福岡市営地下鉄の改札口を出て、まっすぐ歩いて西鉄貝塚線の改札へ。
2番ホームに何やら派手な電車が止まってますが、次の電車はこれではなく、1番ホームにこれから入ってくる電車のようです。
ホームの外側には福岡市営地下鉄の方から線路が伸びてきて、車止めで行き止まりになっています。
この線路、将来の福岡市営地下鉄線と西鉄線との相互乗り入れに備えて準備されたものだそうです。しかし諸般の事情によりその計画は全く進んでいません。
そして一番ホームに入ってきた、こちらも何やら派手なラッピングの電車。「にゃん電」のヘッドマーク。
終点の西鉄新宮に近い新宮港から「猫の島」として知られる相の島への定期船が出ています。
両開き3扉ロングシートの2両編成。
きれいに整備されていますが、網棚・窓・座席・手すり棒の形状など、典型的な昭和の車内です。
妻面に貼られた銘板を見ると、車両番号は「601」、製造年は昭和37年となっています。西鉄600形のトップナンバーです。
600形は西鉄大牟田線の近代化のために大量に導入された、当時の最新鋭電車でした。今は貝塚線で余生を送っています。
ただし軌間が違うので(大牟田線は1435ミリの標準軌、貝塚線は1067ミリの狭軌)台車は履き替えています。
電車は遅れていた福岡市営地下鉄からの乗り換え客を待って発車。
海津か駅に併設された車両基地の横を通っていきます。
多々良川を渡ります。
鉄橋ではなく、古めかしいアーチを連ねた石橋です。並行する鹿児島本線の車窓から見るとよくわかります。
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≪鹿児島本線から見る貝塚線アーチ橋(一番手前の橋)。令和2年6月撮影≫
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多々良川の上流側、鹿児島本線の鉄橋を望む。
多々良川を渡ると、鹿児島本線と並行して走ります。
武骨な運転台
名島を過ぎると高架線に上がり、鹿児島本線と並走するようになります。
鹿児島本線との乗換駅、千早
昭和の初めごろまではこの線路のすぐそばまで海岸線が迫って来てました。
今ははるか沖まで埋め立てが進み、海など全く見えません。
香椎駅を過ぎると
西鉄が運営する幼児・子供向けのテーマパーク、かしいかえんは駅前すぐそばです。
かつてはタブレット交換をしていたころの名残で、踏切を挟んで対角線上にホームが配置されていました。
今も構内は複線にはなっていますが、片方のホームは撤去され、片面ホーム一面だけの駅になっています。
和白駅に近づきます。
右側から別の線路が近づいてきました。JR香椎線です。
今乗っている貝塚線(旧宮地岳線)と右から近づいてきたJR香椎線は、ともに博多湾鉄道が建設した路線です。
博多湾鉄道は昭和17年、戦時統合により西日本鉄道となり、それぞれ西鉄の宮地岳線・粕屋線となります。
ところが粕屋線のほうは、沿線に粕屋炭田があり重要な運炭路線ということで、昭和19年に国有化(戦時買収)され国鉄香椎線となりました。現在のJR香椎線です。
博多湾鉄道のころは和白駅で線路もつながっていました。今では乗客の乗り換えはできますが、西鉄とJRの線路はつながっておらず、全く他人同士といった感じで存在しています。
柵の向こうはJR線ホーム
遠くに博多湾の埋め立て地、人工島が見えました。
三苫を過ぎると田園風景が広がりますが
すぐに終点、西鉄新宮駅着。
貝塚からは約23分の道のりでした。
この先、線路はありません。
かつてはこの先、津屋崎まで電車が走っていました。しかし赤字を理由に平成19年に廃止されました。
沿線は福岡都市郊外の住宅地で、本来ならば鉄道需要は大きいと思われます。
しかし並行する鹿児島本線が国鉄末期からJR化後にかけて、快速・普通列車の増発、快速列車の停車駅追加、転換クロスシートを装備した新車の導入、新駅の設置、等々をおこない利便性が向上しました。
これに対抗する西鉄は宮地岳線を放置したまま、都市高速経由で福岡都心部の天神に直通するバスを充実させました。
低規格の単線路線で速度も遅い宮地岳線は乗客減が続きました。
宮地岳線は大牟田線の中古車でそれより古い車両を置き換えた程度で、根本的な体質改善はされませんでした。
何よりも都心部に直結してなくて、地下鉄との乗換の手間がかかり運賃が割高になるのはかなり痛かったように思います。
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