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ж 36 ж 高架不高架

 投稿日時 2010/10/3(日)午前 6:06  書庫 鉄道の間  カテゴリー 鉄道、列車
 




 ひところブームの様に開かずの踏切が話題になった。ここでもそこでもあそこでも。踏切が開いている時間は1時間のうち3分だけ!!なんて。
 そのせいかどうかは知らないが近年急速にあちこちで鉄道の高架化が進められている。話題の中央線だけでない。地方のローカル線でもちょっとした町の部分ではだいぶ高架路線になった。
 その一方で線路の高架化以上に駅の高架化、つまり橋上駅化が進んでいる。この工事は比較的利用者が多い駅で、かつ駅を挟んだ反対側への人通りが多いところが主となる様だが、その様なところは車の量も多いからいずれ踏切が問題となる。しかし、いざ線路を高架にしようとすると駅にぶつかってしまう。どうするのだろう。最初から線路を持ち上げておいた方が将来的には二度手間にならなくて良いのではないかな。それとも地元建設会社の為にわざと・・…。
 さて、先日その中央線に乗ってみた。まだ下り線だけが高架になっているだけであるが、乗っていて実に気持ちがいい。眺めがいいからである。新宿を出たばかりの以前から高架の辺りはビルの谷間で高架という実感が無いが、新しく高架になった辺りは住宅街。家々の屋根の向こうの向こう、秩父山地まで見える。まるで大平原を行くみたいだ。ちょっと言い過ぎかな。ではあらためて関東平野北部の田園地帯を行くみたいだ。
 実際のところは住宅街とはいえどもそこそこ高い建物もあるので完全とは言えないが、その様子は北関東の田圃の中に家々があってちょっと見通しがきかないぞ、に似ている。
 その北関東の広々の中にも高架線がある。宇都宮線で言えば古河と東鷲宮。
 この2駅は、特に東鷲宮は駅周辺が開発途中の為ただでさえ眺めのよい関東平野にあってなおさらの事。これらの駅や駅周辺の高みに列車が登るといやいや筑波山から男体山赤城山浅間山秩父連山そして富士山まで良く見える見える。う~ん田舎の高架もいいなー。
 昔高架と言えばそれは都会のもの。田舎は全て地べた、であった。
 自慢ではないが私は育ちは都会っ子。えっ、以前川崎市の田舎育ちと言っていなかったかって?そう確かにそれはそうなのだが、当時としては都会育ちに部類するものであったと思う。
 その証拠に最寄の駅は高架だった。田園都市線溝の口。この駅はかなり高い。私は将来南武線が高架になってもぶつからない様に高くしているのだと思っていたが、実は隣の梶ヶ谷駅が山の上(それでも谷間なのだが)にある為そこへの急勾配を避ける為のものであったようだ。その先にも幾つかの高架駅があるがいずれも路線が谷底まで降りるのを嫌った為のもので、つまり山谷山谷が連続する土地を貫く比較的新しい路線ゆえのもの。やっぱり田舎かな。
 溝の口から東へ向かえば次の高津は地上駅。二子新地でまた高架になって二子玉川を出ると目もくらむ高さ。下にただでさえ小さい玉電の車両がぽちっと小さく見えて怖くさえ思えるものであった。だがそれにしてもすぐに上野毛の谷間。本格的な高架は自由が丘の先から。家々を見下ろし、大井町に近づけば高層ビルも見える。
 山手線も全線にわたって多くの高架区間がある。しかし、本当の山手線部分(品川~新宿~田端)は山谷山谷を貫く為のなりゆき高架。本物高架は田町~上野。
 この区間は高層ビルに囲まれているうえ線路数も多くて高架の実感は少ないが端を走る京浜東北線北行から見れば確かに高架。渋滞する道路を次々とまたいで行く。
 上野から東北本線に乗ると線路は地べたを行く。電車そのものは緑色の山手線よりも各上に思える緑とオレンジの電車。きらびやかな特急電車もばんばん走っている。でも地べた。川口辺りで少し高架になるが、それは荒川を渡るためのなりゆき高架。あとはひたすら地べた。田圃の中はもちろん、宇都宮、郡山、福島、仙台、盛岡、青森、どこまで行っても地べた。
 線路だけでない。駅も交差する道路もみんな地べた。上をまたぐもの、下をくぐるものも少なく皆仲良く地べたにいたのが普通であった。そしてそれが町とよく調和していた。町と駅が一緒に発展してきた歴史が感じられたのである。
 上記都市を田舎と言っては大変失礼だが、私にとってはかような事から、高架は都会のもの、田舎は地べたという思いが自然のものであった。  
 一方、山手線の高架区間。この区間は上からばかりでなく下から見上げても実にいい雰囲気である。煉瓦造りのアーチがいかにも高架の老舗を感じさせる。やはり町と高架がしっくりと調和しているのである。
 根岸線の桜木町付近もいい。こちらは無粋なコンクリート高架だが、やはり町との不自然が無い。ところが、桜木町駅から港に向かうと実に不思議なものが目に入ってくる。氷川丸を隠す様に長々と横たわるコンクリート高架。今は無き貨物線である。
 これのなにが不思議かと言うと、幼い頃私はこれが鉄道だとは思っていなかった。港の公園とを隔てる壁か何かと思っていた。ところがある日その上を貨物列車が通過するのを見た。「えっ、これ線路だったの?」正直な感想。
 何かが変だった。なにが変なのだろうと考えた。そして気づいた。「架線が無い」。
 高架という都会的建築物なのに田舎のローカル線が乗っているのだ。これが幼き日の自分にはとても不思議だった。
 しかし、時が経ってうすうすと歩き回る様になるとこの不思議にあちこちで出会った。
 最初に衝撃を受けたのは高松。栗林公園の前にあった。
 その辺りはどちらかと言えば都会。しかし、目の前にはか細い高架線が。
 はじめは貨物線かと思っていたそれはよくよく考えれば高徳本線。あいにくお目にはかかれなかったが、堂々たる?急行列車が轟々と通過するであろう線路である。都会的雰囲気に弱々しい高架。そこへ急行列車。どうにも違和感がぬぐい切れなかった。
 逆のパターン。
 水戸から国道51号で大洗方面に向かうと左手田圃をどこまでも続く細い高架線。鹿島臨海鉄道。ときおりポツリとディーゼルカーが通る。この風景にはかなりなれてきたが、それでも違和感がぬぐいきれていない。右手をよく見れば田圃と家々の間を縫って茨城交通水浜線の廃線跡が。こちらの方がこの辺りにはしっくり来る。
 この感覚は列車に乗っていては気づかない。だた単にいい眺めだ、で終わってしまう。たいていは。
 列車に乗っていても気づくのが高架になった地方大都市の駅。例えば金沢。
 古びた客車でゆったりでも、特急列車でびゅっとでも、家々や田畑の間を抜けてやがて金沢駅に近づくと列車はそれまでと違って早めに速度を落す。大きな駅に敬意をはらって、という表現もあるようだが、実際は駅手前から幾本もの線路が分岐してかつ駅が大きい為ホームの数分膨らんでいてまっすぐ目的のホームへは入れず、手前にカーブがある事が多い。ゆえにかつては事前の減速が必要となり厳かな到着となり、大きな駅に着いた実感となにか安堵感があった。
 高架化は莫大な出費となる。だから必要最小限のものしか持ち上げない。しかもついでに線形も高速対応にしてしまう。結果、ホームの人をなぎ倒すような勢いで到着してチョコット停まってガーッと発車。電光掲示板に「急行清澄白河行、停車駅は三軒茶屋・渋谷・・…」と出ていても何ら違和感は無いようにも思える。
 通っただけでもこれだけの違和感がある金沢駅。降りたら更にで、特に北口がいけない。
 金沢の町はしっとりとした城下町。と同時に県都としての活気もある。しかし、その北口はしっとりとも活気ともかけ離れた単なる「きらびやか」でしか無いように思える。なんだか人を寄せ付けるのを拒んでいるような。
 そもそも高架は拒む建築物である。なにをかと言えばそれは人と車。線路と人の生活圏を分けてしまえば確実に事故はなくなる。ゆえに地方でも高架化が進んでいる。しかし、開かずの踏切では仕方ないが、1時間に1本などという路線の踏切の為に渋滞するからと安易に高架にして人を拒むような無味乾燥な鉄路はなにか物悲しい。そもそもなぜ踏切で一時停止しなければならないのか。踏切警報機が信用できないから?前方が渋滞していて踏み切り内に停車してしまう恐れがあるから?だったら信号付き踏み切りはなぜ停車しなくてよいのだ?いっそ全ての踏切に信号を付けてしまえ。列車接近時及び前方渋滞時は赤を表示する技術なんて今の世では簡単な事であろう。車における対人や対車などの移動対象物に対する衝突回避システムはずいぶんと進んで実用化まで行っているのだから固定対象物の踏切通過保安システムなんて簡単なものではないのだろうか。
 旅をしていて地べた鉄道に出会うとなぜかほっとする。しかし、それが高架鉄道だとなにか不安になる。極端な話。遭難してさんざんさまよった挙句線路脇にたどり着き力尽きた。地ベタ鉄道ならばたぶん運転手がそれを発見して助けてくれる。しかし、高架鉄道ではその下に倒れていても発見される事無くそのまま……。

 ところで最初に書いた宇都宮線の東鷲宮駅。この駅の高架はちょっと変わっていて、その理由が踏切云々ではなく、隣接して設けられた貨物ターミナルへの出入りゆえのものなのである。このターミナルは上り線の外側に作られたので下り線から入るには上り線を横切らなくてはならない。しかしそれは危険だ、という事で上り線だけを高架にして下り線からの出入りとは立体交差にした。ところが貨物ターミナルそのものはご多分に漏れず廃止。そしてなんとも不自然な片側だけ高架の駅となってしまった。鉄道側の理由だけで上下ホームが隔絶された無意味な高架なのである。
 さて我が家。実は私の仕事は時間が不規則なので自然万年床に。でもそのままでは畳が傷むと私だけロフト式ベット、つまり高架となった。一方奥さんは地ベタ布団。東鷲宮駅と同じである。以来隔絶されたホーム間の行き来は無くなり幸か不幸か□*☆○●。皆さんのお宅はいかがですか? 

--第36号(平成19年12月8日)--

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 コメント(4)

 

 

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そういえば、ウチも自分と子供が地べた布団で、
カミさんがなぜか子供用の二段ベッドに寝てます。。
(寝相が悪いのが集約されているようです)  
2010/10/4(月) 午前 4:02  哲ちゃん+Mc169
 
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哲ちゃん+Mc169さん
開業時のままの姿を維持するのはやっぱり難しいのですね―。(笑)  
2010/10/4(月) 午後 6:22  NEKOTETU
 
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一番バカバカしいのは高架の廃線ですねぇ(泣)
高架工事する前に廃止しなさい(怒)  
2010/10/6(水) 午後 11:02  LUN
 
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LUNさん
高い建設費をかけたのに簡単にポイ。ありますよねー。しかも壊すのに更にお金が。困ったものです。  
2010/10/7(木) 午後 6:02  NEKOTETU