上野発の夜行列車 ~「あけぼの」号~
上野ー青森間を結んだ、寝台特急「あけぼの」号です。
「あけぼの」号の 定期列車が誕生したのは、1970年10月で、
上野ー青森間に1往復が設定されましたが、「あけぼの」を
名乗る列車は、定期列車の運転開始前となる同年7月から、
一足先に臨時列車として、上野ー秋田間で運転を始めたとい
う、珍しい経歴を持つ列車です。
▼上野駅に推進回送されてきた 20系「あけぼの」号
▲国鉄で一番最後の20系定期寝台特急となりました
元祖「あけぼの」は、もともと奥羽本線経由で、東京と秋田
大館地方とを結ぶことを主目的とした寝台特急であり、青森
では、青函連絡船との接続を考慮しない列車でした。
■元祖「あけぼの」 機関車七変化
全区間で4回も、牽引機関車が変わる列車でもありました。
以下に活躍した機関車を回想します。
▼上野ー黒磯間は EF65 1000番台 が先頭に立ちました
▲上野で出発を待つ EF65 1013 牽引の「あけぼの」号
PF型のブルトレ牽引は「あけぼの」が一番最初でした。
本務機は1000番台でしたが、一時期東京区の500番台が牽引
したことがあります。
また EF58 が、代走した例も見られました。
▼黒磯ー福島間は ED75 が担当
▲オリサル 766号機を先頭にした「あけぼの」号
黒磯ー福島間で活躍したED75は、当初は青森区の1000番台、
後に、福島区の700番台が牽引しました。
オリサル塗装の ED75 は、奥羽本線経由最後の「あけぼの」
を牽引し、ED75牽引定期特急列車の最終便ともなりました。
▼奥羽本線 福島ー山形間は EF71+ED78 で峠越え
▲ED78 1号機を補機に板谷峠を上下する「あけぼの」号
奥羽本線 福島ー山形間は、当初は EF71 単機で牽引していま
したが、 後の20系客車改造工事で重量が増した際、空転が生
じたため、ED78 が補機となり、重連運転となりました。
山形新幹線工事の際、福島駅構内の工事の関係で、上り列車
のみ、郡山まで直通牽引した時期があります。
▼山形ー青森間は 再度 ED75 の登板
▲赤い電機に青い客車の組み合わせが美しい「あけぼの」号
冬期は勾配区間の空転対策として、重連運転が行われました。
▼電化前は DD51 の担当区間でもありました
▲出典:鉄道ファン 1977.5月号
最盛期には、急行「津軽」を吸収する形で、上野ー青森に2
往復、上野ー秋田に1往復の、計3往復が運転されました。
青函トンネルが開業した際、上野ー秋田の1往復が削減され
ました。
▼磐越東線経由時代
▲DE10の重連で運転された「あけぼの」号
上野ー青森2往復体制となった後、山形新幹線の工事で、
奥羽本線 福島ー新庄間に乗り入れることが不可能となり、
うち1往復が「陸羽東線」の 小牛田ー新庄 経由とされ、
陸羽東線内は、DE10の重連で運転されました。
DE10 に取り付けられたヘッドマークは、光り輝く「行燈式」
だったそうです。
残りの1往復は、運転区間を、高崎線・上越線・信越本線・
羽越本線経由に変更され、こちらの列車名は「鳥海」へ変身
しました。
■バックサインのこと
20系で運用されていた時代の「あけぼの」と「ゆうづる」は
両列車に、青森運転所と秋田運転区の運用が混在したことか
ら、これを区別するために、バックサインの色を変えること
になり、青森車が白地、秋田車が桃地とされました。
▼バックサインが 桃地(ピンク色)の 秋田車の記録
▲青森方のナハネフ22には、展望室がありました
白地のバックサインを見慣れていた一般客には、単なる汚れ
か、経年劣化としか見えない姿でありました・・。
もしこの運用が、24系のイラスト入りバックサイン化まで続
いていたら、どのようになっていたのでしょうね・・。
▼「あけぼの」の イラストマーク
■「あけぼの」2世時代
秋田新幹線の開業に伴って、元祖「あけぼの」の血筋を引
く、陸羽東線経由の「あけぼの」は、廃止の運命となり、
東北本線から庄内地方に至る寝台列車は消滅しました。
それと同時に、高崎線・上越線・信越本線・羽越本線経由
のルートに運転されていた「鳥海」が「あけぼの」に改称
され、その名が残ることとなりました。
▼上野ー長岡間は EF64 1000番台 が 先頭に立ちました
▲「あけぼの」は 貫通扉のある機関車に縁がありますね
かつては EF81 が全区間を担当していましたが、上越線での
空転と、高崎線・上越線の乗務運転手が運転しにくいという
問題があったそうで、上野ー長岡間は EF64 にしたそうです。
▼同区間には 茶ガマの EF64 37 号機 も 登板しましたね
▲KATO製 Nモデル (出典:奥むさし鉄道さま より 拝借)
模型の世界もクイックヘッドマーク化で いろいろな列車のヘッドマークを
簡単に交換できるようになり、楽しさが増しました
(奥むさし鉄道 様、お写真のご提供、ありがとうございました)
▼長岡ー青森間 は 日本海縦貫線の主 EF81 がエスコート
▲陸羽東線経由時代にも上野ー小牛田間でお世話になりました
鉄ちゃん達の中には、元祖「あけぼの」と区別するために、
上越線経由の「あけぼの」のことを「あけぼの2世」とか、
「鳥海」から化けたことをモジって「ばけぼの」(化けぼの)
と表現し、呼び名を使い分けている方も おられました・・。
■個室寝台の鍵のこと
個室寝台の鍵は、当初は「磁気式のカードキー」が定番で
列車毎に異なるカードのデザインが魅力的でした。
使用後は、持ち帰りもOKでしたので、旅の記念品にもな
り、収集家にとっても、ありがたい一品でした。
▼「あけぼの」に特化したA個室 の 磁気式カードキー
▲トレインマークを模したデザインが「鉄」心を擽ります
B寝台にも個室化の波が押し寄せると、磁気カードの削減
とセキュリティの更なる向上をねらって「テンキー式」の
鍵に変更され、磁気カード式の鍵は、姿を消しました。
今の時代でしたら、テンキーに触れる行為を避けたい風潮
もあるのと、整備する側にとっても、テンキー消毒作業を
減らせるので、使い捨てのカード式の方が望ましいですね。
▲カニ24-511 + スロネ24-551 + オハネ24-555 + オハネフ24-12
この編成は走行可能な状態に保たれ、宿泊者限定で宿泊当日
の夕方と翌朝に、構内走行乗車を体験できます。
22時になると車内は「減灯」され、夜汽車旅の雰囲気を演出。
こういった保存方を、いつまでも続けてほしいと願います。
⇒小坂鉄道レールパーク公式 H.P ※今年度の宿泊営業は中止の旨です
上野ー青森間を結んだ、寝台特急「あけぼの」号です。
「あけぼの」号の 定期列車が誕生したのは、1970年10月で、
上野ー青森間に1往復が設定されましたが、「あけぼの」を
名乗る列車は、定期列車の運転開始前となる同年7月から、
一足先に臨時列車として、上野ー秋田間で運転を始めたとい
う、珍しい経歴を持つ列車です。
▼上野駅に推進回送されてきた 20系「あけぼの」号
▲国鉄で一番最後の20系定期寝台特急となりました
元祖「あけぼの」は、もともと奥羽本線経由で、東京と秋田
大館地方とを結ぶことを主目的とした寝台特急であり、青森
では、青函連絡船との接続を考慮しない列車でした。
■元祖「あけぼの」 機関車七変化
全区間で4回も、牽引機関車が変わる列車でもありました。
以下に活躍した機関車を回想します。
▼上野ー黒磯間は EF65 1000番台 が先頭に立ちました
▲上野で出発を待つ EF65 1013 牽引の「あけぼの」号
PF型のブルトレ牽引は「あけぼの」が一番最初でした。
本務機は1000番台でしたが、一時期東京区の500番台が牽引
したことがあります。
また EF58 が、代走した例も見られました。
▼黒磯ー福島間は ED75 が担当
▲オリサル 766号機を先頭にした「あけぼの」号
黒磯ー福島間で活躍したED75は、当初は青森区の1000番台、
後に、福島区の700番台が牽引しました。
オリサル塗装の ED75 は、奥羽本線経由最後の「あけぼの」
を牽引し、ED75牽引定期特急列車の最終便ともなりました。
▼奥羽本線 福島ー山形間は EF71+ED78 で峠越え
▲ED78 1号機を補機に板谷峠を上下する「あけぼの」号
奥羽本線 福島ー山形間は、当初は EF71 単機で牽引していま
したが、 後の20系客車改造工事で重量が増した際、空転が生
じたため、ED78 が補機となり、重連運転となりました。
山形新幹線工事の際、福島駅構内の工事の関係で、上り列車
のみ、郡山まで直通牽引した時期があります。
▼山形ー青森間は 再度 ED75 の登板
▲赤い電機に青い客車の組み合わせが美しい「あけぼの」号
冬期は勾配区間の空転対策として、重連運転が行われました。
▼電化前は DD51 の担当区間でもありました
▲出典:鉄道ファン 1977.5月号
最盛期には、急行「津軽」を吸収する形で、上野ー青森に2
往復、上野ー秋田に1往復の、計3往復が運転されました。
青函トンネルが開業した際、上野ー秋田の1往復が削減され
ました。
▼磐越東線経由時代
▲DE10の重連で運転された「あけぼの」号
上野ー青森2往復体制となった後、山形新幹線の工事で、
奥羽本線 福島ー新庄間に乗り入れることが不可能となり、
うち1往復が「陸羽東線」の 小牛田ー新庄 経由とされ、
陸羽東線内は、DE10の重連で運転されました。
DE10 に取り付けられたヘッドマークは、光り輝く「行燈式」
だったそうです。
残りの1往復は、運転区間を、高崎線・上越線・信越本線・
羽越本線経由に変更され、こちらの列車名は「鳥海」へ変身
しました。
■バックサインのこと
20系で運用されていた時代の「あけぼの」と「ゆうづる」は
両列車に、青森運転所と秋田運転区の運用が混在したことか
ら、これを区別するために、バックサインの色を変えること
になり、青森車が白地、秋田車が桃地とされました。
▼バックサインが 桃地(ピンク色)の 秋田車の記録
▲青森方のナハネフ22には、展望室がありました
白地のバックサインを見慣れていた一般客には、単なる汚れ
か、経年劣化としか見えない姿でありました・・。
もしこの運用が、24系のイラスト入りバックサイン化まで続
いていたら、どのようになっていたのでしょうね・・。
▼「あけぼの」の イラストマーク
■「あけぼの」2世時代
秋田新幹線の開業に伴って、元祖「あけぼの」の血筋を引
く、陸羽東線経由の「あけぼの」は、廃止の運命となり、
東北本線から庄内地方に至る寝台列車は消滅しました。
それと同時に、高崎線・上越線・信越本線・羽越本線経由
のルートに運転されていた「鳥海」が「あけぼの」に改称
され、その名が残ることとなりました。
▼上野ー長岡間は EF64 1000番台 が 先頭に立ちました
▲「あけぼの」は 貫通扉のある機関車に縁がありますね
かつては EF81 が全区間を担当していましたが、上越線での
空転と、高崎線・上越線の乗務運転手が運転しにくいという
問題があったそうで、上野ー長岡間は EF64 にしたそうです。
▼同区間には 茶ガマの EF64 37 号機 も 登板しましたね
▲KATO製 Nモデル (出典:奥むさし鉄道さま より 拝借)
模型の世界もクイックヘッドマーク化で いろいろな列車のヘッドマークを
簡単に交換できるようになり、楽しさが増しました
(奥むさし鉄道 様、お写真のご提供、ありがとうございました)
▼長岡ー青森間 は 日本海縦貫線の主 EF81 がエスコート
▲陸羽東線経由時代にも上野ー小牛田間でお世話になりました
鉄ちゃん達の中には、元祖「あけぼの」と区別するために、
上越線経由の「あけぼの」のことを「あけぼの2世」とか、
「鳥海」から化けたことをモジって「ばけぼの」(化けぼの)
と表現し、呼び名を使い分けている方も おられました・・。
■個室寝台の鍵のこと
個室寝台の鍵は、当初は「磁気式のカードキー」が定番で
列車毎に異なるカードのデザインが魅力的でした。
使用後は、持ち帰りもOKでしたので、旅の記念品にもな
り、収集家にとっても、ありがたい一品でした。
▼「あけぼの」に特化したA個室 の 磁気式カードキー
▲トレインマークを模したデザインが「鉄」心を擽ります
B寝台にも個室化の波が押し寄せると、磁気カードの削減
とセキュリティの更なる向上をねらって「テンキー式」の
鍵に変更され、磁気カード式の鍵は、姿を消しました。
今の時代でしたら、テンキーに触れる行為を避けたい風潮
もあるのと、整備する側にとっても、テンキー消毒作業を
減らせるので、使い捨てのカード式の方が望ましいですね。
「あけぼの」は、誕生以来、常に乗車率が高い人気列車であ
ったことから、秋田新幹線の開業後も、寝台列車の運転は継
続され、多客期には583系による臨時列車も運転されました。
(上のトレインマーク集の右下端が583系用の2代目マーク)
しかしながら、2014年3月15日のダイヤ改正を持って、定期
列車の運行は、終了してしまいました。
* * *
■「あけぼの」に会いに行く
電源車を含む24系25形客車4両が、秋田県の小坂鉄道レール
パークに譲渡され、宿泊施設「ブルートレインあけぼの」と
して、もう一花咲かせています。
ったことから、秋田新幹線の開業後も、寝台列車の運転は継
続され、多客期には583系による臨時列車も運転されました。
(上のトレインマーク集の右下端が583系用の2代目マーク)
しかしながら、2014年3月15日のダイヤ改正を持って、定期
列車の運行は、終了してしまいました。
* * *
■「あけぼの」に会いに行く
電源車を含む24系25形客車4両が、秋田県の小坂鉄道レール
パークに譲渡され、宿泊施設「ブルートレインあけぼの」と
して、もう一花咲かせています。
▲カニ24-511 + スロネ24-551 + オハネ24-555 + オハネフ24-12
この編成は走行可能な状態に保たれ、宿泊者限定で宿泊当日
の夕方と翌朝に、構内走行乗車を体験できます。
22時になると車内は「減灯」され、夜汽車旅の雰囲気を演出。
こういった保存方を、いつまでも続けてほしいと願います。
⇒小坂鉄道レールパーク公式 H.P ※今年度の宿泊営業は中止の旨です
上野発の夜行列車 ~「あけぼの」号~
おわり
おわり
コメント
コメント一覧 (4)
「あけぼの」の歴史を丹念に記されてますね。
私もかなり知ってるつもりでしたが、臨時運用の機関車等新しい知識を教わりました。
「あけぼの」は「銀河」に次いで複数回利用したブルートレインなので愛着があります。
陸羽東線を迂回した時と、上越線経由の頃に乗ったので機関車も乗る度変わってました。
Nゲージでも20系時代とJR時代の両方を楽しんでます(笑)。
波浪規定
がしました
正直、ピンク色のバックサインは単なる劣化や汚れだと思っていました。奥深さを実感します。
最後の小坂鉄道ですが、客車に宿泊できてしかも少しでも動くという最も好ましい動態保存と思います。再開したら一度は利用したいですね。
さて、当鉄道でも町のパンフレットができたりと、富井電鉄さんと共に新たな企画が登場していきます。
波浪規定
がしました