こんばんは。

今日は初の四国、予讃線、土讃線での撮影が中心です。

丁度30年前の10月、最後の活躍をしていたDE10、50系客車を中心に狙っていました。気まぐれで秘境駅坪尻にも降りています。

 

先日の播但線の客車列車行程の続きになります。撮影後姫路-岡山経由で四国入り、”四国ワイド周遊券”でしたから周遊区間内は特急利用可能、その日のうちに松山入りしています。先輩と落ち合って翌朝道後温泉へご一緒しましたか、私は撮り鉄、先輩は乗り鉄さん、ここから別行動です。写真は温泉の後、松山駅へ戻る路面電車を撮影したものと思います。

 

松山から予讃線で1駅目の三津浜、何か雰囲気が良さそうだったので降りてみました。

この時は予讃、土讃線の客車列車引退まで残り1か月程になっていました。こりゃ撮影しなきゃ と予定に入れていました。駅からどうやってこの撮影ポイントに辿り着いたのか全く記憶がありませんが、国鉄色で残ったDE10 1011[高] 50系5連の客レを捉えられました。

入換機DE10は運転台が横向きで、機関士さんも横向きに座って運転なのが分かります。

1990/10 (以下同様)予讃線 伊予和気-三津浜 1125レ

 

客レは続行で来るダイヤだったので同じ場所で撮影、こちらは陽が差してくれました。

DE10 1086[高]牽引、[高]は高松運転所です。

まだ電化前でしたが工事は進んでおり、既に真新しい架線柱が立っていました。

予讃線 伊予和気-三津浜 1127レ

 

高松行特急も走ります。キハ185系は国鉄民営化直前の1986年に緑帯で登場した”ギリギリ国鉄型”でしたが、帯のデザインはそのままで、既に空色系に塗り替えられていました。JR化後、この色で落成した車両もあったようです。デザインが変わらなかったのでさほど違和感なく見れました。

予讃線 三津浜-伊予和気 6D いしづち6号

 

その後普通列車に乗車、途中新製2000系気動車の試運転列車と交換しました。2000系も登場からもう30年を超えるんですね。

予讃線 堀江駅 列番不詳

 

その後多度津で土讃線へと乗換え、大歩危へ向かっています。

ここでも客レを狙います。俯瞰撮影をやろうと適当に歩いたのか、アテの場所があったけどたどり着けなかったのか覚えていませんが、意図したアングルではなく時間切れでシャッターを押したと記憶しています。

土讃線 大歩危-小歩危 224レ

 

撮影後後続の特急で阿波池田へ、上の224レを牽引したと思われるDE10が機回しを終えて下り列車運用に備えていました。DE10 1138[知] 高知運転所の所属機です。50系客車にも[知]の札が入っているのが分かります。

土讃線 阿波池田駅

 

ここから上り普通列車に乗車、坪尻で降りています。有名な秘境駅ですが、”スイッチバックと知ったから降りてみた”というメモがありました。この時はどうやら知らずに行ったようです。

 

降りてすぐ、この区間では1往復だけになっていた急行列車、”土佐”が通過して行きます。

国鉄色を見慣れた目にこのカラーリングは”うーん・・”でしたが、円形のヘッドマーク 片ホッペが僅かに国鉄四国急行の香を残していました。キハ65+キハ28 +キハ58 の編成でしょうか。中間のキハ28はサッシ窓、キロ28改造の5200番台と思われます。

土讃線 坪尻駅 201D

 

小さい駅舎を絡めて下り普通列車を撮影です。道らしい道も人家も無いまさに秘境駅でした。

列車は一旦駅を脇目に通過して..

 

いったん停車、ポイントが切り替わりバックして来ます。スイッチバックを撮影したことのあるのは奥羽本線の赤岩、板谷 といった駅ですが、こちらはスノーシェルターが無い分撮影しやすかったです。

 

運転士さんは後方を確認しつつソロソロとバックして駅ホームへ入ります。

 

ここで20分程の停車時間、上下特急2本の通過待ちでした。2本目の特急が通過するころには暗くなって来ていました。この265Dに乗車して坪尻を離れ、この日の撮影を終えました。

土讃線 坪尻駅 265D (4枚とも) 通過特急は2008D

 

四国の車両は塗色統一が早く、唯一国鉄色で残っていたのがDE10と50系客車 といった状態だったと思います。播但線の記事で書いた通り、テッチャン目的の四国旅行では無かったんですが(笑)、それを前に最大限楽しめた1日でした。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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