまうことがよくあり、この性格に困らされることが未だに多いのがなんとも恥ずかしい。とにかく、諦めて帰ろうと郵政センターの外壁沿いに歩くと、当然視界にそいつが現れた。

 

 

 

 

公道から丸見えで、これならわざわざ構内に入るまでもなく撮影が出来るではないか、と思ったが、意外と木々が邪魔で車両全体の撮影は困難だということが分かった。激しく灼けた夕陽の光が車両ごしに、寓話的な森に美しく溶け込んでいる。

 

 

国立駅は旧駅舎が復元されてからは一度行ってみたいと思っていたのだが、やっとその機会にありつけた。おそらく地上駅時代の国立駅を知らない若者たちは、最近駅前にどでんと建てられたあの奇妙な建物はなんだと初めは疑問に思っていたろうが、今では謎は謎のまま、もう気にも留めず、既に彼らの日常生活の片隅には、ぽつんと違和感なくこの赤い三角屋根が取り込まれてしまっているのだろう。とはいえ、放課後駅前マックにておしゃべりの途中、「あれ、なんだろーねー」的に途切れた会話のツナギとしての役割くらいはもしかしたら果たしているかもしれない。

 

本来ならば、このまま帰る予定だったのだが、ふと武蔵野線の205系があと1編成しかない、という情報を思い出し、とあるサイトにて205系の運用表をチェック。すると、ちょうど良い時刻に西国分寺にやってくるらしく、これはもう絶対に行くしかない。

 

 

通路には205系ありがとうのポスターが貼ってあった。

 

 

この最後に残ったM20編成が運用離脱すれば、首都圏から国鉄時代からの車両は完全に消滅するということになるのだろう。この車両が運用離脱するのは来週あたりとのことだ。列車がやってきた18時頃にはすっかり太陽は沈み、唐突な日の短さを感じさせる10月の暗闇がそのアルミの車体に刻まれたしわを一層深く見せていた。数十秒の停車中に最後の観察を行う。列車が動き出し、幕の灯りや窓からこぼれる車内の照明が次々と目の前を通り過ぎてどんどん早くなってゆく。完全な暗闇の向こうに消えてしまうまで、その走馬灯のような列車を見送った。