1984年9月1日、京都から出雲市まで寝台普通列車<山陰>に友人Kと乗車しました。
・オハネフ12寝台車に乗車です。
京都を出発して船岡あたりまで起きていたと思います。
日付は変わり1984年9月2日。
早朝どのあたりでか分かりませんが車掌さんに起こされた。というより・・・。
3段式寝台の下段の切符で上段で寝ていたので車掌さんに怒られ、起こされた。
「お客さんが使用した数しかクリーニングしないんですよ!」とか言われて。
恥ずかしい話ですわ。
車掌さん、あの時は、申し訳ございませんでした。
赤碕着。
赤碕で<山陰>はキハ58と交換、<出雲1号>を待避する。
米子発鳥取行の快速のようです。何両編成か不明ですけどサボは3号車が付けられています。
<出雲1号>通過。DD51にヘッドマークの無かった時代。客車のテールしか撮ってないですが、キハ58、DD51,DD51の3本並びが見られたんですね。
硬券を期待して新大阪の隣の東淀川駅で切符を購入しましたが残念ながら軟券でした。列車名くらいはハンコがよかったなぁ。河野大臣も、この切符の場合はハンコの方がいいでしょうね、と言うだろう。この切符は、これはこれで味がありますが。