「鉄道の日」上越新幹線開通一番乗りを振り返る(1982年11月15日) | 美里山倶楽部

美里山倶楽部

Nゲージのレイアウト作成記事が中心。
大型のレイアウト美郷山鉄道の進捗、レイアウト制作に役立ちそうな話題、車両の小加工、などなどを模型歴半世紀以上、オートバイ歴45年のライダーが書いていきます。
信州・上伊那の話題も提供中。

 今日は、「鉄道の日」ということでみんなブログ書いてるんだろうな。
 
 美里山倶楽部も「鉄道の日」を話題にして何か書いてみようってことで思いついたのが、約38年前上越新幹線が開通したときのこと。
 
 私は、大学生で鉄道研究部にいました。経緯は忘れましたが、「せっかく上越新幹線が開通するんだから一番乗りしてみようぜ」くらいのノリで、一週間前から交代で新潟駅に寝泊まりして並ぶことになったんです。
 現代では、駅での寝泊まりは不可能ですが、当時新潟駅と交渉して待合室の一部を借りることができました。
 写真は、部員が録画したビデオからのものです。
 
 夜~朝はローテーションして、昼間は授業のない連中(主に文系4年生)が、最低でも3人位はいたかな?
 
 日を追う毎にNHK新潟、新潟日報、新潟放送(BSN)など各社から連日のように取材を受けました。
 
 開通初日のショットもNHK新潟からお借りします。 上越新幹線の開通は昭和57(1982)年11月15日、東北新幹線が開通した年6月23日から約5ヶ月遅れた開通でいずれも大宮までの暫定開業でした。
 大宮からは新幹線リレー号という快速に乗り換えて上野まで行かなきゃならなかったんです。
 東京に行くには、更に山手線か京浜東北線に乗り換えるという今からすれば、アリエナイ話。
 
 それでも、上越新幹線で2時間半くらいで上野に行けるのはインパクトありました。
 
 この時に手に入れたのが新幹線の券売所で買った00001の入場券。
 「何故入場券にしたんですか?」って5回くらいインタビュー受けたけど「新潟駅に敬意を表して・・・」と答えてた。
 
 とても(新潟-長岡しか行く金しか持ってないのに、余分な金なんかアルワケナイ)とは答えられなかったんです。
 
 そう、一番乗りの新幹線だったけど大半の部員は長岡で降りて在来線を新潟まで帰ってきました。
 もちろん、181系、183系の回送写真などを撮るためです。
 165系佐渡は、大宮までの暫定開業であったために生き残り、新潟から千葉までの帰省にはこちらを使っていました。
 NHK新潟ではその後、「新潟ヘリテージ」というローカル番組で取り上げてくれました。
 赤丸で囲まれているのが38年前の私ですがいい男ですね。このあと、この番組ではイロイロ展開があったのですが端折ります。
 最後は、開業時に乗った200系のショットを載せないとね。
 
 「鉄道の日」らしいお話でしょてへぺろ

鉄道模型ランキング