第1388回('20) 武蔵野線埼玉県内の未訪問駅&東武スカイツリーラインの越谷周辺の駅を降り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2020年9月19日~21日、シルバーウイーク4連休のうち前3日間は、新型コロナウイルスの感染拡大が収まりつつあったと判断し、2泊3日の日程で関東地方へ乗り鉄・降り鉄(途中下車)に出かけました。
但し、新規陽性者数の多い東京都と神奈川県はできるだけ避けつつ、新規陽性者数が比較的少なく、私の地元・兵庫県と同レベルの千葉県、埼玉県を中心に回りました。宿泊は東京都内でしたが。
 
今回は2日目中盤の内容です。
午前中は武蔵野線の未訪問駅(全て埼玉県内)を降り鉄していき、武蔵野線の全駅を制覇しました。
その後は南越谷駅~新越谷駅経由で東武スカイツリーラインに乗り換えて、越谷駅など越谷市や草加市に所在する数駅を降り鉄していきました。
 
今回の日程 2020年9月20日  (日)  【その2】
 
越谷レイクタウン828(武蔵野線)830吉川855(武蔵野線)857吉川美南905(武蔵野線)907新三郷931(上り)933吉川美南1001(武蔵野線)1008南越谷/新越谷(東武スカイツリーライン)1023新田1050(下り)1052蒲生1122(普通)1126越谷1227(普通)1229北越谷
 
【その3へ続く】
 
越谷レイクタウン駅からは8時28分発の武蔵野線下り各駅停車・西船橋行きに乗車しました。E231系0番台8連で、乗り込んだ最後部車両はほぼ満席でしたが着席して、水分補給をしながら車窓風景を眺めました。そして私はすぐに到着した次駅の吉川駅で下車しました。駅はカーブ地点にあり、西船橋方は上下線のホームが大きく離れていました。これは以前、3駅先の三郷駅の手前まで抱き込み式の武蔵野操車場があり、上下線が大きく離れていたためです。武蔵野操車場の廃止後は上り線が下り線沿いに移設されました。
また、駅前は北口も南口も吉川市の玄関口として整備されていて、市街地が広がっていました。
 
 

 

 
吉川駅では8時55分発の各停・南船橋行きに乗車。E231系0番台8連でした。最後部車両は満席で、ドア脇に陣取りしばし車窓風景を眺めて、1駅目の吉川美南駅で下車しましたが、下り線ホームから隣駅方面の風景をうまく撮影できず、また後ほど上り列車で吉川美南駅に戻ってくるのでその時に上り線ホームから風景を撮影する事にして(要は上り線ホームに移動するのが面倒だったので)、ベンチで水分補給をしてから後続の9時05分発、各停・東京行きに乗りました。209系500番台8連で、この電車も最後部車両は満席だったのでドア脇から車窓風景を眺めて過ごし、すぐに到着した新三郷駅で下車しました。
 
 

 
かつて新三郷駅は武蔵野操車場の中央部にあった関係で上下線のホームが極端に離れていましたが(関西では以前の久宝寺駅が同様の構造でした)、操車場が廃止となり、東京の田町電車区跡地(現在の高輪ゲートウェイ駅付近)のように跡地を再開発するため、上り線を下り線側に移設して1999年に駅が統合され、橋上駅舎化されました。その後、跡地が再開発され、駅近くに「IKEA新三郷」「ららぽーと新三郷」「コストコ新三郷倉庫店」が相次いで開業し、新三郷駅の乗降客が大幅に増加しました。また、西口駅前の「ららぽーと新三郷」の入口にはかつてJR東日本が所有していた24系客車「夢空間」の「ラウンジカー」(オハフ25 901)が静態保存されていました。他に「ダイニングカー」(オシ25 901)も保存されているそうですが、訪問時はその事を知らず、「ラウンジカー」の1両に遭遇しただけで満足でした。
一方、東口側は未開発で、駅前は駐車場が多かったですがローカルな風景が広がっていました。田園風景が残っています。
 
 

 

 
新三郷駅からは府中本町方面へ戻ります(三郷駅以東は全駅訪問済)。上りの9時31分発、各停・東所沢行き(E231系8連)に乗車しました。最後部車両は半分ほどの席が埋まっていて、私は着席して水分補給を済ませました。そしてすぐに到着した吉川美南駅で下車しました。
吉川美南駅は2012年に開業した新駅で、新三郷駅同様に武蔵野操車場部分にある駅ですが、こちらは駅開業当初より上下線とも同じ位置です。綺麗な橋上駅舎を有していて、西口側は操車場跡の再開発が進み、イオンタウンや住宅地になっていました。新三郷駅方面は開発途上で、駅前には建設中の施設も見られました。一方、東口側は新三郷駅同様に田園が広がるローカル風景でしたが、区画整理事業が行われており、そう遠くないうちに風景が様変わりすると思われます。
そして、駅前広場では毎年9月にジャズの祭典「YOSHIKAWA JAZZ NIGHT」が開催されているのですが、今年(2020年)は新型コロナウイルスの影響で中止になりました。
 
 

 

  
吉川美南駅下車で武蔵野線の全駅途中下車(降り鉄)を達成しました! 次は東武スカイツリーラインを目指すべく、10時01分発の各停・府中本町行き(E231系0番台8連)に乗車。乗り込んだ最後部車両は大半の席が埋まっていましたが私は着席して、水分補給を済ませてから車窓風景を眺めて道中を過ごしました。2駅目の越谷レイクタウン駅は下車客が多かったです。そして私は3駅目の南越谷駅で下車しました。ここで一旦武蔵野線とはお別れです。
 
 

  
南越谷駅で下車後は改札を出て、隣接する東武スカイツリーラインの新越谷駅へと移動しました。そして10時23分発の東京方面上り普通・中目黒行きに乗車しました。車両は「THライナー」で使用される70090型7連で、座席はロングシートとクロスシートのどちらにもセットできるマルチシートを備えていますが、普通列車運用時はロングシートに固定されています。最後部車両に入ると数席空いていたので着席しましたが、背もたれが高く肘掛けもあり、ロングシートながら優雅な雰囲気に浸りましたw しかし背もたれが高いため、ロングシート時は座りながら車窓風景を眺めづらいのが難点ですね…。それでも私は反対側の窓から車窓風景を眺めて、2駅目の新田駅で下車しました。「にった」駅と思っていましたが、「しんでん」駅でしたw 複々線区間に所在する近代的な高架駅でしたが、東口の駅前はこじんまりとしていて、昭和の雰囲気も漂っていました。西口に至っては駅前広場すらありませんでした。
 
 

 

 
新田駅からは北へ戻ります。乗車したのは10時50分発の下り普通・南栗橋行きで、東京メトロ日比谷線の13000系7連でした。私は最後部車両に乗車しましたが車内は空いていたので着席し、水分補給をしながら車窓風景を眺めていると間もなく電車は蒲生駅に到着し、下車しました。駅構造は新田駅と類似していましたが、こちらは東西とも駅前広場があり、整然とした市街地風景が広がっていました。
 
 

 

 
蒲生駅では11時22分発の普通・南栗橋行きに乗車。車両はまたも東京メトロ13000系7連でした。日比谷線では笑えないほど東武車に遭遇するのに、こちらの東武線ではメトロ車ばかりに遭遇します…。当ブログで駅記事を作成する際、できるだけ自社車両の写真をUPしたいのですが、私の巡り合わせの悪さを嘆くしかありません…。最後部車両の車内は空いていて、着席状態で車窓風景を眺めました。新越谷駅はパスして、2駅目の越谷駅で下車しました。駅は2面6線と大規模で、乗降客も多かったです。メインの東口側は商業ビルなどが立ち並んでいて、市の代表駅として不足ない風景だった一方、西口は駅前広場こそあるものの裏口の雰囲気も感じられました。駅前散策時には小雨が降っていましたが、時折雨足が強くなりました。
 
 

 

  
お昼時なので、駅前を散策後は東口側の「松屋」で昼食を済ませました。
 
 

 
食後は越谷駅へと戻り、12時27分発の普通・南栗橋行きに乗車しました。また13000系に遭遇するのでは…と心配しましたが、やって来たのは70090型7連でした。最後部車両はガラガラで、今度もロングシートにセットされたマルチシートに座りました。
 
 

 
道中はマルチシートの座り心地を味わいながら(特急用の座席よりは劣りますが…)車窓風景を眺めて過ごし、次駅の北越谷駅で下車しました。北千住駅から延々と続いていた私鉄最長の複々線区間はここまでで、北越谷駅から先は複線区間になります。もう複々線区間が延伸される事はなさそうですね…。また、ホームドアが設置されていました。
 
 

 
改札を出た後は軽く駅前散策をしましたが、この駅も東口の方が発展していました。少なくとも東武スカイツリーラインの竹ノ塚駅から北越谷駅までの間は高度成長期に開業した獨協大学前駅(旧・松原団地駅)を除き、より新しい駅である新越谷駅を含めた全ての駅で東口側の方が栄えているのが印象的でした。これは東武スカイツリーラインに並行している日光街道が線路の東側を通っていて、日光街道沿いに市街地や住宅街が形成されていたからと思われます。
 
 

 
もっと北の駅も訪問してみたいのですが、今回はここで打ち切りました。
次は埼京線の未訪問駅を降り鉄する事にして、この日もまだまだ乗り鉄・降り鉄を続けました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)