所有事業者:北都交通 (北海道)

仕様・用途:高速路線仕様 (契約貸切仕業に充当)

登録番号:札幌22 か ・911

初年度登録:1990年

シャシー製造:三菱自動車工業

搭載機関:三菱8DC11型

車体架装:三菱自工名古屋

車両型式:P-MS729S

車名:三菱ふそうエアロクィーン・M

撮影日:1992年2月19日 (水曜日)

撮影場所:千歳空港

 

おやつ時に、 「今日の1台・913」 ということで、JR北海道 (→ジェイ・アール北海道バス) のエアロクィーン・Mを取り上げようとしたのですが、記事の書き込みが終わってデータ化しようとしたら、それは既に紹介済みであることが判明し、あえなく削除。しゃーないんで、別のネタをと思って色々と探したら、北都交通のAQMはまだ取り上げていなかったようなので、こっちにします。

 

北都交通といえば代々、MS7エアロバスのカタログカラーを標準車体色として使われ続け、それは後々登場するJバス等にも採用されています。昔はカタログカラーを採用した事業者は多かったのですが、今はめっきり少なくなりました。

仕様としては、高速路線仕様になるようですが、撮影時は行灯の方向幕が示すように、航空会社のツアー輸送に駆り出された時のようです。

 

北都交通はタクシー事業がその嚆矢になりますが、全日空は1950年代から深いつながりがあり、その歴史は全日空の前身である日本ヘリコプター輸送時代にまで遡ります。このヘリコプターの利用者を対象にして、札幌市内と千歳空港とを結ぶハイヤーを走らせたのが関係の始まり。1957年に日本ヘリコプター輸送は全日本空輸と社名を変更し、航空機も大型化。そのため、当時の北都ハイヤーが自家用のバスを導入して 「送迎」 という形で北都ハイヤーの乗務員が運転するという方策を採りました。今後も航空機需要が増えること、同時に全日空も会社としての規模が大きくなることなどを予想して、北都側もハイヤーではなくて本格的にバスを運行する必要に迫られたため、北都ハイヤーの子会社として1959年6月に北都航空バスを設立、これが北都交通のバス事業の始まりです。

1961年には貸切事業にも参入し、同時に社名を北都バスに変更しています。

北都交通になったのは1966年のことで、深いつながりがあった全日空が立て続けに2件もの大事故を引き起こし、全日空の乗客は減少した他、芋づる式で北都バスも経営難に陥ります。そこで親会社の北都ハイヤーと合併して北都交通が誕生したということになります。

 

導入当初は4列シートの36人乗りで、中央の床下にトイレを設置していますが、乗務員の仮眠室は設けられていないので、本格的な夜行高速路線仕様でないです。

その時は札幌-函館間の 「オーロラ号」 に充当されていましたが、ここでもANAとの関係性が如実に表れ、後にANAの子会社になる日本近距離航空 (現在のエアーニッポン) と提携して、利用者には復路で航空機が利用出来るツアーを設定しました。

後に3列シートの29人乗りに改造されて帯広へ行く 「ポテトライナー」 に充当されるようになります。

 

撮影時、 「北都交通にエアロクィーン・Mが入ったっ!」 と小躍りし、北都交通大好き男のしのこおさんも諸手を挙げて喜びました。でも、何かが違う (鈴木ヒロミツ風に) 。

AQMといえば、 「パンダ」 とあだ名されるように、ライト周りの黒が印象的ですけど、もう一つ、前面窓下のブラックもそのアイデンティティを際立たせるチャームポイントになると思います。でも、北都交通のAQMはそれが無いんですよね。これがね、残念でなりません。窓下のブラックがあれば、もっと格好良くなるのに・・と思ったのは私だけでしょうか?

 

【参考文献・引用】

HRIB 北海道バス総合研究所

ウィキペディア (北都交通、高速はこだて号)